SC神戸中国語スクール 京都校 -10ページ目

SC神戸中国語スクール 京都校

全くのゼロから、ビジネス会話、通訳レベルまでしっかりと学べる中国語スクール、SC神戸中国語スクールの京都校のブログです。

最近、こころの問題(というかテーマ)について考え、本を読んでいます。

中国語を学び、中国語を使い、そして、中国語を人様に教えたりして、それぞれテクニックを研究するのですが、いずれも結局のところ自分自身の「こころ」について深く考えたりするようになっています。


学び方。については中国語を教えることから和田秀樹氏の本をたくさん読んでいて、学ぶことがたくさんあるのです。


今の日本は知識が多ければ賢いとなる。

クイズ番組で知識の多さを競い合い、知識が多い。つまり、物知りであることが優秀で頭がいい。となる。

和田秀樹氏は自身が灘中学校から東大へと進学した経歴を持っており、受験勉強のコツ?を本にしたり、実際に塾で教えたりしていたのですが、私自身、高校時代、数学は「(問題を考えて)解くのではなく、答えを暗記する」ことが学校での成績を良くし、さらには受験で得点をとる最良の方法だと思いましたし、そのために問題集は考えるためのものではなく、答えを暗記するもので、暗記するコツとしてどうしてこうなるのか?と言うことを考えていました。


和田氏によると、今の学校の勉強は知識の詰め込みであり、自分の頭で考えると言うことがないと言います。


例えば理科の実験にしても、「この物質とこの物質を一緒にしてそれに熱を加えるとこうなる」と言うことを教科書通りに行い、教科書通りであることを確認するだけ。

これでは失敗することもないし、答えを暗記し知識を増やすだけで「考える」と言うことをしていないと和田氏は指摘しているのです。


中国語など外国語を学ぶのも同じではないかと思うのです。


知識を目一杯詰め込みますが、その知識を使って自分で考えるという訓練をしないので、いくら勉強しても身につかないし使えない。


そんなことを考えていたところ、出会ったのがこの言葉です。


「胃は脳より賢い」


こころをよむ こころの病で文化をよむ (NHKシリーズ)にある言葉ですが、心身症対策として「エンプティチェア」を紹介しています。


少し長くなりますが、以下、紹介すると:


「エンプティチェア」すなわち「空の椅子」と言う言葉が示すように、椅子を二脚用意して向かい合わせて置き、その一方に自分が座ります。もう一脚の空の椅子に、自分の話したい相手がいると想定し、自分の言いたいことをその相手に伝えます。伝え終わったら空の椅子に移動し、相手になったつもりで自分に対して返事を返すのです。これを続けていくのがエンプティチェア法で、もともとゲシュタルト療法という「今・ここ」での気づきを重視する心理療法の中で考案されたものでした。


心身症対策では、空の椅子に座る相手として、たとえば自分自身の胃袋を想定します。まずは胃袋に「この忙しいのに、痛いだのムカムカするだの、困るじゃないか、もう少ししっかりしてくれよ」と話しかけます。そして今度は胃袋になったつもりで、あなたに言い返します。「そうはおっしゃいますがこのひと月ほど、食事は不規則、コーヒーはがぶ飲みする、上司や同僚と揉めるたびに血流は細って胃液がタラタラ流れてくる、これで平気でいろというのが無理な相談ですよ、少しは私の身にもなってください・・・・・・」


どうでしょう、このようなやりとりを想像するだけで、「なるほど無理もないかな、少しは胃を大事にしてやらないと」という気持ちが湧いてくるのではないでしょうか。これはいわば、自分の胃袋に対してエンパシー(注:共感)を働かす、胃袋の靴を履いてみるという発想言えるでしょう。エンパシーは他人だけでなく、自分自身に対して使ってみてもよいもののようです。


医師をしていてつくづく思うのは、「身体は正直であり、自分に必要なものをよく知っている」ということです。一人の生活者として、「私の胃袋は私の脳みそよりも賢い」とも思います。


