※2015年2月24日の過去記事を再掲載してます。
私はもともと新潟市で生まれ育った人間です。
新潟で結婚し子供を産み、
そのままずっと大好きな新潟に住み続けるものだとばかり思っていたんですけど・・・
人生は何が起こるかわかりませんねぇ。
海が近く、
日本一の信濃川がすぐそばを流れ、
越後山脈がそびえる新潟の地。
私は自分の故郷が大好きです。
・:*:・(*´ω`*)
だから、まさか自分が新潟を離れる事になるなんて、まさに晴天の霹靂でした。
まだ娘の弥生も息子のジミーも幼子だった頃ですが…
その頃の私たち家族は、
必死に毎月やりくりして
どうにか食べているという、
ギリギリの生活レベル。
記事には書いていない
ヒドイ経験を色々と味わい、
たぶん私の人生において、
最も鍛えられた時期だったと思います。
ええ、それはもう徹底的に。
今までブログで散々、まぁ…
自虐的ってわけじゃないですが、
自分のことを最低とかゲスとか書いてきましたし、実際その通りだったわけなんですけど、
ただ、こんなヤミコめですが、
これでも頑張った時もあったのです。
自己満足と言えばそれまでですが。
実は私、その当時に地元で
『子育てサークル』を
立ち上げたことがありました。
めっちゃ似合わねぇヽ(゚∀゚)ノ
自分でもそう思うよ(笑)
なんでそんなメンドクサイことを自らやったのかと言いますと、まぁ当然理由があるのです。
それは、虐待防止 です。
…てのは嘘で、
そんな大げさなことではないけど。
でも私にとって、他人事では済まないことでした。
それに、子供を育てている時の母親の心理的マイナス面。
「社会に参加出来てない落ちこぼれ感」や、「疎外感」…
育児中にこれを感じたことがあるのは、たぶん私だけじゃないと思います。
来る日も来る日も、
怪獣のようなパワーの子供と、
片時も離れることができず、
誰かに子供を預けて遊びに行くことに、罪悪感を感じたり。
子供の表情やぐずり方は、
自分しかわからない時もあるからと、
安心して他人に任せられなかったり。
四六時中べったり一緒にいると、
自分だけがこの世界から取り残されたような、精神的な迷路に入りこんでしまう…
そうなってしまうと悪循環で、
ストレスの矛先は子供に向かいます。
でも感情的に子供を怒った後、
盛大に後悔して、
自分が嫌になってイライラしたりして…
そのイライラを、仕事で疲れて帰って来たダンナにぶつけちゃう場合もあるのではないでしょうか。
(ないわきゃないだろ~)
とはいえ、私ごときが
たかが小さなサークルを立ち上げたくらいで、誰かの虐待を止められるとか、
そんなおこがましいことを考えたわけじゃなくて
同じような状況の者同士、
悩みを言い合ったり情報交換したり、
良いストレス発散の場があれば、
育児ノイローゼや夫婦喧嘩も少しは減るのではないかな、と考えたりして。。。
そしてそれが、
小さな子に母親が八当たりすることを減らすきっかけの一つにでもなったなら、
もうそれだけで御の字だとも思っていました。
幼な子を2人抱え、生活は困窮し、
毎日を食いつなぐことだけで精一杯。
ホントにホントに大変な時期でしたが、
あの時はそれでも、
何かせずにはいられなかった。
同じ地域に住むママさんたちと交流を図るため、日々孤軍奮闘していました。
近くの地区センターを借りる段取りや、
回覧板にチラシを入れてもらう手配や、
メンバー集め。。。
やることはたくさんあります。
ある時。
自治会長さんや副会長さんのお宅に、
ご協力のお願いに行かなきゃいけない時がありました。
地域で発足し継続させていくためには、
色々と挨拶や手続きや段取りがあります。
死ぬほどめんどくせーなと思ったけど、
避けては通れない道なのです。
小さな弥生の手を引いて、
ジミーを背中におぶって、
会長さんのお宅に行って、
必死にお話をして…
緊張しながらも頑張って
ご協力をお願いしたのですが、
結果的には断られてしまいました。
落ち込みそうになるのを必死にこらえ、
次に副会長さんの家に行きました。
だけど、やっぱり断られました。
あの時は、本当にへこみました…
(´;ω;`)
一生懸命であればあるほど、
誠心誠意を尽くして頼めば頼むほど、
断られた時のショックは大きかった。
なにも悪いことをしてるわけじゃない。
育児サークルの活動を広めたいだけなのに… と。
なんでわかってくれないのかな。
そもそも私、なんでこんなことやってんだろう。
一銭の得にもならないどころか、こんなに疲れ果てて…。
帰り道の途中、
トボトボと弥生の手を引きながら、
思わずボソッとつぶやいてしまいました。
「弥生ちゃん、おかあさん、また断られちゃったよ… やだなぁ…」
そうしたら、まだそんなに上手く喋れない弥生が、こう言いました。
「おかあさん、大丈夫だよ♡
(*´▽`*)また頑張ればいいんだよ…」
そうニッコリ笑いながら、
小さな手で私の手をギュッと握りしめてくれたのです。
私はその時、
ものすごい衝撃を受けました。
しゃがみこんで思いっきり、
弥生を抱きしめました。
小さな弥生のあたたかい手。
無邪気な笑顔。
今でもあの時のことは忘れません。
涙が次から次へと溢れてきて仕方がありませんでした。。。
その後。
もう一人、別の副会長さんのお宅に行きまして。
事の経緯をお話したら、
自治会長さんに口添えをしてくださり、
最終的に、なんと自治会の皆様から
色々ご尽力頂けるようになりました…!
本当にありがたいことでした。。
それからは少人数ながらも、
育児サークルを毎月開催することができました。
毎回企画を考え、
会費からおやつを買い、
準備をし…
しかも中には、
「自分には子供がいないけど、ぜひ一緒にお手伝いをさせてほしい」
と、申し出てくれる方もいらっしゃいました。
そして、
一緒に設営を手伝ってくれたり、
メンバーの方への連絡等を手伝ってくれました。
私は本当に恵まれてたと思います(;ω;)
よく、「子供の親孝行は3歳までに終わってる」と言いますが、確かになぁと思います。
子育てしてる時って、
「手がかかるだけ」
「世話で大変なだけ」のようですが、
本当はどれだけ子供のしぐさや笑顔に救われているか…
一番大変な時ですが、
一番楽しい時だと思います。
まぁ何でも表裏一体なんでしょうね^^
私もあの時の弥生には、アンパンマンの顔半分以上の勇気をもらったと思います(´ω`*)
現在はもう娘も25歳
あの可愛いのはどこ行ったん!?
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