※阪神・淡路大震災を源とする物語(フィクション)です
尚、ピンクのポンポンの時計は、今も去年の夏の代々木体育館で止まったままなので、登場人物が過去の出来事を考える時、1年の時差が生じますので、ご了承下さい。
一度、母と妹と私の三人で、遺体が安置されていた施設から外へ出た。妹の気持ちが落ち着くを待ってから祖母の元へ戻り、祖母に別れを告げた。
その日も遺体が運ばれることはなさそうだったけれど、私にとっても、もう二度と来たくない場所になってしまったのだった。
避難先の小学校へ戻る途中、父に訊いた。
「いつまで、こんなん、続くん?」
「こんなん?」
「おばあちゃん、死んで、ショールまで、どっか行った」
「そやな、パパも辛い。でも、頑張らなあかんな」
父の言葉に力強さは無く、父が自分で自分を強引に励ましているように聞こえたのだった。
体育館へ戻ると、昼間は自宅の片付けに戻っている人達も居るせいか、ガランとしていた。おばあちゃんも家へ戻ったのか、姿が無かった。
昼食の配給を受けて、食べ終えた後、父は祖父の所へ戻った。友達から外で遊ぼうと誘われたけれど断って、妹と二人、体育館で眠った。母は他の大人達に呼ばれて、体育館の舞台側へ行った。自分達で出来ることは自分達でやってゆくようにするためとのことだった。
つまりは、食べ物の配給や、可能な限りの掃除を、皆で分担しようという話し合いと当番をどう決めるか?という内容だった。当然、話し合いをした人達の中では、若くて、言い返せなかった母も、一部の人間しか参加していなかった内容を、避難している全世帯に説明する係の一人にされてしまった。
でも、それは一部の人達が勝手に決めたことを全員に押し付けないで欲しいという苦情が出たせいか、役所の世話係の人の怒りをかうことになってしまったのだった。
陽が傾き始めた頃、おばあちゃんが体育館へ戻ってきた。ぐったりとしている私と妹を見て、心配してくれたおばあちゃんに、母が祖母のショールの件を話した。
「何で、そんなこと、する人が居るんやろな。悲しいことや」
そう言うと、おばあちゃんは大きな溜息をついた。そして母にも訊いたのだった。
「貴女も何かあったんやろ?」
母はただ黙って頷いただけで、何も話そうとはしなかった。でも、
「言うだけでも、気持ちが楽になるんやから」というおばあちゃんの言葉に、午後の体育館での出来事を話していた。