元倖亀官で䜜家の䜐藀優氏による「池田倧䜜研究䞖界宗教ぞの道を远う」が朝日新聞系の週刊誌「AERA」に連茉䞭です。私自身、池田倧䜜先生を心から敬愛しおやたない創䟡孊䌚員の䞀人でありたすが、キリスト教プロテスタントの信埒ずしお客芳的な芖点を持぀䜐藀優氏の池田先生に察する理解の深さに驚き、これたではたたにしか読たなかったAERAを、本連茉䞭は毎週楜しみに賌読しおいたす。ちょうど連茉が10回に達したしたので、ここたでの感想を蚘しおみたいず思いたす。以䞋、本線に合わせた敬称略の曞評スタむルで蚘させおいただきたす。

 

 

 

「内圚的論理」を探求

 

 埓来の創䟡孊䌚関連蚘事は組織論や政治論など倖面的なアプロヌチが倚いのに察しお、本連茉は創䟡孊䌚を知るためには池田倧䜜名誉䌚長の人ず思想を知らなければならないずしお、その心の内面を探究しおいる点が倧きな特城だ。

 䜐藀の池田倧䜜理解におけるキヌワヌドの䞀぀が第1回で蚘されおいる「内圚的論理」である。長い幎月ず䞖界ぞの䌝道を通じお倚くの分掟を産んだキリスト教が再び䞀぀の原理のもずに再統䞀しようずする゚キュメニズム運動においお䞍可欠の方法論が「他宗掟の内圚的論理を知る」こずだず䜐藀は述べおいる。

 宗教教掟の蚀葉は埀々にしおその教掟の内偎で閉じおいお、その䞭で自掟の正統性を構築するため、A掟の蚀葉をB掟の論理で読み取ろうずしおもそのたたでは盞容れない。しかし、A掟の蚀葉そのものに内圚する論理、蚀い換えればA掟の蚀葉がその信埒を玍埗させるだけの固有の䞖界芳があるはずで、それを読み取っお自掟の蚀葉あるいは普遍的な蚀葉に眮き換えるこずが盞互理解のためには䞍可欠である。぀たり、「内圚的論理」ずは、異宗掟間の翻蚳原理ず蚀える。䜐藀はキリスト教内郚で行われおきたこの翻蚳䜜業を他宗教である仏教教掟の創䟡孊䌚にも応甚したのである。圌の諞著䜜を芋るず、宗教のみならずマルキシズムや特定の囜家指導者らの諞思想に察しおもその「内圚的論理」を読み取る方法が採られおいる。

 もっずも、よく考えおみるず実はこれたで池田が䞖界の識者ずのあいだで行っおきた文明間察話、宗教間察話においおも垞にこの「内圚的論理」の探求が行われおきたず蚀えるのではないだろうか。私が思い出すのは、1995幎に創䟡倧孊を蚪問したデルガヌド駐日キュヌバ倧䜿圓時が、その数幎前に郜内で池田ず䌚芋した際のこずを述懐しおくれたこずだ。倧䜿曰く「䌚芋のその日、私はキュヌバ革呜の英雄ホセ・マルティの話をしようず思っおいたら、池田先生の方からホセ・マルティのこずを切り出され、マルティの蚀論が圓時のキュヌバの人々にいかに共感され、勇気を䞎えたかに぀いお語られお、その理解があたりにも的確だったので本圓に驚きたした」ず。それを聞いた我々も驚いたものだった。池田は倧䜿ず䌚う前にホセ・マルティの「内圚的論理」を理解しおいたのだ。

 

公開情報をもずに

 

 池田倧䜜理解のもう䞀぀のキヌワヌドずしお䜐藀は「オシント」Open Source Intelligenceを挙げおいる。これは䜐藀が倖亀官時代に情報分析のために取った手法の䞀぀「公開情報諜報」のこずだ。これに察しお、個人が有する秘密情報を聎き出す手法を「ヒュミントHuman Intelligence, 人間諜報」ず蚀う。いわゆるスパむ掻動もこれに圓たる。䜐藀は倖亀官時代にヒュミントを埗意ずしたそうだが、結果ずしお秘密情報の䞍正確さ、情報ずノむズ雑音の混圚を、身をもっお知り、オシントこそより確実な分析方法であるずの認識に至ったようだ。

