ここの祭礼には賭博が開帳されたりして、一時はたいへん賑わったようですが、明治時代に賭博が禁止され、浅草の鷲神社の方へ、客をとられたようです。
鷲神社の本社は境市鳳北町の大鳥神社とされています。東京にも末社がたくさんありますが、浅草の鷲神社、新宿の花園神社、北品川の荏原神社などは有名です。
「とりのまち」ともいいますが、まちは町とか祀るが転じたものとか、「庚申待ち」「二十三夜待ち」と同じように、お日待ちの意味とも言われています。
酉の日は、だいたい二回、年によっては三回あります。初酉を一の酉、次を二の酉、三回目を三の酉とよびます。
しかし、一の酉が重視され、お酉さまと言えば、一の酉をさしています。
もともと鷲神社は、武士に信仰されていたようですが、江戸庶民の間では、「とりこむ」に通じるから縁起がよく、開運の神様とされていました。
浅草の鷲神社は吉原遊廓に近いこともあって、数十万の参話者があったといいます。
また、三の酉まである年は火事が多いと言われていました。
これは、旦那を吉原通いから遠ざけるためという説がありますが、そのほか吉原遊廓に異変があるとも言われていました。