「教える」ということをずっと考えています。
先日の投稿、
でも、多くを学ぶことができましたが、最近、また、学ぶことができたので皆さんと共有したいと思います。
それはこれまでに何度もこのブログで紹介している笈川幸司先生のFacebookの投稿です。
まずはじめに、私たちが良かれと思って発言している言葉についてです。
大人が若い人に説教をするときに、使ってはいけない言葉を集めてみました。
自分を律するためでなく、他人に使ってしまったために、人に恨まれ、足を引っ張られ、ハシゴを外されてしまった人も大勢いると思います。
説教を聞かされているときは、偉そうな態度で饒舌に話す上司を眺めながら、早く終われと願い、素晴らしいはずの言葉の数々に感動することはなかったのですが、いざ、自分が誰かに説教をするとなると、その場にピッタリな素晴らしい言葉に酔い、最高の気分になりました。
でも、そろそろ、他人の時間を奪うことも、無駄に時間を使うことも、やめたいと思います。
上から目線で偉そうに使うと、相手は「俺のためじゃない。俺を支配する気だな」と思って、不快に感じるかもしれません。
真心で、下から応援する気持ちで言えたら良いのですが。
ブータンで、五体投地をしながら、そんなことを考えていました。
で始まるのですが、これは大人が若い人に説教をするときだけに限らず、友人や子供、その他に人たちにでも、説教とは思わずに、アドバイスのつもりで相手のことを思って「良かれ」と思って使っている言葉でもあると思います。
そして、笈川先生が感じられている;
いざ、自分が誰かに説教をするとなると、その場にピッタリな素晴らしい言葉に酔い、最高の気分になりました。
の気分を、私自身も無意識に言葉を使い、自己陶酔というか「自分は偉い」という気分になっていたことに気づきました。
「アドバイスはいらんねん!!」
少し前、家内から相談を受けた際、何気なく、良かれと思いしたアドバイスに対して激しく抗議された言葉です。
その後、最近では、
「(あなたは)いつもそうやってわたしのことを馬鹿にしている!」
とも言われました。
そうなんですねぇ、何かを教えたり、アドバイスをする。この行為自体が「上から目線」であり、「相手より自分が偉い・かしこい・優秀」だと思っていることで、それを聞かされている相手は不愉快になるのでしょう。
「人は自分が知らないことを聞かれると不愉快になる」
あるタクシーに乗車されたお客さんが自分の経験として話されたことですが、中国語を教えている時にもこの感覚を感じることがあります。
「中国語の難しさの一つに発音がありますが、なぜ難しいかわかりますか?」
と、中国語のレッスンでわたしが受講者にたずねる。
受講者はもちろん中国語を学びに来ているので、「知らないことを学びに来ている」のですが、やはり「知らない」ということでプライドが傷ついてしまう方もおられるでしょう。
この問いに対する答えは、
「中国語の難しさは、発音と言っても英語のように『読み方』だけを気にするだけではなく、同時に『四声』と呼ばれる音楽のメロディのような一つの音の高さ低さをまるで車の両輪のようにっ同時に正しく発音しなければならないからです。」
なのですが、これも、「わたし」がそう思っているだけです。
発音の難しさは、日本語にはない「そり舌音」や「有気音」、「ウムラウト」がありますから人によっては;
「四声」は気にならない、それより「そり舌音」が気になる」
とか、
「『有気音』がわからない」
と思う方もおられるでしょう。
そうです。
わたしの「問い」は「わたしが思っている答えを求めている」のです。
それを何も知らない受講者に、自分が思っていることがあたかも絶対正しいと思い、自分の答えだけが正しいと思い、その答えを要求する。
なんて傲慢なのでしょう?