 池田は倚くの孊䌚員を個々に激励もし、様々な堎面で発蚀もしおいるから、その蚀説の総量はおびただしいが、䜐藀は敢えお公刊されおいる『池田倧䜜党集』党150巻ず小説『新・人間革呜』党30巻などの公開情報だけを資料ずしおいる。「だけ」ず蚀っおも盞圓な量ではあるが。そしお、本連茉第1回第10回では『池田倧䜜党集』に収録されおいる「私の履歎曞」、「若き日の読曞」、小説「人間革呜」の䞉぀の資料に蚀及しおいる。これらは池田の生い立ち、戊前・戊䞭の少幎期、青幎期、戊埌の戞田城聖第二代䌚長ずの出䌚いに぀いお、池田自身が蚘した貎重な資料である。

 䜐藀は2014幎の創䟡倧孊での講挔のなかで「その人ず盎接䌚ったかどうかが重芁ではない。䌚っおいなくおもその人の蚀葉を通しお深く知るこずができるし、垫匟関係を結ぶこずもできる。む゚スずパりロの関係もそうだった」ず述べお創立者ず盎接䌚う機䌚が少なくなった創倧生を励たしおくれた。盎接䌚った人だけに発された蚀葉ではなく、時間ず空間を超えお普遍性を持ち埗る公開資料に䟝拠するこずは、創䟡の垫匟の圚り方にも適う方法論であるず思う。

 

幌少期の人栌圢成ず問題意識

 

 連茉第2回から第6回たでは戊前、戊䞭、池田の幌少期、少幎期を䞹念に远っおいる。単にどういう経隓をしたかずいうこずだけなら「私の履歎曞」からの匕甚で終わるが、そこから埌幎の創䟡孊䌚第3代䌚長ずしお数々の偉業をなすに至る「内圚的論理」を読み取るずころに䜐藀氏の独自の芖点がある。䟋えば第2回では、池田の出生時には父・子之吉の前厄の迷信があり、厄陀けのためにわざず䞀床は捚お子にされた゚ピ゜ヌドが玹介されおいる。ここから䜐藀は、池田の䞡芪が迷信を信じたずは蚀え、自らの手でその運呜を換えようずした発想があり、そのこずを人間革呜による宿呜転換を目指す創䟡孊䌚の䟡倀芳の萌芜ず芋おいる。

 父も盞圓に頑固だが、それは祖先の血を匕いおいる。江戞時代末期の倧飢饉の際、池田の祖先は幕府の救助米を断ったずいう。この囜家に䟝存しない自立心は、池田が埌幎、囜家に䟝存しない䞭間団䜓ずしおの創䟡孊䌚を指導する䟡倀芳に぀ながっおいるず䜐藀は分析する。

 

 第3回では池田の幌少期に病匱であったこず、父がリりマチで倒れたこずによる困窮、長兄の出埁、新聞配達の開始などが蚘されるが、匷い向孊心を持ちながら十分な教育が受けられなかったこの時期の経隓が、埌幎の池田が教育に力を入れるようになった動機になっおいるず掚枬しおいる。

 

 第4回では小孊校の修孊旅行でお土産が買えなかった池田を、担任の桧山先生がそっず物陰に呌んで小遣いをくれた゚ピ゜ヌドに觊れ、このように教垫から受けた恩恵が、将来䞎えるこずのできる力の蓄えずなったず䜐藀は芋る。

 そしお池田は少幎航空兵を志願するようになるが、父に猛反察されたこずなどに觊れ、少幎時代の池田が䞀時は囜家䞻矩むデオロギヌの圱響を受けおいたこずに蚀及する。これに際しお䜐藀は沖瞄で育った実母安枝が戊䞭の沖瞄で米軍ずの戊いを経隓した回想談に蚀及し、母もたた囜家䞻矩むデオロギヌの圱響を受け、倩皇のために死ぬ芚悟だったず述べる。圓時の日本人の誰もが皇民化教育の圱響から免れなかった。池田も自身の母もその䟋倖ではなかったこずを率盎に蚘しおいる。

 

 第5回では池田が工堎劎働に埓事したこずに蚀及し、劎働者の勀務環境を䜓隓したこずが埌に池田が創䟡孊䌚を指導するずきに圹立ったずしおいる。そしお工堎での激務のなか、池田は血痰を吐く。結栞が進行しおいたのだずいう。そのこずが自身の死を意識させ、実存的関心をもたらしたずしおいる。

 

 第6回では戊䞭に東京がたびたび空襲を受けるなか、池田は戊争ぞの問題意識を匷めおいく。その埌、銬蟌のおばの家ぞの疎開も経隓しおいる。そしお迎える敗戊によっお、䟡倀芳も配絊システムも厩壊しおいく。そしお、池田家にずっお最倧の出来事は長兄が戊死したこずであった。池田は戊死の公報を受け取った母の深い悲しみを目の圓たりにする。自身の病匱ず長兄の死ずが、池田に生死ずいう人生の根本問題ぞの探求心を匷める動機づけずなったずしおいる。

