邪馬台国と日本書紀の界隈

邪馬台国と日本書紀の界隈

邪馬台国・魏志倭人伝の周辺と、まったく新しい紀年復元法による日本書紀研究についてぼちぼちと綴っています。

 6月の初頭に、某会で企画された吉備の遺跡巡りに参加しました。

 吉備は日本古代の最重要地域だと思っているので、とても楽しみにしていました。その期待通り、楽しく有意義な旅となりました。

 

 吉備はヤマト王権の成立に重要な役割を果たしました。神武東征によってヤマト王権が誕生しますが、『日本書紀』の記事を読めば、その主力は吉備だったとしか考えられません。

 当然、初期ヤマト王権の中枢には吉備の勢力がいたはずです。

 しかし、5世紀に入ると吉備の没落がはじまり、『日本書紀』編纂時点では一地方機関という扱いになってしまいます。それで、残念ながら吉備の栄光は隠されてしまったのだと推測しています。

 

 今回の旅でぜひ訪ねたかったのは、楯築墳丘墓です。

 楯築墳丘墓は双方中円形という珍しい形の墳墓で、全長は約80メートルで築造は2世紀末(案内板の解説より)と考えられています。

 

 

 墳丘には5個の巨大な石が立てられていますが、それが何を意味するのかは答えが出ていません。

 主要埋葬施設の木棺の底には32キログラムを超える水銀朱が敷き詰められていたようですので、その時代の吉備の王の墓であることは間違いないでしょう。

 

 2世紀末というと、魏志倭人伝が「倭国乱」があったとする時代です。

 邪馬台国九州説からすると、中国地方は「女王国から東へ千余里渡ると倭種の人々の国がある」とされる地域です。吉備もその国々のなかの一つだったと考えれば、「名もなき倭種の国」ということになります。

 

 それでは何か寂しいので、強引に『日本書紀』から探ってみました。

 

 本ブログでは、301年にヤマト王権が誕生すると考えていますから、楯築墳丘墓ができたのは、『日本書紀』では「神代」の時代ということになります。 

 神代に吉備は登場しませんから、手掛かりなし!ではありますが、さらに強引に考えれば、2世紀末は素戔嗚尊が生まれたころです。

 

 素戔嗚尊は出雲で八岐大蛇を退治して、奇稲田姫を娶ります。しかし、子供の大己貴神が生まれると、自身は「根国(ねのくに)」に行ってしまい、その後は行方不明となってしまいます。

 

 「根国」は一般的には死後の世界、冥界のことだと言われています。

 しかし、素戔嗚尊が実際に歩いて行ったのだとすれば、出雲から出発するわけですから、中国山地を越えた吉備だという想定も成り立ちそうです。

 

 楯築墳丘墓から見つかった初期の特殊器台(立坂(たちざか)型)と同時期のものが出雲の四隅突出型墳丘墓である西谷三号墓から出土しています。当時、吉備と出雲に交流があったことは確かなのです。

 

 そうであれば、吉備は当時いわゆる「根国」と認識されていて、楯築墳丘墓は根国の王の墓と考えてよいのでないでしょうか。

 

 

謎の旋帯文石(弧帯文石)

 墳丘墓上の楯築神社のご神体です。

 

 

他にも多くの古墳を巡ることができました。

造山古墳両宮山古墳、それに今回初めて知った摩訶不思議な石棺が埋まっていた鶴山丸山古墳などについて、動画にまとめました。ぜひご覧ください。

 

【古代史新説チャンネル】動画

吉備の謎~日本古代の最重要地域~

 

 

 

 

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