流山本町江戸回廊 | 降っても晴れても

降っても晴れても

山に登ったり走ったり、東へ西へ・・・

流山の街の面白さというのは、流山一丁目から七丁目の間にほぼ凝縮されている。

流山本町江戸回廊というキャッチフレーズで売り出しているほどなので、朝の涼しい内に一巡りしてみよう。

 

【2024年9月8日】

 

①大宮神社

日曜の朝の東葛界隈は道も空いているし、流山の町中も静かなものだ。これで秋らしい気配がやって来ればありがたいけど、いつになるのか出口が見えず。

流山本町駐車場から、今日の町歩きスタートです。流鉄の東側の住宅地から時計回りに進んで、最後においしいところを味わっていく予定です。まず平和台の丘の上へ。

大宮神社は細長い尾根上に鎮座している。ここまで来るのはおそらく初めて。

 

成田山月参講中の美しい石碑があった。流山からだとフルマラソンくらいの距離がある。三日掛かりになるでしょう。

 

流山・野田には立派な庚申塔が多い。単純に文字で「庚申」なんてのはあまりない。江戸に近いことと醸造業で栄えて、水運も繁盛に繋がったせいではないだろうか。(私が言ってるのは直感的感想ですけど)

元禄の庚申塔、なんともいえませんね。レリーフ調のシンメトリーな構図で、猿も行儀が良い。

 

これは日蓮宗の題目塔と庚申塔が合体したものだ。正徳4年、かなり珍しい。

流山・野田の神社に来ると、いつもミュージアム気分になれます。

 

②大原神社

大宮神社から降りて、住宅地の谷間を登り返したら大原神社。トイレを背にして、成田山不動明王が立っている。ここも成田山月参講中だ。二童子の間に滝が流れている。

 

ここの庚申塔も見応えがあったが、遊んでるような猿の図。

 

③丹後の渡し跡

西へ向きを変えて流鉄と流山街道をまたいで、一気に江戸川の土手に上がった。丹後の渡し跡である。対岸を臨むと、旧流山橋の橋脚が残っている。昭和10年に完成して、30年間働いたという。ずいぶん川面に近い橋だったようだ。

土手には三段くらいの道が通っているが、草が生え放題となっている。そこへ時々自転車がスピードを出してくるので、けっこう危ない。こんな所にも雑草問題がある。

 

④流山寺

土手の袂にあって、流山七福神の内の大黒天である。珍しく高い台座に載っているが、隣りの猿田彦大神とバランスを取ったのか。

猿田彦大神も庚申塔である。台座の大きさに違和感があるのは、何かと取り替えたのだろうか。片袖を風にヒラリとなびかせて、空を仰ぐスタイルが特徴である。

 

⑤赤城神社

赤城神社に参ります。大注連縄は祭礼に先立って三百人がかりで作る。重さは500kgもある。赤城山から御札が流れ着いたので流山という名が付いたとのこと。

 

石段の下にいたのは、大黒天だった。丸々太って、目を吊り上げている。大黒天は満面の笑みでなければいけません。こんなのは怖い。

 

石段に汗を落としながら登ると、年代不詳?の狛犬。元気いっぱい。

 

参拝して別の坂道から下っていくと、文化10年の波切不動尊があった。村里安全・船中繁盛と彫ってある。豪華な像刻、波の描写がすばらしい。文字は力を抜いているが。

 

さらに石段を下ると、馬頭観音数種あり。左は、馬頭観世音と彫ってある。字体がすごすぎる。そんな感動を抱えながら、下道へと戻りました。

 

⑥一茶双樹記念館

一茶はこの地に数十回訪れた。流山でみりん醸造を営んだ秋元家の五代が、俳号双樹である。ここは秋元本家跡で、ブランドは白みりん天晴(あっぱれ)だ。

 