 戊前・戊䞭のこれらの経隓の蓄積が、そのたた戊埌の池田の魂の飢逓感ずなり、探求ぞの動機づけずなっおいく。これらは池田が仏法に巡り合ったこずの必然性を瀺すうえで䞍可欠な文脈なのである。䜐藀が池田の「私の履歎曞」に䞀貫する「内圚的論理」を敎理しお芋せおくれるこずで、それが虚食のない誠実な自叙䌝であったこずを蚌明しおくれおいるようにも思える。

 

戊埌䟡倀芳の転換ず垫ずの出䌚い

 

 連茉第7回から第10回たでは、第二次䞖界倧戊の敗戊を17歳で迎えた池田の青幎期に぀いお述べられおいく。囜家䞻矩むデオロギヌの厩壊ずずもに池田も䜐藀の母も魂の飢逓感に苊しむ。そしお池田は垫ずなる戞田城聖ず出䌚い、創䟡孊䌚に入䌚する。䜐藀の母もたた同時期にキリスト教プロテスタントの道に入るこずになる。

 

 第7回では、1945幎8月の敗戊によっおそれたで倧日本垝囜を支えおいた䟡倀芳が厩壊するなか、それに代わる新たな䟡倀芳を暡玢する池田の心情、そしお孊びぞの枇仰を瀺す文蚀を、ここでも「私の履歎曞」から抜出しおいく。池田は働きながら倜孊に通う。そしおなけなしの小遣いをはたいお読曞に熱䞭する。池田はその埌、知識の習埗のために、読曞ノヌトを぀けるこず、その内容を友人ず語り合うこず、この二぀の方法論を採るが、これを䜐藀は集合知(collective intelligence)ず呌んでいる。

 圓時池田が読んだ数倚くの本の曞名が「私の履歎曞」に蚘されおいるが、その䞭から特に内村鑑䞉の『代衚的日本人』に圱響を受けた長文の感想が玹介されおいる。内村の「死のあるずころ宗教はあらねばならぬ」ずの文蚀に惹かれながら、死ず生呜に぀いお友人ず議論を重ねたこずも綎られおいる。やがお関心は「人間にずっお宗教は必芁か。必芁ずすればいかなる宗教が求められるべきか」の䞀点に絞られおいく。

 

 第8回では、池田が内村鑑䞉を通しお宗教ぞの探求を深化させおいく軌跡を「若き日の読曞」から読み取っおいく。内村はキリスト教埒であったが、アメリカに留孊した内村は堕萜したキリスト教䌚の姿に倱望し、無教䌚䞻矩の旗を掲げるに至る。そしお、内村が『代衚的日本人』のなかで日本の誇るべき宗教改革者ずしお日蓮の名を挙げたこずに池田は共鳎する。内村が日蓮を称えたのは、䌊豆・䜐枡流眪、竜の口法難に芋られる囜家からの自立であり、その日蓮の姿に内村はキリスト教におけるマルティン・ルタヌにも比肩する宗教改革者の生き方を芋たのである。それは池田が戊時䞭に接した囜粋的な日蓮䞻矩者ずは真逆な日蓮芳であるこずに驚き、埓前の日蓮芳を刷新したこずを池田は吐露する。

 ここで䜐藀は囜粋的な日蓮䞻矩者の䟋ずしお、日本の垝囜䞻矩政策を掚進するために日蓮の教えを利甚した田䞭智孊の事䟋を挙げおいる。こうしお芋るず、信じるべきはキリスト教なのか仏教なのかずいうこずよりも、それを実践する人の生き方がどうであるかずいう信仰の内実の重芁性を池田は内村から孊んでいた。䜐藀はそのこずを的確に捉えお瀺しおいる。

 ただし、孊ぶずいうこずず自ら信仰するこずずはむコヌルではない。そうした䞋地を䜜り぀぀も、信仰者の道を歩む決断をさせたのはあくたでも戞田城聖ずいう人ずの出䌚いであったず池田は「若き日の読曞」で述懐しおいる。小孊時代の友人に「生呜哲孊」の勉匷䌚があるず誘われお参加した座談䌚で池田は戞田城聖ずの出䌚いを果たす。そこで池田は戞田に䞉぀の質問をする。「正しい人生ずはどういう人生か」、「本圓の愛囜者ずはどういう人か」、「倩皇をどう考えるか」。いずれも池田にずっお戊埌の魂の飢逓感が端的に集玄された問いであった。

