『日本書紀』の第2巻にあたる神代下(かみよのしものまき)は、日本神話としてあまりにも有名な出雲の国譲りと天孫降臨から語り始めます。
物語の流れは一般的に次のように解釈されています。
(1)高天原(たかまがはら)にいた皇祖・高皇産霊尊(たかみむすひのみこと)は、孫の瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)を地上の主(きみ)としたいと考えた。
(2)しかし、そこには邪神が多くおり、平定する必要があった。そこで、神々を平定に差し向け、最終的に経津主神(ふつぬしのかみ)と武甕槌神(たかみかつちのかみ)が、大己貴神(おおあなむちのかみ)・事代主神(ことしろぬしのかみ)親子に地上の国を差し出させた。
(3)地上平定ののち、当初の目的通り、皇孫・瓊瓊杵尊を地上へ降臨させた。
私はこの物語を最初に読んだ時から、何かがおかしいと思っていました。みなさんの中にも違和感を覚えられた方が多いかもしれません。
それは、「出雲(いずも)を平定したのに、なぜ日向(ひむか)に天降るのか?」ということです。
『日本書紀』編纂時期は律令制の成立期でもあります。出雲は現在の島根県あたりであり、日向は宮崎県あたりだという認識は定着していたと思われます。
すると、この2地域は古代としては非常に遠く離れた地域です。物語には大きな矛盾があるのです。
その答えとして、そもそも「神代下冒頭の国譲りと天孫降臨は別々の話を融合したもの」であり、次のような経緯で成立したと考えるとすっきりと腑に落ちると思います。
まず、高皇産霊尊が葦原中国(あしはらのなかつくに)を平定して、高天原から統治者を送り込もうと考えます。これはつまり、領土の拡大を狙ったということです。ここでいう葦原中国は高天原の外側の地域全般を指すと思われます。
※私は高天原は卑弥呼を王として共立した女王国であり、その地域を九州北中部(九州山地以北)だと考えています。
この領土拡大作戦により、最初に平定したのは南九州でした。
そして、その地、日向に送り込まれたのが、高皇産霊尊の娘である栲幡千千姫(たくはたちぢひめ)と天忍穂耳尊(あめのおしほみみのみこと)の間に生まれた瓊瓊杵尊でした。
続いて平定されたのが出雲でした。
曲折を経て、最終的に経津主神と武甕槌神が大己貴神・事代主神親子に出雲を差し出させたのです。この出雲は、山陰から畿内までを含む広い地域だったと思われます。
そして、出雲に天降ったのは饒速日命(にぎはやひのみこと)でした。
饒速日命は大和の有力豪族である長髄彦(ながすねひこ)を取り込んでその地域を統治しました。
そのまま饒速日命勢力が順調に拡大して現代日本に繋がっていれば、出雲への「天神降臨(天孫ではなく)」神話が語られたのだと思います。
冒頭で高皇産霊尊が、「地上の主としたい」と考えたのも饒速日命ということになったはずです。
しかし、そうはなりませんでした。
日向へ天降った瓊瓊杵尊の子の彦火火出見尊が、日向から東征に出発します。
※私は彦火火出見尊が神武天皇であり、崇神天皇であり、すなわち初代天皇だと推定しています。
彦火火出見尊は、大和の地で饒速日命を帰順させて東征を完遂します。そして、初代天皇として即位し、現代日本の礎となるヤマト王権を誕生させるのです。
これらの事象を時系列に並べると、
(1)日向の平定
(2)瓊瓊杵尊の「天孫」降臨
(3)出雲(大和を含む)の国譲り
(4)饒速日命の「天神」降臨
(5)日向から大和への初代天皇東征
となります。
さて、それらの事象をまとめて日本の正史として成立させるにはどうすればよいでしょうか?
『日本書紀』編纂時の日本に繋がるヤマト王権を作ったのは初代天皇ですから、初代天皇が主人公となり、その血統が主流とならなければなりません。
ですから、本来なら(1)→(2)→(5)となるはずです。
ところが、(1)の伝承がほとんどなかったのだと思います。
平定当時の日向や高天原には残っていたかもしれませんが、小勢力で日向を後にした初代天皇勢力には系譜程度の伝承しかなかったのでしょう。
一方、饒速日命勢力にとって大和はホームグラウンドです。(3)と(4)についての詳しい伝承があったはずです。
それで、(1)の代わりに(3)が挿入されたのだと推測します。
もちろん、初代天皇に屈服して帰順した饒速日命の(4)は神代下の一連の物語に採用されることはありませんでした。
出雲の国譲りと日向への天孫降臨という矛盾が生じた理由は、以上のようなものであったと推測しています。
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