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SC神戸中国語スクール 京都校

全くのゼロから、ビジネス会話、通訳レベルまでしっかりと学べる中国語スクール、SC神戸中国語スクールの京都校のブログです。

中国語を学んで中国人と中国語で話す。


中国語の映画を字幕なしで見る。というのもあるでしょうが、語学の醍醐味はやっぱり自分の言葉で外国の人とコミュニケーションをとることでしょう。


時間だけは長い間中国語を学んでいる私ですが、私なりの「コツ」をご紹介します。


中国語を話す(作る?)コツには色々あると思いますが、私の中では;


「動詞に注目すること」


が、コツだと思っています。


外国語を学ぶと母語である日本語との比較をし、日本語に対する理解も深まるのですが、そんな中で感じるのは、


日本語はものの名前(名詞)を大切にするが、英語や中国語は動詞(動き)を大切にする。


というもの。


例えば新幹線に乗って、京都から東京へ赴く。

途中、富士山が見えた。

そんな時、日本語なら、


「富士山や!」


ですむところ、中国語なら、


“你看!(我们可以看到)富士山!”


日本語なら風景を表現するところ、中国語なら(誰それが)「見た」「見える」ことを伝えると思います。


と思うので、私は中国語を使う時、まず;


1.動詞は何を使うか.


を考えます.

そして、その動作をするのは誰かを考えます。


具体的な動作がない時には;


2.“是”を使う。


動作(動詞)を使う必要がない時には、


3.形容詞(説明)を使う。


動作での変化ではなく、状態を説明したい時には;


“你好!”


のように、動詞を使いません。


中国語を学び、使って来た40年。

なんとなくですが感じる中国語を使うコツです。


中国語で会話するのには、様々な表現を何度も何度も暗誦し、自然に使うことができるように訓練することが必要ですが、ちょっとした「コツ」を意識することで効率が良くなると思います。


中国語は動詞が大切。


そのことを意識しながら日々の学習を進めるとより一層学習効果が良くなると思います。


数日前、夜、家の固定電話が鳴りました。

この3年以上、タクシー乗務員をしていて、昼勤と呼ばれる昼間の勤務(6時から16時ぐらい)をしているので、夕方には家に飼っているので私が電話に出たのですが、中国語を習いたいという電話でした。

かなり前にネットに出していた京都山科中国語学習会を見て電話をいただいたとのことです。


タクシー乗務員をするにあたり、中国語と訣別すべく、中国語の辞書を初め、関連資料、教授法の書籍など全て処分していましたが、ボランティアで中国語でお力になることになりました。


考えてみれば、タクシー乗務員になったのも、中国語を使い中国語圏の観光客相手にガイドをするためでしたが、入社して数ヶ月、新型コロナの影響で、観光客は激減し、タクシーのお客さんも激減しました。


でも、タクシー乗務員になったおかげで、昨年亡くなった母の介護もできましたし、施設に入ってくれた母の通院もすることができました。


人生、いつも結果オーライなのかも知れません。


そして、今、新型コロナも移動制限がなくなり、インフルエンザと同じ扱いになろうとしています。

そんな時にいただいたお話。

これもご縁だと思い、お引き受けした次第です。


講義というか高座というか、中国語のお稽古はZOOMで行います。


これも、ZOOMが出た時に、盛んに使用し、SC神戸中国語スクールとも連携したのですが、最近は全く使用していませんでした。


SC神戸中国語スクールはそれまで持っていた教室を手放し、オンライン中心になっていると聞いています。

(そういえば森川とも久しく会っていないし、連絡もしていないなぁ)


タクシー乗務員となり3年以上になる私。

お客さんは、昼間ということで高齢者が中心です。

歩行困難の方もおられますし、車椅子の方もおられます。

時間が命のタクシー乗務員ですから、乗り降りに時間のかかる高齢者は嫌がる乗務員が多いのですが、私は、母の代わりに親孝行させていただいていると思い、時間を気にせず対応しています。

また、お客さんの話を聞くことも積極的にしています。


人というのは、どうも、自分のことを話したい、すごいと思われたいと思うようです。

これはこの3年のタクシー乗務経験でよくわかりました。

みんなふれあいを求めている。

認めて欲しい。


そんなことを考える毎日ですが、久しぶりの中国語のお稽古のお手伝い。

お役に立つため全力を尽くしています。


私のこれまでの経験は他の中国語講師とは全く違います。

その経験が人様のお役に立つのならこれまで生きてきた甲斐があるというものです。


繁殖期を終えた生物は「死」を視野に生きる、かかわるとういう中村仁一医師。

もう亡くなっていますがこの方が私のいる山科の同和園におられたというのもご縁なのでしょう。


若い頃から武道に励み、切腹をイメージコントロールし、死を意識してきた私ですが、還暦を過ぎた今、改めて「死」を視野に生きるようにしています。


自然死までどれほどの時間があるのかわかりませんが、できるだけ人様のお役に立っていきたいと思う、今日この頃です。


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退院した母は、急きょ山科の私の賃貸マンションに来ることになりました。

新しい家族が増えると、いろんな問題も起きます。

 

弟たちと問題が起きました。

私が弟の事を責めたからだと妻は言うのですが、感情的になっています。

 

そして学んだのは、以前読んだ『なぜ妻は、夫のやる事なすこと気に食わないのかーエイリアン妻と共生するための15の戦略』の事。

 

 

妻に限らず、他の人(きっと自分自身の事も)よくわからない。

自分以外の人たちはエイリアンと思う事で、理解も寛容さも出るのでしょう。

 

もう一つ学んだのはアドラーの次の言葉。

 

子供は『感情』でしか大人を支配できない。

大人になってからも

感情を使って人を動かそうとするのは幼稚である。

(アルフレッド・アドラー 人生に革命が起きる100の言葉 小倉広 著 ダイヤモンド社)

https://diamond.jp/articles/-/143398

 

 

孩子只能用『情感』支配大人。

长大成人之后,

还想使用情感驱使别人,就是幼稚的行为。

 

人は怒ったり泣いたりする事で、人を支配し、自分の思うように動かそうとする。

私の次の文章について、感情的に責められました。

 

「私は○(弟の名前)が無責任だと思っています。

母の状況と山科の賃貸マンションの状況を客観的に分析すると、リスクが大きいのははっきりしているのに、自己満足の為、私の仕事を口実(私が仕事をするのに山科にいる方がいい)に無理やり押し込んだと感じています。

どうか現実を客観的、冷静に見て下さい。

 

この文章が、弟を攻撃する内容だというのです。

 

私は、私は〜だと感じている。というあくまでも私の考えを述べているだけだと思っているのですが、妻はどうやら、「押し込んだ」という単語表現から私が決めつけ、そして弟を攻撃した内容だと捉えています。

そして、感情的になっています。

 

アドラーは全ての悩みは対人関係の悩みだと言っていますが、本当にそうですね。

でも、こう言ったことがある事で、人は磨かれ、より良い人間になって行く。

そう思う今日この頃です。