高尾山古墳の周辺② | 邪馬台国の道標(みちしるべ)

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このところ初夏を思わせる陽気が続いていますが、いかがお過ごしでしょうか。

明日からゴールデンウィークという方も多いのではないでしょうか。

あまり良くないニュースが多い中、休日中に事故や災難などがないことを願うばかりです。

 

さて、今回は「高尾山古墳の周辺①」に続いて、その続編として紹介し切れなかった内容を追加してお届けしたいと思います。

 

 

まず、紹介し切れなかった古墳で、門池公園の少し北に位置する「北小林古墳群」という古墳もあるので少し触れておきます。

昔は数基の古墳があったようですが、現在は1基だけ残っているだけで、残っている古墳は林の中にあり墳丘には祠があるという情報だけで、築造年代や古墳形状などは不明ですが、この辺一帯には「小林」という地名があります。

この「小林」という地名は、以前に以下のブログで紹介したように、倭建命が草薙剣を置き忘れてその剣に問いかけるという場面を想像させる辞世の句にも暗示された宮崎県小林市堤の「三松(みまつ)」地区の地名に由来しているのではないかと連想させます。

また、「三松」は、御真津比賣命や孝昭天皇の諱である「御真津日子訶恵志泥命」の「御真津」につながり、ソロモン王の秘宝伝説があると紹介した四国の剣山の麓の美馬市の「美馬」にも通じるような気がします。

句の中の「あせを」という言葉の意味をここでは「吾背を(我が夫)を」と意訳しましたが、その理由はこの句が帰りを待つ倭建命の妻(恋人)が剣を擬人化して倭建命に宛てて詠んだ句ではないかと想像させるからです。

そして、この剣は名古屋の熱田神宮のご神体として祀られています。

 

『尾張に→終わりに ・・・ 尾津の崎なる(原文:袁都能佐岐那流)→小戸の先なる 一つ松 吾背を 一つ松 ・・・ 一つ松 吾背を』  → 一つ松 + 一つ松 + 一つ松 = 三松

 

 

 

さらに富士山の南隣に聳える愛鷹(足高)山を左に見て北に向かうと、玉泉寺というお寺があります。

長泉町史によると、このお寺に所蔵されている海獣葡萄鏡は、中国陝西(せんせい)省包頭出土の海獣葡萄鏡と同じもので、中国唐代に作られ奈良時代に日本にもたらされた貴重な鏡であるとされています。

 

 

以前に以下のブログで大和王権のルーツとしたユダヤとその末裔の周王朝諸侯国の斉の建国者である太公望呂尚(姜尚)は、羊にまつわる姜(きょう)の姓で羌(きょう)族の出身としました。そして、陝西省は羌族の居住地なのです。

 

 

そして、この海獣葡萄鏡は千葉県香取神宮、愛媛県大三島の大山祇神社、奈良県春日大社などに所蔵されており、法隆寺五重塔心礎内の仏舎利(釈迦の遺骨)容器にも添えられていたようです。

香取神宮はその祭神である経津主神を倭建命に比定しました。

大山祇神社の祭神である大山津見神=大国主命で倭建命の実父に比定しました。

そして、その勧請先とした高尾山古墳から5~6km東にある三島市の三嶋大社の祭神でもあります。

春日大社も、建御雷之男神と共に経津主神が祀られています。

そして、中国の隋王朝に対して日の出ずる国日本として対等な立場で相まみえた聖徳太子が建立したとされる法隆寺は、中国との交流や仏教との関わりを広く伝えるお寺です。

つまり、この鏡は時を超えて、中国の斉と大和王権および静岡県を結びつけるものと思われます。

 

静岡県には玉泉寺という名のお寺が複数ありますが、この海獣葡萄鏡は駿東郡長泉町南一色にある玉泉寺(1200年前に弘法大師空海の弟子による建立とされる)に所蔵されているものです。

長泉町史によると、一色(いっしき)という地名は、昔は「いっちき」とよばれていたようです。

「いっちき」→「いちき」→「市来」→「市杵島姫命」とすると、倭国の投馬国を薩摩川内市辺りでその官「彌彌」を倭建命に比定したように、鹿児島県薩摩川内市のすぐ近くにいちき串木野市があり、その前身として市来町という地名がありました。

そして、広島県の宮島にある厳島神社の祭神である市杵島姫命は宗像三女神の一神で、倭建命の実母で沼河比賣=木花佐久夜毘賣に比定しています。

 

また、富士川を遡って行った先には、木花佐久夜毘賣を祭神として祀る富士宮の富士山本宮浅間大社があり、さらに糸魚川静岡構造線を北上すると、倭建命に比定した建御名方神を祭神とする諏訪大社があり、日本海に抜けると沼河比賣の出身地とされる新潟県糸魚川市につながります。

そして、沼河比賣に比定した市杵島姫命は神仏習合で七福神の弁才(財)天とされています。

さらに、弁才を弁論の才能と捉えると、以前に以下の地球と人類の歴史に関するブログで紹介させていただいたソクラテスの弟子で「ソクラテスの弁明」の著者でもあるプラトンを想起させます。

 

 

同じ玉泉寺という名の寺が、静岡県下田市にもあり、奇しくもそこは黒船来航に伴い開国した日本最初の米国総領事館に設定されたという歴史があるようなのです。

 

今回は、前回に続いて地元の遺跡などをご紹介しましたが、そこからでも日本国内に留まらず果てしなく世界の歴史につながっていくのを感じていただけたでしょうか。

皆さんも休日などを利用して郷土の遺跡や図書館の蔵書などを散策しては、遥かな歴史に思いを馳せてみてはいかがでしょうか?