如春園で美味しいカレーを食べた後は
板橋の別邸巡りへ
明治の元勲 山縣有朋(1838-1922)の別邸
「古稀庵」
明治40年(1907年)70歳の時に構え、晩年古稀庵で過ごし83歳で薨去
目白 椿山荘(明治11年•1878)
京都 無鄰菴(明治27-29•1894-1896)
総総面積 約11,630㎡、 庭園は4,600㎡
「流水」「自然」を重視して造られるのが
山縣有朋庭園の特徴
滝を造るために、約1,300tの水を蓄えられる荻窪用水の貯水池(風祭632)と「山縣水道」と言われる約1,300mの私設水道を作ってしまうこだわりっぷり!
Googleの地図で見ると相当大変な水道工事だったろうなと思うわっ
横浜の三溪園(明治39年•1906)を造った原富太郎(1868-1939)が訪れた時に
「三溪園の滝に比べて、流れの響きに生命が感じられない」と評され
山縣より30歳も若い原に言われ、相当口惜しがったらしい 笑
古稀庵は日曜日のみ公開で
見れませんでした〜残念
更に山側に行った所にある
「皆春荘」(明治40年•1907年)
小田原市板橋852
公開日 木〜日祝日 11:00〜15:00
主屋入室時間 13:00〜14:00
元は、清浦奎吾の別邸だったのを
大正3年(1914)古稀庵の別庵として編入した当時場所に残る唯一の建物
アプローチが良いですね🍁
ガラスも当時のまま
景色が良い場所と広い庭園と家
庭園は、山縣有朋が造ったそうです
古稀庵ほどの大きな滝ではないけど
やはり水の流れがあったそう
相模湾と箱根山の眺望
板橋良い所だなー!
以前行った清閑亭も明治39年に建てられたのね。3月末で一般公開終了だって
大倉財閥の創始者
現在は封鎖されています。
中が気になる〜〜!!
大正9年(1920)
10,000㎡余りの敷地に、3500坪の広さの京都御所を模した庭園があり、御殿風の建物は関東大震災でもほとんど被害がなかった堅固な別荘建築だそうです
大倉喜八郎死後、主婦と生活社創業者の大島秀一社長が買い取り、割烹旅館として営業していたと言う記事がありました。2012年6月休業。
暗殺がある時代、護身用に堅固に造られたなど興味ありますね。
相当スゴイぞ。。。!
どなたか、国登録有形文化財の建物、
現状維持で有効活用してもらえますように
貴重な歴史的文化財が壊されません様に
次は松永記念館へ
日本の電力業界の実業家
ここも敷地広いー!
国登録有形文化財の、茶室「葉雨庵」や
老欅荘など、歴史的建造物が無料で見れます
平安時代の長岳寺の五重石塔や歴史ある石造物も見所あり
奈良 長岳寺の石橋や、石燈籠
桜、梅、藤、睡蓮などなど🌸🌼
高台に老欅荘と無住庵があります
降り龍の石像(年代不明)
益田孝(鈍翁)邸にあったものを移築
こんな石像見た事ない
(ちょっと雑••古い石像か?)
天から降臨した龍は
縁起が良いとされています
三井の創業者の邸宅に飾られてたなら
凄い石像なんだろうな••
昭和21年(1946)埼玉から移住する為に
建てられた家と茶室🍵
地味に楽しい茶室見学
昔の建築は造りが面白い!
柳瀬山荘内にあった築200年の農家の古材が使われ、素朴で田舎の風情ある「無住庵」
2020年に移築復元されたばかり
↑奈良時代 8世紀
播磨国国分寺塔心礎が普通に置いてある!
小田原で茶人の文化があったなんて
知らなかったな〜🍵
「利休以来の大茶人」と評された益田孝が、明治39年(1906)に約2万5千坪の「掃雲台」(現在跡形もなし)を営んだ事から多くの軍人、政治家、実業家が小田原市板橋に居宅や別邸を建て、近代茶人文化が興隆しました
財を得た人は茶人になるのか?
急坂登って
三の丸外郭新堀土塁まで来ました
ここは歴史好きな人は大好きでしょう
10時〜15時まで開放してます
関東ローム層の堀に落ちたら
滑って登れない!