「胃は脳より賢い」という言葉を、今回の締めくくりにしておきましょう。


外国語学習と「胃は脳より賢い」。

全く関係がないように思われるでしょうが、私の中では外国語だけではなく、いろんなものを学ぶということの真髄のように感じました。


外国語学習については、これまで、外出して外国語を学ぶ。外国語語劇をする。ジェスチャーを交える。覚えた単語やフレーズを使ってみる。などの方法を提案してきました。

特に落語が好きな私は、落語家が噺をするように、一人で二人なり三人、四人と演じることで会話の練習をすることを提案しましたし、通訳をするということは机に座ってではなく、体を動かしていることですし、外国語を身につける時、脳みそだけではなく、身体を使うことで学習効果が上げることができると思っています。


もちろんこれには人それぞれで人の向き不向きもあると思います。

(この点でも個別授業ではなく一生授業では効果の出せない受講生がいるということでもあります。)


視覚が得意、聴覚が得意、身体を動かすことが得意。


確かアドラー心理学でこのようなことが取り上げられていたと思いますが、人によって、視覚情報、つまり、目で見ることで学習効果が高くなる人や、聴覚情報、つまり、耳で聞くことで学習効果を高めることができる人や、身体を動かすこと、つまり、椅子に座っての学習より、散歩など体を動かすことで学習効果を高めることができる人もいると思います。


でも、これとは別に「無意識」というか「潜在意識」というか脳みそとは別のもの言わぬ身体にアプローチすることの意味深さというか大切さを感じています。

人生が変わる! 無意識の整え方 - 身体も心も運命もなぜかうまく動きだす30の習慣 - (ワニプラス)


瞑想もそうですし、千日回峰という修行もそうかもしれません。

目に見えない世界を意識することが大切。

いえ、この世に生を受けた理由のうち一番大きなものが目に見えない世界を意識することで、そのためにいろんな学びや修行があるように感じています。


今、私はゲシュタルト療法の学びを始めました。


◉「ゲシュタルト(Gestalt)とは、

 「全体性」「完結」「統合」などを意味するドイツ語です。


◉ゲシュタルト療法の特色

⚪︎「いまーここ」(Here &Now)の自分への気づきを重視。

⚪︎感情は「筋肉の緊張」として現れる(現象学)。

⚪︎精神と身体は一つ。

⚪︎自分の選択に責任を持たせる(実存主義)。

⚪︎「なぜ」(原因・分析)をやめて「どのように」(実践・解決)へ。


中国語を学ぶ上で、「なぜ」を大切にすることを提唱してきた私ですが、ここではその先へ、といっても「いま、ここ」はその言葉の目新しさで、この言葉を使って洗脳し、信者を獲得するという新手の商法があるので注意が必要ですが、「どのように」(実践・解決)へ。というのは中国語や英語などの外国語を学び、それを活かして世間の役に立ちたいと思っている人にとっては実践・解決は大切なことだと思います。


心と身体。

脳みそと胃袋。


別々のものだと思っているのですが、案外、これらは一つのもので、普段は物言わぬ胃袋や身体の声を聞くことが学びの基本なのかもしれませんね。

前回の「通訳の奥義!他者の靴を履く(PUT YOURSELF IN SOMEONE’S SHOES)」で「英文は、日本語に訳したときに文法的な語順が反対になる」について英語や中国語と日本語の違いについて思うことがあり、後日、ブログにすると言っていたことについてご説明します。


エンパシーの意味の記述を英文で読んだときには、最初に来る言葉は「the ability(能力)」だ。

他方、シンパシーの意味のほうでは「the feeling(感情)」「showing(示すこと)」「the act(行為)」「friendship(友情)」「understanding(理解)」といった名詞が英文の最初に来る。


「エンパシー」と「シンパシー」の意味の記述を英文で読んだとき、

「エンパシー」は「能力」で、「シンパシー」は「感情」「示すこと」「行為」「友情」「理解」といった名詞が英文の最初に来る。とあり、長年英語を学んでいる人なら当たり前のことだと思うでしょうが、ここで「なぜ英語や中国語と日本語では語順が違うのか?」と考えてみるとそれぞれの言葉が持つ表現方法に違いがあると思うのです。