庭に一茶の句碑がある。  夕月や流残りのきりぎりす

家内をして、「一茶はよくわからないわね」と言わしめた。うちにも俳人がいますから。

なおかつ、「うちの庭もこんなふうにしたい」と言うが、言うのは勝手である。

 

展示室の模型は、かつての味醂工場。製造工程にも興味は湧くが、流山キッコーマンは工場見学はできないらしい。衛生管理上、それがいいと思います。

 

⑦流山五丁目庚申塔

北東へ進んで行くと、右手の一角に庚申堂がある。そっと扉を開けてみると、瞑想的表情の青面金剛が祀られていた。賽銭箱で三猿まで見えないのと、大きく欠損しているのが実に惜しい。回廊的街なかに相応しい庚申塔だと思う。

 

その先の左手には流山揚水機場があるので、再び土手に上がってみた。対岸は三郷市になる。

 

⑧まちなかミュージアム

流山三丁目を進んでいくと、両側は流山キッコーマンの味醂工場となる。そしてまちなかミュージアムが始まる。壁面にいろいろパネル展示がしてあった。それにしても工場の外観がとてもきれい。イメージというのは大切ですね。

 

みりんにもいろんな商標があったようで、見ていて楽しめる。こういうことはインバウンドには味わえない楽しみ方です。

 

道の反対側には、流山本町江戸回廊のマップがあった。今日はこの範囲+αを手広く歩いた。パンフレットもあるし、おすすめです。

 

⑨流山三丁目庚申塔

三丁目の庚申塔は、流山キッコーマンの敷地を凹ませて丁重に祀られている。ちょっと彫りが不確かなのが、却って深みを感じさせる。そもそも庚申の集いは、いつまで続いたのでしょうか。

庚申堂の外側にもある。黒みがリアルな、文化15年造立。

 

二丁目と三丁目の境あたりに引込線の跡があるが、遺構はない。昭和4年に敷設されて、流山電鉄から分岐していた。原料のサツマイモや石炭も運んだというが、それはどこが原産地だったのでしょう。

 

⑩本町通り界隈

二丁目の本町通りに入って、古い建物を見ながらゆく。寺田園旧店舗や、

その向かいの、和菓子の清水屋さん。

横丁に入って、閻魔堂も覗いてみた。

 

今上落排水樋管ゲートの石灯籠。

 

マンションの前にあるモニュメントは、製糸業を営んだ紙平のものだった。寛永年間に創業して五代続いたが、宝暦年間に銚子との縁があって醤油醸造業に転換したという。

当時の醤油工場の銅版画。流山版の富岡製糸場だ。

 

⑪浅間神社

一丁目の浅間神社に入ります。入口には座った青面金剛の庚申塔があった。座っているのは初めて見た。丸彫りなので欠損している。

 

社殿の裏には巨大な富士塚がある。高さは8mで、県内トップクラスという。登頂できるように登山道もついている。かなり狭くて急でゴツゴツしているので、注意が必要です。

二合目を通過。

 

登頂成功して見下ろす。

 

⑫大杉神社まで

まだこんなにいろいろあるのですが、ゆっくり眺めながら行きましょう。

 

呉服屋さんに入っていく人がいた。

こんな絶品の鬼瓦が乗っかっているが、よく見えないのが残念!

 

いよいよ最後となりました。細く曲がりこんだ参道奥の大杉神社。石造物はどれも摩耗・欠損していた。真ん中は成田山不動明王だと思うが。その左は、

 

猿田彦大神なのです。頭部が丸ごと失われてしまい、おそらく左手の長い裾も欠けてしまった。両手に持つ長い杖もない。どんな石工をもってしても修復はできない。

飄々とした姿が思い浮かんではくるけれど、表情の微妙な角度は蘇らないのである。

        流山寺の像 

 

ここで踵を返せば、駐車場はすぐそこだった。朝の涼しい内にはとても終わらず、いつのまにかいつもの炎天下になっていた。

流山本町江戸回廊の3時間でした。