牛久の史跡・石仏・風景の終着点 | 降っても晴れても

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山に登ったり走ったり、東へ西へ・・・

牛久めぐりの第6回目、ついに最終回となりました。夏だから、一回の距離はせいぜいい10kmとなる。風景に抑揚もないから、それが精一杯だ。

たかが牛久でも、前回までとは違った思いを抱いて歩き始めた。

 

湯殿山御神体の胎蔵界大日如来像が牛久にある

 

【2024年9月6日】

 

今日もヤマイチ味噌のそばの大駐車場からスタートした。

鎌倉街道の歩道を東へ歩いて、左手の浅間神社を訪ねようとした。元々細い道だが、草に埋もれて地面が見えないほどだった。呆れ果てて諦めた。

さらに東へ乙戸川を渡って浄妙寺、今日も蜘蛛の巣と虫に悩まされる。石仏と小堂があって、本日最初の見どころだ。

 

ふつうにありがちな如意輪観音と宝篋印塔の残欠。

お大師様その他、ここも新四国霊場の一つらしい。お大師様巡りも、もう更新されないのだろうか。コロナ禍を機に途絶えた大師講もあるだろう。

 

井岡神社も参道が荒れてしまって、快適な参拝とはいい難い。境内にいるだけで、虫を払う手を休めるひまがない。牛久が終わったら、スッキリした所へ行きたいなと思った。

子安観音を見つけた。

 

農道を歩いていく。今日は体のキレがいいようだ。暑くて不快でも、苦も無く歩いていける気がする。やがて変則W三叉路の辻に庚申塔が現れた。

スリムであるが、しっかりと彫ってある。寛政12年(1800)。

このへんは昔も今も変わってないのだろう、道が舗装されたくらいで。

 

さらに200m先、カントリーラインに合流する直前にも庚申塔あり。これはさっきのものとは質が違う。独創的で、目を惹きつけるものがある。安政7年(1860)。

 

青面金剛は不動明王のようにも見え、それ以前に歌舞伎役者のようではないか。この立ち姿と、体の構え。見得を切っているようだ。これは格別の庚申塔だと思う。

 

左上部が人為的に削られたように見える。どんな誕生のストーリーがあったのか。

 

道は殺伐とした工業団地の中を抜けていく。巨大な倉庫や工場が建ち並んでいるが、その周囲は草の海原だ。やっとそこを過ぎて、願名寺。ここにもお大師様。

 

R408に出て、乙名川を西へ渡る。歩道が途切れて草が被さるカーブをダンプが走ってくる。命がけの巡礼だ。

 

島田町南端の集落に入って、高福寺に着いた。集落内は静かで落ち着いていて良い。

 

馬頭観音や六地蔵など。

そして何度も見てきた如意輪観音、子安観音。もうだいぶ終盤だ。

 

集落内を北へ進んで、皇産霊神社の狛犬。手前の長い石はなんだろうか。

弘化4年(1847)の狛犬でした。

 

拝殿内には金精様が祀ってあった。

本殿の裏をチェックすると、金精様群が打ち捨てられていた。なぜこのようになってしまったのか分からない。もう不要だからか。

 

さて、神社仏閣としてはここが最後になる、鹿嶋神社

 

拝殿にこんなポスターが貼ってあった。御朱印を茨城県の形に並べてある。太平洋も霞ヶ浦もある。忌明けには神社に参拝か。

 

細い農道を北へ向かって歩いていく。畑の中に塚が見えてきた。

島田の大日塚と大日如来石仏である。今回は大日如来石仏を幾つか見たが、幾つかは行方知れずとなっていた。ここは存在を確証して、コースの最後に持ってきたのである。

ここに全てが書かれています。

 

祠の中、しっかりした台座に挟まれて保存されている。石の質も、大日如来としての存在感もすばらしい。像の周囲にもいろいろ線刻されている。

 

これが牛久巡りの終着点です。6回で約60km、たかが歩き、されど牛久なり。

 

あとは道なりで鎌倉街道に出る。

歩道の草藪をかき分けて進めば、車が灼熱に耐えて待っていた。

おわり