英語や中国語は自分の言いたいことを伝えるときに伝えやすい表現で、日本語は自分の言いたいことをできれば察して欲しいという表現だと思うのです。


日本語ででも、何かを発表するときにはまず結論を述べ、それからその結論の具体的に述べていくと、相手に伝わりやすいように、英語や中国語は、まず一番伝えたいことを言うのに対して、日本語は一番伝えたいことは後回しにして「察して欲しい・・・」とまるで連想ゲームのように伝えたいことのヒントを言うと思うのです。


これは英語や中国語がストレートな表現であるのに対して日本語はまわりくどい表現だとも言えると思うのです。


このことから、日本語の話者が英語や中国語を話すときには、このことを頭に置いて、「察して欲しい気持ち」は横に置いておいて言いたいことをストレートに先ず言うようにする必要があると思うのです。


そしてそれは「他者の靴を履く」ように、ちょうど俳優が演技をするように人格を変えると表現しやすいのかもしれません。


日本語が母語である人でも、何事もストレートに表現する人なら英語や中国語で表現することが、引っ込み思案で控えめで言いたいことをズバズバ言うより「察して欲しい」表現を好む人よりも表現しやすいのかもしれません。


英語や中国語での表現がどうもうまくいかない、尻込みしてしまうという方は、一度別人になって英語や中国語で表現するとスムーズに表現できるのかもしれません。

ぜひ、お試しください。

他者の靴を履く。


英語では PUT YOURSELF IN SOMEONE’S SHOES。

中国語では“设身处地让别人了解他人的感觉”、あるいは“设身处地”。

→“设身处地 shè shēn chǔ dì[she4 shen1 chu3 di4]”。

日本語では「他人の身になって考える」。


この言葉は以前このブログで紹介したこともあります。



同時通訳者のOGUMA YAYOIこと小熊弥生さんがTEDでのスピーチで紹介されていました。


今回は:


コーチングよりも大切な カウンセリングの技術 (日本経済新聞出版)


から、


すごい傾聴


そして、



で再び巡り逢いました。


『こころをよむ こころの病で文化をよむ』で著者の石丸氏は次のように言っています。


精神科医の仕事は、まさに「患者さんの靴を履いてみる」ような共感の繰り返しによって進んでいきます。

(中略)

このように、「共感」を通して患者さんのこころの内を理解する作業が共感的理解です。共感的理解は精神科医だけでなく、カウンセラーなど心の臨床にあたる人びとの共通の基本技能ですが、専門家だけのものではありません。生活の中でも誰もが活用できるものであり、現に多くの方が、家庭や職場や地域で大いに活躍していらっしゃるはずです。そして「理解してもらえた」と感じるときに、人がどれほど深く安心し慰められるかも、すでにご存知のことでしょう。


この「共感」。

英語では「エンパシー empathy」。

似た言葉に「同情 sympathy」がありますが、この二つの言葉について石丸氏は次のように言っています。


「共感」に相当する英語として「エンパシー empathy」という言葉が挙げられます。「同情」を意味する「シンパシー sympathy」と似ていますが、微妙に違います。誰かが悲しい思いをしているのを見て、自分もまた悲しい気持ちになって一緒に泣いたとしたら、そこに働いているのは同情(シンパシー)でしょう。


これに対して共感(エンパシー)は、「相手の気持ちになってそれを追体験しながら、相手と自分との区別を見失わない」というものです。相手の悲しさを感じとりながら、泣き崩れてしまわないところが微妙な違いです。


この二つの言葉について石丸氏はさらに、


英語の中でも「エンパシー empathy」と「シンパシー sympathy」との区別は難しいものだったのでしょう。それをイギリス在住の作家であるブレディみかこさんが「他者の靴を履く“put yourself in someone’s shoes”」という英語表現を引用して巧みに説明したおかげで、「エンパシー」という言葉の認知度が日本でも上がりました。


と述べておられたので、早速入手したのが、



です。

ブレディみかこさんは成人してから英国で語学学校に通って英語検定試験を受けたとのことですが、「エンパシーとシンパシー」の意味の違い」は授業で必ず教えられることの一つだとのことです。

