このジョイネルが気象観測の必要性を建議し、明治6年5月工部省測量司は気象台を設けることを決めて、ロンドン気象台長に気象器械のあっせんを依頼しました。
マクビーン自身も測量器械購入と測量技師招へいのため、測量正河野通信に随行して渡英しました。
マクビーンはフランスからイギリスに帰化したシャーボー(H.Scharbau)の日本招へいに成功し、そのシャーボーに気象器械の調達を依頼しました。
シャーボーは15か月間にわたりイギリスで各種器械の購入にあたり、明治7年7月それらの器械を携えて来日しました。
シャーボーは「日本は地震が多いと聞いたが、測点が移動しては困る。
日本で測量をするにはまず地震観測が必要だ。」と考え、イタリア製の地震計を気象器械とともに持参しました。