※阪神・淡路大震災を源とする物語(フィクション)です
尚、ピンクのポンポンの時計は、今も去年の夏の代々木体育館で止まったままなので、登場人物が過去の出来事を考える時、1年の時差が生じますので、ご了承下さい。
前夜、棺桶の手配、遺体の搬送、何処の火葬場を使うか?等の説明と話し合いがあり、選択肢が少ないにも拘らず、皆の希望がバラバラで、話は中々、進まなかったらしい。
更には、家族によっては、既に個人で葬儀社へ手配し、遺体を棺桶へ納めていることで、
「何で、お宅だけ!」と、周囲の人達から悪く言われたり、悪く言われた遺族が言い返しただけで喧嘩が起こりそうになったことを、祖父が話してくれたのだった。
子供心にも、
「何か変だ!」と、心の中で怒りと哀しみを感じていたのだった。そして、
「いつになったら、こんな日々が終わるのだろう?」
生まれて初めて、そんなことを考えた日だった。
震災の朝、父はこれ以上、物事が悪くはならないと言ったけれど、地震によるガス漏れが原因で自宅が全焼し、衣類を詰めていたスーツケースは勝手に持ち出されてしまった。そして助かった筈の祖母が亡くなり、その祖母の形見であり、その祖母が天国へ持ってゆく筈だった毛皮のショールまで盗まれた。
殆どの人が震災による衝撃で冷静さを欠いていたとは言え、辛いことが連続していた。祖母のショールを持ち去られたことが悲しいし、悔しい。そして怒りの気持ちもあった。自分の感情をどう表現すれば良いのか分からず、ただ、拳を強く握りしめていた時、妹が言った。
「早(はよ)、皆で東京、行きたい!」
祖父も両親も私も妹を見た。妹が悲しんでいるのか、怒っているのかは誰にも分からなかった。震災で友達を亡くしたり、生まれつき物音に敏感な妹にとっては、私以上のストレスを受けていた筈だった。
皆が妹に声を掛けようとしたした時、妹が突然、大声を上げて泣き出した。
母が黙って妹を抱き上げて外へ出ようとした時、妹が言った。
「ここ、嫌や……」
相手は聞こえないつもりで言っても、妹にはちゃんと聞こえていたのだった。その後、何度か、母が何を言われたのかを、妹に訊いたけれど、妹は絶対に話さなかったのだった。