とはいえ、ブレディみかこさんが語学学校に通われたのはもう二十数年前のことで、二つの言葉の意味の違いをすっかり忘れてしまったということで、英英辞書で確認されたのが以下です。


エンパシー(empathy)

  他者の感情や経験などを理解する能力


シンパシー(sympathy)

 1.誰かをかわいそうだと思う感情、誰かの問題を理解して気にかけていることを示すこと

 2.ある考え、理念、組織などへの支持や同意を示す行為

 3.同じような意見や関心を持っている人々の間の友情や理解

(『オックスフォード・ラーナーズ・ディクショナリーズ』のサイト oxfordlearnersdictionaries.comより)


そしてブレディみかこさんは;


英文は、日本語に訳したときに文法的な語順が反対になるので、エンパシーの意味の記述を英文で読んだときには、最初に来る言葉は「the ability(能力)」だ。

他方、シンパシーの意味のほうでは「the feeling(感情)」「showing(示すこと)」「the act(行為)」「friendship(友情)」「understanding(理解)」といった名詞が英文の最初に来る。

つまり、エンパシーのほうは能力だから身につけるものであり、シンパシーは感情とか行為とか友情とか理解とか、どちらかといえば人から出て来るもの、または内側から湧いてくるものだということになる。


※ここで「英文は、日本語に訳したときに文法的な語順が反対になる」から英語や中国語と日本語の違いについて思うことがあるのですがそれはまた後でブログにします。


さて、本題です。

通訳とは、例えば話し手が話す日本語を中国語や英語に変換することと思っている人が多いと思いますが、機械的に日本語を外国語に変換したり、外国語を日本語に変換しても、言葉の背景や習慣が違うので、本当に話し手が話したいことが伝わらないことが多いのです。

もちろん、道順を教えたり、挨拶したり、シンプルな会話なら機械的に日本語を外国語に置き換えることで話し手の話したいことは伝わるでしょうが、話し手の本当に伝えたい気持ちを通訳しようとすると小熊さんの言うように、話し手についてできるだけ下調べして、話し手がどんな考えや意見を持っているか、表現方法はどのようにするのか、どんな性格なのかを理解した上で、話し手に「共感」して、話し手の話す字面ではなく、その奥にある話し手が本当に伝えたいことを外国語に変換し、誤解されることなく、できるだけ正確に話し手の意図を適切な表現方法で伝えるのが通訳だと思うのです。

さらに、小熊さんのように同時通訳をするには、話し手の話す速度とほぼ同じ速度で話し手の言いたいこと、伝えたいことを外国語に変換することになります。

このことを一番正確に表現すると、話し手と同化するぐらい話し手に「共感」する。

あたかも通訳者が話し手と同化しているように、話し手の靴を履き、話し手自身になりきって通訳することが必要だと思うのです。


この「共感」という能力ですが、私は女性の方が男性より能力を持っていると思うのです。

それはなぜか?

女性は子供を産み、赤ちゃんのように自由に話せない状況でも、赤ちゃんの思い、伝えたい内容を正確に掴む能力を持っていると思います。

これは赤ちゃんを産んだことのない女性でも、母性という能力を生まれながらに持っていると思うのです。

この能力は人それぞれでしょうが、それでも女性の脳は男性の脳より「共感」する能力を多く持っていると思います。


ですから、通訳をしようとする方は、女性なら自らの「共感能力」を意識し、それを巧みに使い、できるだけ話し手に同化するようにすれば良い通訳ができると思いますし、男性は、女性が持っている女性らしさを意識して、理論的ではなく感情に「共感」して通訳するようにすればいいと思います。

そして、この「共感する」という能力ですが、これを磨くことが人間性を磨き、人格を向上させるのではないでしょうか?


中国語を学ぶということはあたかも「中国語道」を歩むことで、学び進めることで人格を磨くこと。

還暦を過ぎた私が最近思うのはこのことこそ一番大切なことだと思うのです。


中国語を学び、人格を磨く。

厳しいでしょうが、生まれた時より少しでも良い人間になるための方法だと思うと、なんだか面白いと思います。