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SC神戸中国語スクール 京都校

全くのゼロから、ビジネス会話、通訳レベルまでしっかりと学べる中国語スクール、SC神戸中国語スクールの京都校のブログです。

脳科学者の黒川伊保子さんが新しい著書を出されました。


『子育てのトリセツ』

ポプラ社

子育てのトリセツ 母であることに、ときどき疲れるあなたへ (ポプラ新書)


私が黒川伊保子さんの著書を読んだのは、


『ことばのトリセツ』

インターナショナル新書

ことばのトリセツ (インターナショナル新書)


からです。


長年、英語や中国語に関わってきた私ですから、帯にある『大切なのは“意味”より“語感”』に引きつけられ、さらに魅力的な詩を多く作っている阿木燿子さんが推薦されていることで音楽にも関わってきた私としてはぜひ読みたいと思い本屋さんで購入しました。


伊保子さんは多くの著書があり、内容は前著書の反省?を踏まえ、どんどん深くなっていると思いますが、『ことばのトリセツ』では


『大切なのは“意味”より“語感”』


と表現されていたことばが、『子育てのトリセツ』では


ことばの真髄が「筋肉のゆらぎ」「息の流れ」「音響振動」などの体感に由来する


とあります。


ヒトが言葉に出会うのは母の胎内であって、単に「音」だけではなく


母親がことばを発するとき、お腹の中にいる赤ちゃんは、母体の筋肉運動、息の音や声帯振動音の音響のど真ん中にいることになる。


人工知能(AI)研究者である伊保子さんなので、意味を正確に伝えるため、少し専門用語が入っていてわかりにくいかもしれませんが、要するに、赤ちゃんはことばを単に「音」としてだけではなく、その他の「目に見えない」「体感」「感覚」などを総合して身につけていくということなのでしょう。


中国語や英語など語学では「音」が大切にされます。

たくさん聞いて、たくさん話す。

もちろん意味を伝えるにはことば以外にもジェスチャーであったり表情などを使うのですが、ことばを発する時の息の流れや体感に注目するのは脳科学者であり、人工知能(AI)の開発者である黒川伊保子さんならではの感性だと思います。


ことばは単に「音」だけではない。


だから、電話では意味が伝わりにくく、メールなどでは顔文字などを使っても、誤解されやすいように思います。

そして、コロナ禍で発達したオンラインでのレッスンや授業も、実際に会うライブに比べると意味が伝わりにくいのだと思います。


中国語の学習者の皆さん(もちろん中国語以外の「ことば」を学ぶ皆さんも)黒川伊保子さんの言う、


『大切なのは“意味”より“語感”』


や、


ことばの真髄が「筋肉のゆらぎ」「息の流れ」「音響振動」などの体感に由来する


ということをぜひ意識してみてください。

そして、ことばを使うときにも意識してください。


そうすればきっと想いを伝えやすいと思います。


そうそう、これって、噺家が師匠から落語を教わるときに、書いたものや録音ではなく、師匠と弟子が対面で「口移し」で教わることに通じていると思いますし、弟子入り指定から師匠の家に住み込み、師匠について回ったりすることで芸を身につけていくことにもつながっていると思うのです。


ことばって本当に不思議なものですね。


 

2011年に書いたブログです。

 

以前、テレビ番組である人が友人とスイスに行き、友人が事故に遭い入院した。

その時に必要に迫られてスイスの公用語であるフランス語やドイツ語で話すようになったとのことでした。

 

必要は発明の母。

 

発明だけでなく、言葉も必要に迫られるとなんとかして意味を伝えようとして通じるもののようです。

 

今、タクシードライバーを京都でしていて、最近、Uberタクシーでお客さんからの注文をいただいています

 

タクシーアプリはGOもあるのですが、Uberは外国の方が多いのです。

 

韓国の人もいますし台湾の方もおられますが、圧倒的に英語圏の方が多い。

 

と言うことで今、改めて英語を学んでいます。

 

 

 

私が学ぼう(トレーニング?)としているのは外国の方とコミュニケーションをとることのできる英会話。

 

そのための教材としてこの「キクタン」を選んだのですが、その理由は;

 

・チャンツというリズムで単語を覚えることができる。

・【京都編】ということで必要な英語を身につけることができる。

 

でも、日本の学習方法の問題点に気づきました。

 

「日本人はインプットばかり。アウトプットで脳を活性化すべき」

(GOETHEの和田秀樹氏の連載より)

 

 

和田秀樹氏は灘中学から東大へとエリートコースを歩んだ方ですが、受験方法について「記憶」だと看破されています。

知識を詰め込みそれをテストで答案用紙に出すことに徹することで合格点をとることができるといいます。

 

