石田為久の城郭を取り囲むように、昔はお堀が敷かれていたようだ
私が子供時代には、ほんのわずかではあるがお堀の名残はあった
水神様から足立家を過ぎて円光院まで流れているお堀が、それである
外敵を防ぐ程に堅牢な作りでは無かった
恐らく全盛時でも、単なる敷地の一部をふさぐ程度の役割だったのではないだろうか
外で遊ぶ事の大好きだった私の子供時代には、このお堀は格好の魚採りの場所として、良く遊んだものである
(子供の頃、お堀で魚採り)
今は水神様を残して、全てのお堀が埋め立てられ道路脇の歩道となっている
(車の場所が、上の写真の私と同じ場所)
この歩道の下には、今でも私の楽しかった魚採りの思い出も一緒に埋められていると思っている