地球と人類の歴史 | 邪馬台国の道標(みちしるべ)

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2022年4月2日 加筆

桜満開の今日この頃ですが、筆者は何故か「カルタゴ」の夢を見まして、本稿に加筆すべきと思い立ち、ブログを更新することにしました。

本ブログ後方に同色の文章を挿入しましたので、ご確認いただければ幸いです。

 

海外では戦禍に見舞われた方々がおいでになる中で、さらに、先日の福島・宮城でも地震が発生し、本当に大変な状況が続いておりますが、被災された方々には心よりお見舞い申し上げますと共に、一日でも早く平穏な日常が戻って来られることを願っております。

 

さて、地球誕生から現在まで46億年という気の遠くなるような長い年月が経ちますが、その間人類も含め地球上に住む生物は幾多の環境変化や抗争とそれに伴う災難を乗り越えて来たのでしょうか。

今回は、そんな長い長い地球と人類の歴史について、思いを馳せてみたいと思います。

 

我々現生人類ホモ・サピエンス・サピエンスとほぼ同種のクロマニョン人の化石が南フランスで発見され、その年代は約5万年前とされています。

その頃には既に我々に近い人類としてネアンデルタール人と呼ばれる人種と、我々の直接の祖先と考えられるホモ・サピエンスが居て、遥か昔の20万年前頃には出現していたようです。

そして、以前にお話したようにネアンデルタール人はしばらくの間ホモ・サピエンスと共存した後、3万年前に絶滅したとされています。

しかし、我々現生人類のDNAのゲノム配列を調べるとネアンデルタール人のそれをいくらか受け継いだ痕跡が認められるそうです。

つまり、ネアンデルタール人とホモ・サピエンスの交流(交雑)があったと考えられます。

 

一方、旧約聖書や世界各地の神話には、天地創造、アダムとイヴの失楽園、ノアの箱舟などの物語やそれと類似する物語が記されています。

 

また、古代ギリシャの哲学者プラトンの著書「ティマイオス」や「クリティアス」には、9000年くらい前の話として、以下のような未知なる島アトランティスに関する伝承が記されています。

『大西洋に巨大な資源豊富なアトランティス島があり、そこにある帝国はポセイドンの末裔で、豊かで強い軍事力を持ち、大西洋を中心に地中海西部を含んだ広大な領土を支配していたが、人間が混じるにつれ堕落し、物質主義に走って領土の拡大を目指し、帝国は荒廃した。そこで、アテナイは近隣諸国と連合し侵略者であるアトランティス帝国と戦い、辛くも勝利したが、その直後アトランティス島は大地震と大洪水が度重なって起こり海中に沈み滅亡した。』

アトランティスの物語の語り手として登場するのは、プラトンの母方の曽祖父だったとされるクリティアスで、彼は祖父からこの話を聞き、クリティアスの祖父は賢人で政治家のソロンから、ソロンはエジプトに旅した際に女神ネイトに仕える神官から伝えられたとされています。

 

さらに、日本の古事記には、筆者がこれまで述べてきたように、神産巣日神の倭国建国の歴史と応神天皇の神武東征の歴史を、神武天皇として重ね合わせて綴られていることが窺えます。つまり、神話には、複数の出来事が時空を超えて重ね合わされて記されているということです。

 

これらの情報と、年表を基に総合的仮説を立てると、以下のようになります。

『我々の祖先である哺乳類を含む高等生物は旧約聖書や神話の天地創造にあるがごとくに2億年前に誕生したが、白亜紀の大西洋出現の出来事とアトランティスの滅亡が重ねられて、ノアの箱舟やアトランティスの物語にある通り、神の怒りに触れて大洪水で海に沈んだと伝えられたものと解釈。ノアの箱舟に例えられた北アメリカ大陸とユーラシア大陸、南アメリカ大陸とアフリカ大陸は、ローラシア大陸と西ゴンドアナ大陸から引き裂かれ大西洋で隔てられたが、新しい大陸で生き残った生物やアトランティス島に例えられたエジプト西部に広がる広大なサハラ砂漠地帯にあった湿潤期の文明(ブログ「日本神話と世界の神話を比較して見えてくるもの」でお話したように大スフィンクスがそれを今に伝える)の残存種族は、その災難を乗り越え新しい世界を築いて行った。』

 

 

