「国宝・高松塚古墳壁画」修理作業室の見学 | ドット模様のくつ底

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昨日、参加申し込みをされた人に
お誘い頂き、

「国宝 高松塚古墳 壁画」

修理作業室の公開に参加してきました。




文化庁HP 高松塚古墳・キトラ古墳 関連

平日ということもあって、昨日は
当日受付もされていました。

※ラスト二日(25、26)は土日なので当日受付はないかもしれませんが二次募集は行われています。
 詳しくはHPで


ここからは長文になりますが、
高松塚古墳について簡単にまとめておきたいと思います。


高松塚古墳とは?】

7世紀末から8世紀初めに築造された石材の古墳です。

直方体の石室は、16枚の凝灰岩(ぎょうかいがん)という石材の
切石を組み合わせて加工し構成されています。


高松塚古墳は、昭和47年3月に、
橿原考古学研究所の調査により発見されました。

その後、昭和49年に国宝に指定されています。




【石室内はどうなっているの?】

天井、北壁、東西壁、南壁、床で構成され、直方体のような形になっています。


天井部には「星宿図」(せいしゅくず)が描かれています。

これは、遡ること二千年以上前の中国における
司馬遷の『史記』や、『礼記(らいき)』などにみられる
陰陽五行思想(おんみょうごぎょうしそう)に基づいて
描かれているものです。



この天井部の星宿図には、

中央に天帝(てんてい)が置かれています。
これは北極星です。



そして

北に北方七宿、
東に東方七宿、
南に南方七宿、
西に西方七宿、

と、四方に七宿(ななしゅく・七つの星座)ずつ分け、
合計二十八宿が、丸い金箔で星を点で、
それを朱線でつないで描かれています。


この四方を象徴するのが壁に書かれた「四神(しじん)」です。

星を鳥獣に見立てて具象化したものが
それぞれの方角の守護神となっています。


北壁には    「玄武(げんぶ)」
東壁中央には   「青龍(せいりゅう)」
南壁には    「朱雀(すざく)」 (鎌倉時代に盗掘に遭い図像が見られません)
西壁には    「白虎(びゃっこ)」

東の壁画、中央・青龍の上には日像(にちぞう)が、
西の壁画、中央・白虎の上には月像(げつぞう)が置かれています。

日は東壁中央上に金箔で、
月は西壁中央上に銀箔で描かれています。

これは何故なのかと思い、
学芸員さんを呼んで下さり、解説して頂いたことによれば、

陰と陽の思想に基づき、

陽は東で 日を表す金で表現し、
陰は西で 月を表す銀で表現したものだそうです。


学芸員さんにこの質問以外のことも含め、
十五分くらい解説をして頂きました。
感謝です。



【壁画はどのように書かれているの?】


高松塚古墳の壁画は、
大陸の絵画技法を用いて、
いずれも凝灰岩(ぎょうかいがん)という石材の表面に
厚さ数ミリメートルの漆喰(しっくい)を塗ったキャンバス上に
鮮やかな色彩で描かれています。



↑高松塚古墳を上から見た図です(「高松塚古墳壁画館」パンフレットより)

このような配置です。
中央に被葬者の棺が安置されていました。

東壁と西壁には、中央に安置された人の従者として、
それぞれに男子群像、女子群像が描かれています。

この女子群像は「飛鳥美人」と呼ばれ親しまれていますね。



【被葬者は誰?】

高松塚古墳築造の時代は推定で
7世紀末から8世紀初めと言われています。

この時期に築造された古墳は「終末期古墳」と言われ、
その時期を転換期として皇族方の火葬がはじまります。

転換期としてわかりやすいのは、
天武・持統天皇陵(野口王墓・のぐちのおうのはか)です。

天武天皇は石室、その皇后・持統天皇は火葬され、
合併墓として祀られているのです。

こちらのお墓は高松塚古墳の徒歩圏内にあります。


被葬者として今一番有力視されているのは、

学芸員さんによると
天武天皇の第九皇子・忍壁皇子
(おさかべのみこ・『大宝律令』の編集をすすめた人物)とのことですが、

諸説ありますので、ご興味がありましたら

続く 「被葬者の謎解き」 被葬者論の総括 奈良新聞

をご覧ください。



石室内には、

天井の星宿図・中央に天帝が置かれ、
東西の壁に、四神や従者として男子群像・女子群像が
描かれるなど、

被葬者を中心とした小宇宙が広がっています。

これらのことからも、
被葬者の尊貴性を伺い知ることができます。

被葬者は、
位の高い皇族者であったことは間違いなさそうです。



【作業室では】

修理作業室の見学は、時間ごとに班に分かれていて、
指定時間になると、部屋に案内され、
奈良文化財研究所の人による事前説明がありました。

見学の時間となり作業室のある建物に案内されると、
窓ガラス越しに修理作業室が見えました。

そこには高松塚古墳を構成していた石材が、
天井・北・東・西・床など
それぞれのパーツごとに分けて置かれてありました。

私たちは
見学用通路からその作業室に置かれた石材の壁画を見学しました。

手前の見えやすいところには、
かの有名な「飛鳥美人」(西壁女子群像)や、東壁の青龍が描かれた
石材が置かれています。


人物群像は、どの像もすぐれた筆致で描かれてあり、
美術・絵画史上の作品としても高い評価を得ているものですが、

特に西壁に描かれた女子群像は色彩もわかり、
「飛鳥美人」を間近で見ることができたので感動しました。

壁画は、元の図像へと近づけるべく、
絵画を専門とする技術者による緻密な作業が進められています。





↑こちらは飛鳥資料館で1月26日(日)まで同時開催されています。

発見30周年記念・キトラ古墳壁画特別公開

キトラ古墳の「白虎」「玄武」が描かれた壁画が公開されていました。

土日は混雑しそうですが、
お時間ある方は是非、明日香村へ足を運んでみて下さいね。

(車で行く場合、駐車場は有料Pがあります)




それでは、今日も皆様が健康で幸せに過ごせますように。