以下の内容は既に日記に書いているが、今回のイベントを記念して、敢えて再び書いておきたい
昭和47年、当時高校2年であった私は、全国弁論大会に参加する友人の応援のため、弁論大会に参列する事になった
私にとっては、弁論大会に参列する事は人生初の事だった
全国大会と銘打っているが、開催場所は母校であったため、単に体育館に出向いただけだったが...
私の役目は友人の弁論する際に、大きな拍手をする事と声援を送る事
いわば軽いサクラである
そんな訳で、大した意欲も無く、漫然と参列した記憶がある
ところが、その大会に弁士として参加した沖縄から来られた高校生の弁論に、その場の全員の心は深く鷲掴みされてしまった
この弁論大会はアメリカから沖縄が返還されて、間もない時期に開催されていた事を、恥ずかしながら彼の弁論を聞くまで、あまり知ってはいなかったのである
◇アメリカに属しているという事の生活面での影響
◇沖縄民の復帰への強い思い
◇復帰された悦びと、これからの真のアメリカからの独立
ドル紙幣が主な通貨だったとか、日本に行くのにパスポートが必要だったとか、とにかく、彼の話すエピソードに驚かされる事ばかりだった事を、あれから40年経っても鮮明に記憶している
それ以来、私の心の中には沖縄に対する、特別の感情がある
昭和53年大学4年の卒業旅行に沖縄&八重山群島を選んだのも、その思いの延長にあった事は確かだ
その時に、私が見た沖縄
そこは、沖縄返還から、既に7年も経過していたにも関わらず、まだまだアメリカ文化を色濃く投影していた
沖縄国際通りはステーキハウスだらけだったなぁ
その年の夏に道路が初めて車の左側通行になる事が決まっていた
逆に言えば、私が沖縄を訪れた時には、まだ車は右側通行だった
現在、沖縄に往時を彷彿とさせる遺物は、あまり残っていないように思える
ただ、それは、あくまでも『見た目』の話
沖縄県民の心の中にアメリカからの完全な独立を思う気持ちは、我々には計り知れない事なのではと思う
あの時、弁論大会で参加者全員の心に、沖縄の『今』を深く刻み込ませてくれた弁士は、今何を思い、何を考えているだろうか?
因みに、この弁論大会に弁士として参加した私の友人は2年前に急逝している