首に巻くマフラー。 | 女浪士 あずみ

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15世紀頃にヨーロッパで女性が顔の下部を覆った四角の白い布を「マフラー」と呼んでいたことに起因するという説が一般的です。その後17世紀に、「マフラー」から「クラバット」といわれる今の「ネクタイ」の原型になったものが誕生しました。 

フランス革命の時代には、「マフラー」は黒い布で顎から首を巻き付けるといった、現在のスタイルに近いものになりました。この頃から、カシミヤ製のショールや動物の毛皮の襟巻きが防寒具として普及し始めました。19世紀になるとショールが一般人にも普及し始め、レース等の装飾性の強いものが人気でした。 もともとは、女性の顔を覆うための布であった「マフラー」。

今では「マフラー」の利用目的は、防寒であるのに対し、昔は「戦場での目印」や「包帯」などの様々な用途で使用されてきました。最終的には現在のように「防寒具」として、世界中の人々に年齢や性別を問わず愛用されています。


日本にいつ頃「マフラー」が伝わったのか、はっきりした記録はありません。日本では「マフラー」のことを長い間「襟巻き」と呼ばれていました。

古い文献によると、1461年にアニメでおなじみの「一休和尚」が詠んだ歌に「襟巻」という記述があることから、この時代にはすでに防寒具として「襟巻き」が普及していたことが分かります。 しかし、この時代から「襟巻き(首巻き)」という防寒具はあったようですが、首周りだけを温める「襟巻き(首巻き)」は発達しませんでした。日本では古来より、首周りの保護に関しては「頭巾」や「手ぬぐい」が用いられていました。 

明治時代に入り、西洋諸国との交流が本格してから、肩掛けと呼ばれた「ショール」がもたらされました。そして1873年に初めて毛皮の襟巻き「マフラー」が販売されました。それ以降、「ショール」は防寒具として流行し、様々な大きさや色のものが販売されるようになりました。 年間気温の変化が非常に大きい日本で、首元を温める「マフラー」は、このように古くから多くの人に愛用されてきました。