ビリケンさんは通天閣観光が所有する資料によると、誕生は1908(明治41)年。作者は米国の女性芸術家、フローレンス・プリッツ(E・I・ホースマン)、当時の大統領のウィリアム・ハワード・タフトのウィリアムの愛称「ビリー」に、小さいを表す接尾語「-ken」を加えたのが名前の由来とされます。
しかし、異論も多数。当時の認識では、足を突き出す座り方はアフリカ人、顔立ちは東洋人がモデルで、足の裏をかいて笑えば願いがかなう福の神とされました。
日本への輸入は明治42年から翌年にかけて。家内和合、商売繁盛の神として日本中の花街を中心に流行したと言います。
初代ビリケンさんが大阪に登場したのは明治45(1912)年。新世界に通天閣とともに開業した遊園地「ルナパーク」にあったホワイトタワー内に設けられた「ビリケン堂」で展示されていたと言います。
昭和54年に二代目ビリケンさんが登場。通天閣の展望台に鎮座し、御利益があるとして〝足の裏〟をなでる人が後を絶たず〝足の裏〟のすり減りなどが進んだため、平成24年5月、通天閣並びに新世界100周年を記念して新たに三代目ビリケンさんが新調された。三代目ビリケンさんの中には金のビリケンさんでビリ金さんも納められています。
通天閣の展望台で、真っ先に迎えてくれるのが、幸運の神様、「ビリケン」さん。笑っているのか怒っているのか。不思議な表情と、愛嬌あるポーズが人気で、いつもお願いする人が絶えません。
通天閣にビリケンがやってきたのは、1912年(明治45年)の事。
新世界の遊園地ルナパークにビリケン堂が造られ、当時流行していたビリケン像が奉られ、新世界の名物になりました。
しかしビリケン像はルナパークの閉鎖とともに行方不明になってしましました。
時は変わって1979年(昭和54年)、通天閣に「通天閣ふれあい広場」をつくる際、かつて通天閣の名物であったビリケンを復活させることになり、1949年(昭和24年)に田村駒が作っていたビリケン像を通天閣に貸し出し、盛大なイベントが行われたのです。
またそれをモデルに作られたのが二代目のビリケンであり、新世界に「お里帰り」したのでした。