実際、私も高校時代、数学の赤点をとり、改めて数学の問題集をしたときに思ったのが、「これは問題を解くというより、解き方を覚える方が効率がいい」ということでした。

 

問題というと、真面目に「どうやったら答えが出るのか、どうすればいいのか、そしてどうしてこうなるのか」と答えや解き方を覚えるだけではなく、「自分の頭で考える」ことをするのが勉強だと思っていましたが、それでは膨大な知識を詰め込むことができません。

自分の頭で考えることをせず、ただ、暗記する。

これが一番効率がいい。

和田氏の考えは私にはそう聞こえました。

そして、さらに日本人はインプットばかり。アウトプットで脳を活性化すべきだと言います。

 

外国語の学習ではいくら単語や文章などを覚えてもそれを使わなければ意味がない。

アウトプットするということは自分の脳を使い考えること。

 

日本式の学習方法は、集団でみんな同じことを同じように記憶し、どれだけたくさん正確に覚えているかをテストで試される。

ただひたすら知識を詰め込む。

テレビのクイズ番組では物知りであることが頭が良いと評価されているけれど、果たして頭がいいというのは物知りとイコールなのでしょうか?

 

語学を学び、その言葉を使うことができるようになることが目標であればインプットだけではなく、アウトプットもする必要があると気づくはず。

そして、詰め込んだ知識を駆使し自分の脳で考えることでアウトプットができるようになることを体感できるはず。

 

だから私はこの『キクタン 英会話【京都編】を学んでも、単に知識を詰め込むのではなく、実際に言葉を使うことを考えながら聞き、考え、使うのです。

 

あと一つ、気になるのが「聞いてマネしてすらすら話せる」というキャッチフレーズです。

 

ネットではこのようなキャッチフレーズが山のようにありますね。

 

日本語が母語の人の傾向として、魅力的な言葉・フレーズをそのまま信じてしまう。

これはたとえばオレオレ詐欺などの特殊詐欺に騙されるのも同じ。

すぐに信じてしまうのです。

疑うことをしないのです。

 

これは和田氏流に言うと、何か新しい知識に出会うと、「そうだったんだ」と思ってしまう。

「そうか、こういう考え方・味方見方もあるんだ」とは思わない。

これは怖いことです。

 

「自分の頭で考える」

 

今の日本人(日本語が母語の人)に欠けているのではないでしょうか?

 

この『キクタン 英会話【京都編】では、何度も聞くことは当然としても、知識をどうやって知恵に変換するか。

それを自分で考えながら学習を進めなければ「聞いてマネしてすらすら話せる」ようにはならないでしょう。

 

何事も楽して身につくものはない。

ただ、知識を詰め込むだけではなく、それを知恵に変換することが肝要。

そしてそれは自分自身の気づきにかかっている。

 

そんなことを思う、今日この頃です。

 

SC先生こと森川代表が動画を投稿しました。


日本語で「できる・できない」を表現する中国語では“会・能・可以”がありますが、使い方が理解しづらいと思います。

森川代表が初級レベルの方にわかりやすく、理解しやすく説明してくれていますので、是非ご覧ください。

また、動画は一方的な説明ですので、質問事項がありましたら動画からどうぞご質問下さい。


なお、森川代表が今回【初級】と断っているのは、たとえば“会”について、「できる・できない」の表現以外に、たとえば;


明日は運動会。

これまでの練習の成果を発揮するチャンスです。

でも、彼は今日の練習で足をくじいて病院に行きました。

果たして彼は明日の運動会に「来るでしょうか?」。

と言うときの;


「彼は明日、来るでしょうか?」


を表現する中国語として;


“他 明天 会 来 吗?”


の“会”があります。


このように中国語の文法(と言うか表現方法)を理解するのはやっかいです。

理解するには今回の森川代表の動画を見て、自分なりに理解しようとして、不明点を質問して、自分なりに考えて、そして、他の誰かに説明することができるように十分に練ることが必要かもしれません。


教えることは教わること: 老教師の素敵な教育論


森川代表も私も、人様に教える。と言うことをしていますが、それは同時に教わると言うこと。

これは日本語教師の笈川幸司先生も同じです。


こうして僕は自分の生き方を見つけた


また、大峯千日回峰行行者の塩沼亮潤大阿闍梨も同じだと思います。


人生生涯小僧のこころ


「実るほど頭を垂れる稲穂かな」


人様に教えると言うことは誰よりも謙虚で、学ぶものであることが肝要のようです。