長い時間の流れの中で【84】 1・17 失い続ける時 | ぴかるんのブログ

ぴかるんのブログ

ピンクのポンポン

ピンクのポンポン★80(80-84)



※阪神・淡路大震災を源とする物語(フィクション)です

 尚、ピンクのポンポンの時計は、今も去年の夏の代々木体育館で止まったままなので、登場人物が過去の出来事を考える時、1年の時差が生じますので、ご了承下さい。


§☆§★§☆ V⌒⊥⌒V ☆§ ★§☆§

 *****祖母のショールが持ち去られた翌日を最後に、母と私、妹の三人は祖母の元を訪れることは無かったけれど、それから三日後、祖母は祖父一人が付き添い、県外で荼毘にふされた。棺桶は同じく亡くなられた御近所の方の家族が手配した葬儀社か余分に車に積みこんでいたものを譲って貰ったと、父が母に話していたのを聞いた記憶が今も残っている。
 祖母の遺骨は菩提寺のお寺も震災の被害に遭い、お墓も壊れてしまったので、暫くは祖父と共に避難生活を続けることになった。そして、祖母の遺骨が納められるべきところへ納められたのは、私が神戸を去った後だった。*****


 翌日、父が祖父のところから戻る前に、父の会社の人が避難先の体育館まで訪ねてきてくれた。父の会社へは移動電話の車が来た最初の日に、母が電話を掛けたのだった。
 私と妹は祖母の遺体からショールを持ち去られたことで、震災で受けたストレスが爆発したようで、友達と遊ぶこともなく、ただ、母に寄り添っていることが、一番安全で安心だと感じていたので、面会の人が来ているからと、父の名前が呼ばれた時、
 「誰が来たのだろう?」と、正直、恐く感じたし、母の顔も緊張していた。それでも、母の傍を離れたくなかった私と妹は母について行ったのだった。

 母が父の名前を告げて、面会に来られた方に会いたいと区役所の人に告げると、体育館の入り口脇に立っている若い男性が紹介されたのだった。
 母が声を掛けると、父の会社の人である旨を告げた後、外で話をしましょうと言われたので、母も私も妹もその人へついて行ったのだった。

 体育館を出て、体育館前の花壇のベンチが空いていたので、四人で座った。父の会社の人は被災したことへのお見舞いの言葉を口にして、社宅からも震災の犠牲者が出たことを話した後、父の状況を確認した。

バナー

ポチ&ポチと応援、宜しくお願いします!!!
<(_`_)>
{ 今朝、
ニュースを気にしながら、
仕事へ出かける準備をしていました。

初回の時も、
確か公演中に大きめの地震が
地方で起こったような曖昧な記憶が……

まだ少し寒いけど、
やっと天気が安定してきた気がします
豪快に洗濯している途中なので、
明日も であって欲しい
 ]