長い時間の流れの中で【33】 1・17 失い続ける時 | ぴかるんのブログ

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ピンクのポンポン

ピンクのポンポン★80(80-33)



※阪神・淡路大震災を源とする物語(フィクション)です

 尚、ピンクのポンポンの時計は、今も去年の夏の代々木体育館で止まったままなので、登場人物が過去の出来事を考える時、1年の時差が生じますので、ご了承下さい。


§☆§★§☆ V⌒⊥⌒V ☆§ ★§☆§

  母の言葉に、え?と驚きつつ、自分の右手を見ると、確かに一昨日の夜、父がブラウン管テレビの上に置いてから、翌日には写真屋さんへ出してプリントして貰ってくると言っていたフイルムの入った白いプラスチックケースがのせられていた。

 「何処にあったん?」と、母に訊くと、
 「ごめんなさい」と、母が謝りながら笑てから教えてくれた。前夜、湯たんぽに入れるお湯を沸かしている時に居間へ入った時、テレビの上にフイルムケースが置かれていたので、台所の食器棚へ移して、震災が起こらなければ、昨日の朝の出勤前に、父に手渡すつもりだったとのことだった。

 私が言った『昨日、撮った写真』という言葉に反応して、母が危険を冒してまでもフイルムを取りに自宅の二階まで戻ったと思っていなかった私は、
 「ママ、ごめんなさい」と謝った。すると母は、
 「いいの、鞄の中へ入れ忘れていたママも悪かったし、家に戻ったから、ママにとっての宝物に気付いて持ち出せたから」と言って私の頭を撫でてくれた。不意に話を聞いていた妹が、
 「宝物って、何?」と訊くも、
 「いつか見せてあげるけれど、今は秘密、ごめんね」と言って、妹の頭を撫でてから、再度、私の顔を真っ直ぐに見つめて言った。
 「フイルム、絶対に失くさないでね。日曜にパパがお出かけした結婚式の写真も写っているし、家族、皆の宝物だから」
 「はい!」
 私は大きく頷いて返事をした。

*****その後、そのフイルムは私達家族だけではなく、複数の家族にとって宝物になった程、震災の被害が大きかったことを、その時はまだ知らないでいた。
 そして、些細なことでも恐く感じたり、神経質になってしまう生活が始まった。勿論、それは私達家族だけではなく、避難してきた他の家族も同じだった。
 「どうして、あの人だけが?」ということが許されない生活だった。*****

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{ ☃が降って、
入浴中にユラユラ

これで、深夜に雷まで鳴ったら、
もう笑うしかなさそう……
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