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「死に至る地球経済」書評とノート

「死に至る地球経済」浜 矩子 岩波書店 2010/9刊 本体500円


タイトルが悪いと思うが、さすが浜氏の鋭い見識とやさしく物事を解説する才能があふれた本だ。評価は、☆5つ。学生や社会人で金融経済に少し疎い人でも十分に理解できる内容で、ぼんやりとしていたものを鮮明に見せてくれる技は素晴らしい。


章を追って核心部分を記録する。


第1章 ビッツバーグからトロントへ--G20サミットの苦悩にみる政策主導型成長の限界


G20は、2008年11月のワシントン開催を初回として、2009年4月ロンドン、2009年4月ビッツバーグ、2010年6月トロント、2010年11月ソウルと開催されてきている。


トロント・サミットの共同宣言の「最近の出来事は、財政の持続可能性確保の重要性、ならびに我々の各国が、財政の持続可能性を実現するために各国の状況に即して差別化された、信頼に足る、適切な段階を設けた、及び成長に配慮した計画を策定する必要性を強調した」(外務省訳。以下同じ)という部分に着目。


「成長に配慮した計画」は、英文原典では、"growth-friendly plans"となっているそうだが、著者はこれを「追い詰められると、かくも人間は様々な奇策・妙案を思いつく」(P8)と意地悪い見方をしている。


前回のピッツバーグ・サミットの共同宣言では「本日、持続力のある景気回復が確保されるまで、我々の強固な政策対応を維持することを誓約する。・・・我々は、刺激策の時期尚早な撤回を回避する。同時に、我々は出口戦略を準備し・・・」と気合いを入れてコミットしていたときとの対比を指摘。


このトロントの苦悩は「幾つかの主要国が同時に財政調整を行うことは、回復に悪影響を及ぼすリスクがある。必要な国で健全化が行われないことが、信認を損ない、成長を阻害するリスクがある。このバランスを反映し、先進国は、2013年までに少なくとも赤字を半減させ、2016年までに政府債務の対GDP比を安定化または低下させる財政計画にコミットした」


という、こちらを立てながらあちらも立てようとする共同宣言の文章運びには、涙ぐましいものさえ感じる(P12)と。


第2章 ソブリン・ショックの脅威--財政恐慌がやって来る


ここでは、著者の英語の慣用句⇒It's all Greek to me を紹介しながら、アリ国のドイツとキリギリス国のギリシャの対立が、ギリシャ危機・ユーロ危機で鮮明になったと。


「今日の状況は相当に切迫している。国々の資金繰りが行き詰まり、そのおかげで世界の金融市場が混乱し、株価が下がり、為替市場が大きく揺れている。


・・・グローバル時代における恐慌は、いったん始まってしまえば国家の財政によって抑え込むことが出来るスケールを遥かに越えて広がっていき、やがてはレスキュー隊を遭難させる」(P20)


第3章 終焉間近の基軸通貨体制--通貨戦争から神々の黄昏へ


トリフィンのジレンマ⇒基軸通貨は、世界で使われるのだから供給不足は困る。一方で、出まわりすぎると値打ちが下がってしまうので、基軸通貨としては困ったことになる を紹介しながら、


ワーグナーの「ニーベルングの指輪」の第3幕「神々の黄昏」のように、現在のブレトンウッズ体制の終焉を予言。その後の展開については、


「金本位制への復帰も、極めて考え難い。・・・歴史は繰り返すことはあっても、後戻りは出来ないものだと思う。21世紀には21世紀的解答が必要だ」(P30)としているが、


解答としては、地域通貨とケインズが提唱したバンコール(BANCOR)という概念に近い共通通貨を示唆しているにとどめている。


第4章 再暴走か、大縮減か--リーマン後のグローバル金融はいずこへ


⇒最近のEUのストレステスト、米国の金融制度改革について紹介。詳細略。


第5章 中国は救世主になれるか--20世紀と21世紀の狭間で


注目点を2つ提起。ひとつは、リーマンショック後の政策対応。これは景気落ち込みに対して、古典的なインフラ整備⇒20世紀的なもの


もうひとつは、中国津々浦々で突如として沸き起こった労働争議問題。外資系企業で2010年5月ころから目立ち始めた。工場労働者が自殺する事件も。中国の労働者には、スト権が認められていない。労働組合は「中華全国総工会」という政府公認のものしか認められていない。


この組織は、労働者のために働くというよりも、行政組織に近いと著者はみているが、21世紀的豊かさを目の当たりにしながら、20世紀以前的労働環境に甘んじなければならない人々が「逆襲」を始まっていると(P50)


また、「成長の一輪車経済問題」と「中国の中の地球問題」が浮かび上がってくる。前者は容易に理解できるが、後者は、中国が「世界の工場」だと評されてきたが、これまでのイギリスやアメリカと最も違う点は、


