牛肉 豚肉。 | 女浪士 あずみ

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牛と人間の関わり合いは、先史時代までさかのぼることが可能です。石器時代の壁画に牛を描いたと思しきものがありますし、また、牛を労働力として活用し、崇拝する文化は、地中海やアラビアなどに色濃く残っています。「幻の大陸」と呼ばれるアトランティスも、牡牛を崇拝する文化を持っていました。アルファベットの「A」の文字は、財産としての牛の角を表した文字であったとも言われています。
ただ、この動物を崇拝するばかりで食べていなかったのかと言えばそんなことはなく、3000年前には既に古代エジプトで牛を食用として扱う文化が始まっていたと言います、当時の壁画に、牛を解体し食べる様子が描かれたものがあります。恐らく、それ以前にも、牛を生け贄として、あるいは珍味のたぐいとして食べる文化が発達していたのではないかと思われます。


日本でも、2000年前には牛を殺して食べる文化が既に存在していました。当時の日本人は意外に肉に対して旺盛だったようで、貝塚からは牛のほか、イノシシ、ウサギ、鹿、サル、イルカなどの骨が見つかっています。

ものの本によると「日本は仏教国だったので、人々は牛肉を食べることはなかった」と書かれていますが、それは厳密に言えば間違いで、決して表立った形ではありませんが、牛肉食そのものは、仏教伝来後も連綿と続けられていました。

それが転換したのは7世紀に入ってからで、このころから日本は突如「肉抜き」の文化へとシフトするようになります。西暦675年(天武天皇のころ)には初めての肉食禁止令が出ていますし、同じく741年(聖武天皇のころ)には「牛馬を殺した者は杖で百叩きの刑に処す」という命令が発布されています。

こうした命令が出るようになった背景には、仏教が政治権力と結びつくようになったことが関係しているのかも知れませんが、それ以上に、農業が発達し、あえてたんぱく源を肉に頼らなくても済むようになったことの方が大きいのではないかと思います。

ただ、完全に牛肉食を駆逐することはできなかったようで、さまざまな形で肉食そのものは続けられました。安土桃山時代に日本へ来たポルトガルの宣教師ルイス・フロイスも、「僧は表向きは肉など食っていないと言っているが、裏では結構食っているらしい」と書き残しています。