「教える側」としては、受講者が自分で気づくように色んな材料を用意することこそが「教える」ということのような気がします。
さて、それはさておき、笈川先生が紹介されている「使ってはいけない言葉」をご紹介します。
・因果応報
・郷に入っては郷に従え
・自業自得
・身から出た錆
・蒔いた種は自分で刈り取る
・石の上にも三年
・継続は力なり
・努力は裏切らない
・努力すれば報われる
・諦めなければ夢は叶う
・苦労は買ってでもせよ
・若いうちの苦労は買ってでもせよ
・艱難汝を玉にす
・試練は乗り越えられる人にしか来ない
・神様は乗り越えられる試練しか与えない
・失敗は成功のもと
・転んでもただでは起きるな
・いつまでも引きずるな
・忘れたほうがいい
・許すことが大切
・水に流そう
・お互い様
・喧嘩両成敗
・どっちもどっち
・相手にも事情がある
・相手の立場になって考えよう
・人を責める前に自分を見よ
・まず自分が変わろう
・他人は変えられない、自分が変わるしかない
・環境のせいにするな
・人のせいにするな
・言い訳をするな
・結果がすべて
・世の中そんなに甘くない
・社会に出たらもっと厳しい
・昔はもっと大変だった
・自分の若い頃はもっと苦労した
・私も耐えたのだからあなたも耐えろ
・みんなやっている
・普通はこうする
・常識で考えれば分かる
・空気を読め
・和を乱すな
・長いものには巻かれろ
・出る杭は打たれる
・目立つな
・謙虚であれ
・出しゃばるな
・分をわきまえろ
・身の丈に合った生活をせよ
・高望みするな
・欲張るな
・足るを知る
・感謝しなさい
・ありがたいと思え
・恵まれている方だ
・もっと大変な人がいる
・命があるだけありがたい
・健康なら十分だ
・お金では幸せになれない
・好きなことを仕事にできるだけ幸せ
・仕事があるだけありがたい
・嫌なら辞めればいい
・自己責任
・自分の人生は自分で決める
・自立する
・人に迷惑をかけるな
・自分のことは自分でやれ
・甘えるな
・泣くな
・弱音を吐くな
・男なんだから/大人なんだからしっかりしろ
・気持ちの持ちようだ
・考えすぎだ
・気にするな
・笑っていれば何とかなる
・ポジティブに考えよう
・明るくしなさい
・幸せは自分の心が決める
・すべてに意味がある
・起こることには理由がある
・必要なことだから起きた
・苦しみは人を成長させる
・苦労した人ほど優しくなれる
・すべて勉強だ
・何事も経験
・人生に無駄な経験はない
・人は変われる
・過去は変えられないが未来は変えられる
・他人と比べるな
・期待するから傷つく
・自分を変えれば世界が変わる 。
どれも素晴らしい言葉です。
自分を律するために使用するのならいいでしょうが、それを自分以外の人に向けて言う時には自分の中に何かしら「いいカッコをしている」「自分の言葉に酔っている」「(話をしている相手は)知らないだろうけれど」「こんな言葉を知っている私ってすごいでしょう?」とか言う気持ちはないか胸を手に当てて自分自身と対話する必要があるように思います。
そして使い方によってはなんとも人を馬鹿にした言葉になるのではないでしょうか?
いつも学びを与えてくださる笈川先生ですが、笈川先生だけでなく、日々お会いする人たちからも多くを学んでいます。
特に、タクシーに乗車されていただくお客さんからは、厳しいお怒りや、理不尽な発言・行為を含め、学びの機会をいただいています。
さて、笈川先生のFacebookへの投稿ですが、次の投稿へと続きます。
説教も、小ずるさも、問題は一度してしまったことではなく、それを正当化して繰り返してしまうことなのだと思います。
人が成長するために必要なのは、「私は正しい」と思い続け、言い続けることではなく、自分自身に「もしかしたら、自分が悪かったのではないか」と問い続けることだと思います。
自分の間違いを認めるのは、決して気持ちのいいことではありませんが、それができる人は、いつまでも若々しいですし、何歳になっても変わることができる人だと思っています。
私も自分の間違いを素直に、そして勇気を持って認め、生まれた時よりも少しでも良き人になりたいと思います。
そして、私と同じく「教える」ことに携わってきた高校時代の親友に対して、これらの言葉を使ってしまい、傷つけてしまったことをもう反省するとともに、10月8日に大阪府立桜塚高校で行われる彼の特別講演をご紹介して、今回の投稿を締めたいと思います。
40年の長きにわたって彼が「教える」ことを経験してきたのにもかかわらず、彼とは友人であるという甘えから、偉そうに色々言い、彼を傷つけたのにもかかわらず、私は彼がイラつくことを彼のせいにして、余命一年の彼と距離を置くことにしてしまったことを反省しています。
本来なら後悔しなければならないのでしょうが、後悔するより先に逝く彼を見送り、その後の私の半生を実りの多いものにするようにすることが彼に対する償いになると私は勝手に思うようにしています。
そんな親友の特別講演です。
お時間のある方は是非、聞いてみてください。