これまではの「工場」は立地拠点の資本と経営によって切り盛りされてきたが、中国の場合は非中国資本が大きな役割を果たしてきたこと。この実態こそが、グローバル時代とこれまでの違いが表れている。(P53)


このような歪みを抱えている中国もまたヒーローとなりえず、「突出した強さで『パックス何某』的リーダーシップを発揮する散在が無い中で、いかに助け合い支えながら新しい夜明けの扉をこじ開けるか。それが地球経済を死から救う共同作業のテーマなのだ」(P54)と結んでいる。


第6章 そして日本は?--今、目指すべきこと


著者の見解は「経済活動というものが成長と競争と分配の3つの要素から成り立っているとすれば、現状において最も弱くなっているのは分配の側面だ。日本を覆う豊かさの中の貧困がそれをよく示している・・・


いわゆる社会的セーフティーネット、つまり総合的・多面的な社会福祉政策の安全網を構築するということが鍵だろう」(P59)という見立てである。現在の「成長戦略」ではなく、成熟戦略を編み出すことができれば、結果的には、成長もそれなりのペースでついて来るはずなのである」(P60)


エピローグ 2つの黄昏から新たな夜明けへ


ビスマルクの「政治とは、可能性追求の技である」と、ガルブレイスの「政治は可能性追及の技にあらず。それは選択の技である。選択肢は、悲惨なるものと耐え難きもの。2つに1つだ」を引用して、


「企業経営や個人の日常についても、ガルブレイスがいう「悲惨なるもの」と「耐え難きもの」との間の選択問題が厳しく我々につきつけられているといえるだろう。」(P62)との認識を示し、


「耐え難きを堪えることで耐えることで不可能を可能にし、そのことによって悲惨な結末を回避する。そして黄昏の向こう側にある新しい時代の新しい夜明けを迎える。そこに到達するための英知が、今、我々に求められている。それが、リーマン・ショック2周年の今、我々が受け止めるべき歴史的メッセージなのだと思う」(P63)


は、エピローグにふさわしい時代認識だと思う。著者の卓見に拍手したいところだが、現実的な具体策を提示し、実行するのは本当に難しいと感じた。

以上。


<以下は学生諸君のための脚注と参考情報>

◎G20の参加国⇒米国、英国、フランス、ドイツ、日本、イタリア、カナダ=以上G7

ロシア、EU、中国、韓国、インド、アルゼンチン、インドネシア、オーストラリア、サウジアラビア、トルコ、ブラジル、南アフリカ共和国、メキシコ 以上


◎ソプリン・ショック ⇒国家の財政破たんによって経済が大混乱を起こすこと。


◎バンコール ⇒IMFが設立されるときに、ケインズが提唱した新たな世界共通の決済手段。バンクは銀行、コールは「金」のこと。金でもなく、特定の国民通貨(例えば、ドル)でもない世界に共通する決済・清算単位を提唱したが、米国の反対で日の目をみなかった


◎地域通貨 ⇒特定の地域だけで流通する決済手段。日本でも各地で地域通貨の試みがなされている。





 

今日、ホームレスになった

「今日、ホームレスになった」平成大不況編 増田明利 彩図社 本体1200円


「すべての幸福な家庭は、互いに似通っているが、不幸な家庭はどれもがそれぞれの流儀で不幸である(トルストイ 「アンナカレーニナ」)」という格言を引用するのは初めてだが、本当にそんなことを実感させるホームレスの取材記である。


著者は、ルポライターを兼職しながら、ホームレス支援者やNPOとの交流を続けているという。同じ出版社から、「今日、派遣をクビになった」「今日から日雇い労働者になった」などの本を出している。


ホームレスになってしまうきっかけは、「それぞれの流儀で」いろいろだ。中高年への取材が多いが、「ヤングホームレスの素顔」という章もある。


読んでいて当然にして暗い気持ちになるが、評者が若かった時代には、これほど簡単に、真面目な人達がホームレスには転落しなかったことだけは言える。日本は本当に豊かになったのだろうか。セーフティネットがますますボロボロになっているのではないか。


一方で、例えば、派遣労働の規制緩和を声高に唱えていた輩は、ヌクヌクとした場所から、未だに「自己責任論」をこうした層に刷りこもうとしている。その「功」あって多くの人達は、自分を責め続け、当然の権利としての生活保護も申請できない状態だ。


章のあいだに、「横浜ディープタウン"寿町"の歩き方」や「ホームレスこぼれ話」などが適度な長さで挿入されており、得られる情報は多様である。ただ、著者は寿町を今回初めて訪れたとあったが、ホームレスの取材をしているというには、なんだか違和感がある。