 

 第9回ではたず、第䞀の問い「正しい人生ずはどういう人生か」に察する戞田の回答が小説『人間革呜』第2巻より匕甚される。ここでは池田は山本䌞䞀の名前で登堎する。戞田は䌞䞀の問いに「難問䞭の難問だな」ず蚀い぀぀も「がくには答えるこずができる」、「がくは犏運あっお、日蓮倧聖人の仏法の倧生呜哲理を、いささかでも身で読むこずができたからです」ず倧確信を述べたあず、人生には様々な苊悩があるが、根本的な悩みは生死の問題であるずし、その根本の難問を日蓮倧聖人は解決されおいるず力匷く語る。そしお、「正しい仏法ずは䜕ぞやず考える暇に、倧聖人の仏法を実践しおごらんなさい」「い぀か自然に自分が正しい人生を歩んでいるこずを発芋するでしょう」ず。たさに生死の問題に悩んでいた池田の心にこの答えがストレヌトに響く。䜐藀は戞田のナヌモアずりィットに富んだ仏法論の展開をありのたた玹介しおいる。

 䌞䞀の第二の質問「本圓の愛囜者ずはどういう人か」に察しお、戞田は愛囜者の抂念が時代によっお倉化するこずに蚀及したうえで、時代を超越した真の愛囜者は劙法の実践者だず結論する。その理由は、劙法の実践者こそが䞀人の人を氞遠に救いきり、そのこずが囜家を救い、真の幞犏瀟䌚を築く基瀎ずなるからだず戞田は断蚀する。これもたた、時代の倉化に翻匄されかけおいた池田の心に響く答えであった。連茉第7回、第8回で瀺された飢逓感の文脈のもずで戞田のこれらの蚀説に觊れるず、それを受けた池田の感動がよりいっそう匷く䌝わっおくるようである。

 

 第10回では、たず前回の戞田の答えにあった「劙法の実践」がいかなるものであるかを説明するため、「南無劙法蓮華経」に぀いおの創䟡孊䌚の公匏な解釈を玹介する。そしお、第䞉の問い「倩皇をどう考えるか」に察しおも戞田の答えは淀みない。戞田は、倩皇制は砎壊する必芁も特別扱いする必芁もないずしお新憲法の象城倩皇制ぞの賛意を瀺す。ここで「倩皇も、仏様から芋るならば同じ人間です」ず述べおいるのは、前幎の昭和倩皇の「人間宣蚀」の趣旚に添い぀぀、䞀切衆生を平等であるずする仏法の生呜芳においお倩皇も䟋倖ではないこずを述べられたものず蚀える。そしお戞田は、倩皇を含めお日本民族が敗戊の苊悩から立ち䞊がり、平和な文化囜家を建蚭すべきこずを蚎える。

 ここで䜐藀は、戊時䞭に倩皇制暩力のもずで垫匠牧口垞䞉郎ず共に匟圧を受けた戞田が倩皇や倩皇家に察しお恚みを抱いおいないこずに泚目し、未来志向の建蚭的態床であるず述べおいる。

 そしお、䞉぀の質疑応答を終えたずき、山本䌞䞀の心に「この人の指導は信じられそうだ」ずの思いが去来したずころたでを小説『人間革呜』から匕甚しおいる。そこから再床「私の履歎曞」に戻り、座談䌚埌に、戞田が囜家暩力の匟圧に屈せず逮捕投獄されながら信念を貫いた人であったこずを知り、戞田の蚀動ず行動の䞀臎を確信し、この人ず同じ信仰に入ろうず決意したこずを付け加えおいる。内村鑑䞉が称えた日蓮ず同じ生き方をした人を目の圓たりに芋た思いだったのではないだろうか。そしお、1947幎8月24日、池田の創䟡孊䌚入信をもっお第10回を終えおいる。

 ここたでの連茉回は、池田倧䜜がなぜ戞田城聖の匟子ずなったのか、そこに至るたでに池田が眮かれた家庭環境、父芪の人ずなり、自身の病気、戊争ぞの盎面、瀟䌚の䟡倀芳の混乱、読曞で埗た人物芳ずいった文脈を抜出し、そこから戞田ずの出䌚いを読むこずによっお、池田倧䜜の「内圚的論理」を理解しようずしたものず蚀えよう。第11回以降を楜しみにしたい。