邪馬台国と日本書紀の界隈

邪馬台国熊本説にもとづく邪馬台国・魏志倭人伝の周辺と、一から始める日本書紀研究について
ぼちぼちと綴っていきたいと思います。


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 「魏志倭人伝」には倭国内の統治体制に関連して、「一大率(いちだいそつ)」という官職が登場します。一大率の「一」は一人という意味だとして、「大率」と考える説もあります。今回は、この「一大率」の在り方から、邪馬台国の位置を探ってみたいと思います。

 

 「魏志倭人伝」は一大率について以下のように記します。

 

自女王国以北 特置一大率 検察諸国畏憚之 常治伊都国 於国中有如刺史 王遣使詣京都 帯方郡諸韓国及郡使倭国 皆臨津捜露 伝送文書賜遺之物 詣女王 不得差錯

(訳)女王国〔邪馬台国〕より北には、特別に一人の大率(だいそつ)を置き、諸国を監察させている。諸国は大率を畏(おそ)れ憚(はばか)っている。(大率は)常に伊都国(いとこく)を治所とし、倭国の内で(の権限は中国の)刺史のようである。女王が使者を派遣して京都(けいと)(洛陽)・帯方郡(たいほうぐん)諸韓国に至らせるとき、および帯方郡が倭国に使者を送るときにも、みな(大率が)津(しん)で臨検して確認し、伝送する文書と、下賜された品物を、女王に届ける際に、間違えることのないようにさせる。(訳文は渡邉義浩著『魏志倭人伝の謎を解く』中公新書より)

 

 今年の7月に、全国邪馬台国連絡協議会の講演会で早稲田大学学術大学院の渡邉義浩教授のお話を聴くことができました。渡邉教授は『三国志』研究の第一人者です。教授は大和説ですので私とは結論は違うのですが、大和説の根拠の一つとして一大率が伊都国に置かれていることをとりあげておられます。教授の著書である『魏志倭人伝の謎を解く』から引用、要約させていただくと、以下のような論旨だと思われます。

 

 〈『後漢書(ごかんじょ)』に「刺史(しし)」についての記述がある。「建武十八年、復(ま)た刺史と為す。十二人は各々一州を主(つかさど)り、其(そ)の一州は司隷校尉(しれいこうい)に属す」というもので、十三州のうち、十二州は刺史を置いて監察させたが、一州だけは司隷校尉に属させたとされる。その一州は後漢の首都洛陽を含むいわゆる「首都圏」であった。つまり、首都圏には刺史ではなく、より強い権限を持つ別格の司隷校尉が置かれているのである。

 この司隷校尉と刺史の違いは、邪馬台国への使者も陳寿(ちんじゅ)らも常識として知っている。だから、邪馬台国が九州にあるなら、首都圏である伊都国に治所を置く「大率」(「一大率」ではないのは渡邉教授が一人の大率と考えられているからです)は、「刺史」ではなく、より権限の強い「司隷校尉」に準(なぞら)えられなくてはならない。伊都国に置かれた「大率」を「刺史」と表現したのは、伊都国が首都圏に属さないためである。すなわち、邪馬台国が九州にないことが、文献解釈から証明できるのである。

 

 このような根拠をあげて、大和にあった邪馬台国が、伊都国に置いた「大率」によって北九州諸国を監察させていたと考察されています。

 中国古代史を熟知された教授ならではの、素晴らしい着眼点だと思います。とても示唆に富んだ論考ですし、それ自体に反論するつもりもありません。

 しかし、私は上記の渡邉教授の論考は、邪馬台国熊本説の場合には説の強力な補強材料になってくれるのではないかと思うのです。

 邪馬台国を福岡平野に比定するような説の場合は、伊都国は確かに首都圏であるといえます(図1)。

 

◇図1 伊都国と邪馬台国の位置関係

 

 すると、伊都国に置かれた「一大率」は「刺史」のようではなく、「司隷校尉」のようであると書かれなくてはなりません。

 ところが、邪馬台国が熊本にあったと考えるとどうでしょう。図1でわかるように、都(熊本平野)と伊都国の間には相応の距離があります。この場合、首都圏といえるのは熊本平野内の全域か、広げても玉名市、阿蘇市、八代市あたりまでではないでしょうか。伊都国に、「刺史」のような「一大率」が置かれるのは極めて妥当だと思われます。

 また、「魏志倭人伝」には次の記述があります。

 

自女王国以北 特置一大率

(女王国〔邪馬台国〕より北には特別に一大率を置く)

 

 「一大率」は邪馬台国の北に置かれたと書かれています。畿内からみると伊都国は明らかに西です。しかし、熊本からみると伊都国は若干北西気味ではありますが、北といってよい位置にあります。

 大和説と熊本説がともに、「邪馬台国と伊都国の距離感」という問題をクリアするとしたら、より「魏志倭人伝」の記述に忠実なのは、熊本説の方なのではないでしょうか。

 そして、「魏志倭人伝」が邪馬台国について記す4名の官「伊支馬(いきま)」「彌馬升(みまし)」「彌馬獲支(みまかき)」「奴佳鞮(なかて)」のうちの誰かが、「司隷校尉」のような役割を担っていたとみてよいのではないでしょうか。

 

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参考文献:『三国志』研究の第一人者 渡邉義浩教授の著書

 

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拙著『邪馬台国は熊本にあった!』(扶桑社新書)

 

 

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