「ホームレスこぼれ話」では、自治体などから排除されつつある実態や、ホームレスを利用した悪徳ビジネス(?)の手口まで紹介している。


そんなこんなで、要望したいこともあるが、生の声を取材した努力は高く評価したい。ということで、評価は☆4つ。


ところで、トルストイの格言を探していたら「名言集および格言集」というホームページに出会った。http://www.oyobi.com/maxim01/01_31.html

なかなか有用なサイトだと思ったので付記しておく。

以上

企業の不条理

企業の不条理 「合理的失敗」はなぜ起こるのか 菊澤研宗 編著

中央経済社刊 2800円本体価格  2010/10/25発行


当初、CSRを考えるうえで参考になる本かと思って読んでみたが、ちょっと違うようである。


本書の狙いは、裏表紙にある次の文で要約されている。すなわち、


「人間は完全に合理的でもないし、完全に非合理的でもない。限定合理的なのである。このような限定合理的な人間観に立つと、人間組織は常に合理的に失敗する可能性があることがわかる。つまり、不条理に巻き込まれる可能性があるののだ。


企業の不条理現象をめぐる分析は、これまでほとんどされてこなかったし、なされたとしてもそれは単に非合理的な現象あるいは馬鹿げた現象として処理されてきたにすぎない。


しかし、そのような企業現象は決して馬鹿げた現象でもないし、非合理的な現象でもない。また、運が悪くて起こっているのでもない。合理的に起こっているのである。」


とあり、第一章で編著者の菊澤氏が「不条理現象の理論」において、理論的な基礎を提供している。


「新制度学派と呼ばれる取引コスト理論、エージェンシー理論、そして所有権理論、そして最新の行動経済学の中心理論であるプロスペクト理論によって不条理現象を分析できることを明らかにした。


これらの理論によれば、人間の合理性と効率性と倫理性(正当性)は必ずしも一致するわけではない。このような不条理は人間の非合理性ではなく、むしろ合理性によって生み出される現象なのである。このような不条理が、現代企業をめぐって数多く発生していること」(P18)を明らかにしようというのが本書の構成である。


そもそもこの本がどのような経緯で一冊の書にまとめられたか、明らかにされていないのは、読者に対して不親切だと思うが、菊澤氏の導きにより、弟子ないしそれに近い実業界等に身を置かれている方々が、分担して企業の不条理の各側面を、取引理論等を使って解明しているのである。


以下に、企業の不条理分析の章建てを示す。

1章 女性就業 2章 銀行業界 3章 エレクトロニクス産業 4章 防衛産業 5章 天然ガス産業 6章 海外電子力 7章 財務構造 8章 会計士監査 9章 モニタリング強化 


各論すべてを詳細に検討したわけではないが、若干のコメントを加えたい。


2章 銀行業界 については、バブル期の銀行貸出について、「不動産関連取引=相対的取引コスト小」 によって融資集中⇒不適切なリスクテイク というロジックで説明されている。


ただ、この説明はものの一面しか見ていない。


当時の銀行貸出行動は、非不動産貸出が、優良大企業の脱銀行借り入れという需要低迷に陥ったことを背景に、受動的に選択されていった側面が強い。


もちろん、不動産関連融資が、貸出収益だけでなく、不動産仲介にかかる手数料など、派生的な収益も生み出していたことが、銀行行動に拍車をかけたことは間違いのないところである。


また、さらに重要なことは、当時の銀行融資の世界では、個別案件の適切な審査の結果として生まれる貸出ポートフォリオ全体も「適切であるはずである」という暗黙の前提があったことも指摘されるべきであろう。


つまり「合成の誤謬ならぬ、合成の合理性」という思考回路が伝統的な銀行融資の世界ではあり、貸出ポートフォリオ全体をみて、業種リスクの偏りや取引形態(この場合は不動産担保)の偏りをチェックする機能や思考がなかったのである。


結果として、過剰なリスクをとることになり、不良債権問題を引き起こしたことはいうまでもない。


第三部(7-9章)の「企業統治の不条理」は、CSRという観点からは一番興味があったが、残念ながら、エージェンシー理論を適用すれば、これらの問題も説明できるという試論レベルであり、コーポレート・ガバナンスの今後の在り方を示唆するところまで、各論考が達していないことには、失望感を正直隠せない。


たとえば、第9章の

「例えば、社外取締役の導入は、外部の目から企業の経営陣をモニタリングすることで監視を強化することを狙ったものであるが、経営陣の行動の監視の強化が、そのまま直接に、収益の向上といったような企業パフォーマンスの改善に結びつくのだろうか」(P220)といった疑問はその通りだが、


とりあえず、企業のパフォーマンスを財務的な収益という指標に置くのではなく、不祥事発生による財務・レピュテーションリスクまで視野に入れて議論すべきだということを指摘したい。


さらに、CSRの向上を期待するスーテークホルダーの観点からは、「どのような企業行動のモニタリング・メカニズムが望ましいのか」という点に、実務家の関心が集まっていることも指摘しておきたい。

以上