今から1200年以上前、大神神社(三輪明神)の大神主であった大神朝臣狭井久佐(おおみわのあそんさいくさ)の二子穀主(たねぬし)が、 神社周辺で素麺原料の小麦栽培を奨励し、麦縄(素麺の原型)づくりを始めたと伝承されております。
肥沃な大和盆地で産する小麦を、三輪山から流れる川を利用した水車で粉を挽き、それを加工していたことは確かで、室町時代頃には現在のような細い素麺があったと考えられます。
三輪山麓に湧き出る水は、「山美しく緑濃いところ水もまた清く澄む」といわれ、「不老長寿の霊水」と古くから信じられておりました。
三輪素麺の品質が優れているのは、この良質の湧き水と、三輪の気候風土が細く長く延びる麺用の小麦を育てるのに適していたからです。
平安時代には殿上人だけが口にできた高貴な食べ物として賞味され、室町時代には、僧侶、武士の階級にまで広がりました。
一般民衆が口にするようになったのは江戸時代に入ってからで、農閑期のレジャーとしてお伊勢参りが流行し、その宿場町・三輪で食べた冷たい素麺の味が故郷に帰っても忘れられず、 三輪に製法を習いに来ては諸国にその技術を持ち帰って、播州、岡山、小豆島、阿波半田、島原等の日本各地に素麺の生産地が形成されたと言われています。
このように三輪素麺は、手延素麺の元祖であり、日本最古の加工食品とさえ言われております