人類が本格的に文明を築き始めたのは氷河期が終了した1万年前頃からで、サハラ砂漠辺りに農耕文明が芽生え、やがて、石器に加え金属器などを鋳造するようになり栄えたが、物質主義に傾倒して領土拡大に走り荒廃し、神の怒り(自然災害)により滅んだことが窺えます。

中央アメリカに芽生えたマヤ文明はアトランティス文明誕生以前に地続きのベーリング海峡を通ってアメリカ大陸に渡った民族と考えれば、アトランティスとは分離していたため金属を使わない石器文明であったことも納得できます。

人類は「火」と「金属」に象徴される科学技術を手中に収め高度な文明を築いて来ましたが、それは両刃の剣であり、使い方を誤ると幸福を得るどころか人類を不幸に陥れることになるということを歴史は物語っているように思われます。

 

また、アトランティス島の伝承が記されたティマイオスやクリティアスは、プラトンが活躍したポリスを中心とした民主制が徐々に衰退していく古代ギリシャの古典期(BC5世紀末)からヘレニズム期(BC4世紀)にかけてのプラトンの晩年(BC360年頃)に執筆されたとされています。

ところが、その約100年後となるBC264年に始まった、ローマ帝国(帝政ローマ)の礎となる共和制ローマにおけるカエサル(シーザ)率いるローマ軍がサハラ砂漠の北に位置する地中海に面したカルタゴ(現在のチュニジア辺り)と戦って辛くも勝利を収めたポエニ戦争と、前述のアトランティス帝国との戦いの伝承が酷似しているのです。

この出来事も重ね合わされているとすると、つまり、大陸が地殻変動で大西洋を隔てて分離した出来事と、エジプト西部に広がるサハラ砂漠が湿潤期だった頃の文明が滅びた出来事と、共和制ローマの頃に起きたポエニ戦争が、時空を超えて重ね合わされていると考えられないでしょうか。

そして、プラトンは遠い過去のみならず、その先の未来をも予言した伝承を世に知らしめた語り部だったということになります。

良くも悪くも氾濫する情報や帝政圧力による侵攻などで民主制が混乱している昨今、老婆心ながら筆者もそのプラトンの伝承を改めて世に伝えなければならないという使命感を少なからず感ぜずにはいられないのです。

 

プラトンは哲学者ですが、唯物論的な哲学派とは異なり、現象界(物質世界)と共にイデア界(精神・魂・神などの見えない世界)の二元論を説いています。

また、キリスト教などの宗教では受動的なものとして神からの啓示や恩寵を説くのに対し、プラトン哲学では能動的に神的なものへの憧憬や熱望を説いている点で相違があるようです。

さらに、プラトンの師であるソクラテスが唱えプラトンも継承した「フィロソフィア」という言葉は日本の哲学者 西周(にしまあね)によって「哲学」と翻訳されましたが、ギリシャ語を直訳すると「愛知(智):知を愛する」となるらしいのです。

これは日本の「愛知」という地名と合致するので、「愛知」の地名の由来を調べると、「愛智」郡→「年魚市(あゆち)」で、万葉集巻三の高市黒人の歌「桜田へ鶴鳴き渡る年魚市潟(あゆちがた)潮干にけらし鶴鳴き渡る」に詠まれている「年魚市潟(あゆちがた)」に由来するとされ、ブログ「神武への系譜 総括(改訂決定版) (10)倭建命の解説」にて倭建命の母親の沼河比賣に比定した「遠津年魚目目微比賣命」の「年魚」につながります。

これは筆者が仮説として提示した倭建命(建内宿禰)の移住先「愛知」とも合致するので、単なる偶然とは考えにくいのです。

そして、愛知=尾張→終わりです。倭建命が東征の旅の終わりを尾張で迎えたように、戦いは尾張で終了したのです。

筆者には何が原因で何の目的のために始まったのかもよくわからない今起きているこの戦いをもう終わりにすべきです。

人類同士である以上、立場が違っても地球市民としてきちんと向き合ってコミュニケーションを取ることできっと分かり合えるはずですよね。

 

プラトンの著書も含め世界の神話は、社会が物欲に傾倒して行くとアトランティスの二の舞になるという警鐘を鳴らしていると考えられないでしょうか?

プラトンは幸福を得るためには物的世界のみならず、徳や善なども含めた精神世界との両立が必要と説いています。

物欲に溺れることなく、慈悲を以て知(智)を磨き真実(真理)を見極める目を養っていくことで、人類の新しい未来が開けて来ませんか?