牛久のクビレの先にあったもの、その5 | 降っても晴れても

降っても晴れても

山に登ったり走ったり、東へ西へ・・・

牛久巡りも佳境に入ってまいりまして、今回で5回目です。

どうして牛久市はこんな形をしているのだろう。それは歩いてみてもたぶんわからない。隣りの阿見町も龍ケ崎市も似たような風景であるし、夏草に覆われて境界線すら見えないだろう。

 

 

【2024年9月4日】

 

今日はいよいよクビレの東側である。

島田町と久野町の交差点にセブンとヤマイチ味噌があり、その並びが運動場と公共施設で広い駐車場がある。そこからスタート。

 

文化財マップには矢ノ根神社と書いてあるが、杜の墓地に祠があるだけだ。珍しく、不動明王石像が祀られていた。

 

あとは次の目的地まで地図を頼りにくねくね歩く。今日はどうも調子が上がらない。空も緑もどろんとしていた。ひたすらこんな景色である。

 

桂町地区の金剛院。どこを歩いていても虫がまとわりつくし、蜘蛛の巣には引っかかる。快適な季節でないのは承知の上だ。

 

傾いた祠は弘法大師堂だった。利根川下流域の南北広範囲には、新四国の地方霊場が非常に多い。しかしどこを訪ねてもホコリにまみれて荒れた状態である。春の霊場巡りなどをやっていた方々も高齢化して、巡礼も絶えていくのだろうか。

このようなお姿では・・・

 

本堂の前面は仁王門が合体した造りになっていた。賽銭箱の前に老人が座っている。

どなたでしょう。大日如来?

 

仁王像一対も、だいぶホコリをかぶっておられる。詳細は不明。

 

内陣には十二神将の姿が鮮やかだった。ということは厨子の中は本尊薬師如来なのだろう。

 

境内には石仏もいろいろ並んでいて、子安観音もいい感じ。

如意輪観音も、こういう手だと気品がある。

 

途中の神社などは、どこへ立ち寄っても荒れてヤブっぽくて蚊も多くていただけない。

しばらく進んで久野町の乙戸川北側の古刹観音寺へ。ここにも立派な仁王像があった。県指定有形文化財の仁王門である。このへんの地方にしては力強くて、南都仏師と言ったら言い過ぎか。せっかく説明板があるのに一般論しか書いてない。

筋骨隆々です。顔も野太い。

 

板壁一枚隣りには大黒天がいた。

 

さらに驚くべきは、境内に閻魔大王と十王の石像がある。

閻魔大王の側面に何か文字が彫ってあるが、畏れ多くて読めないのだ。

 

牛久大仏を遠くに眺めながらぐるりと歩いていく。やっぱり調子が出なくて足も少し痛む。ひたすら暑苦しいだけの道を進む。まるで修行のようである。

 

鎌倉街道を横切って小坂町に入って、小坂熊野神社へ到着。これは疱瘡神のような雰囲気があるが、どうだろう。二体並んでいることが多いけれど。

 

愛宕神社の石祠の隣りにいたのは天狗のようである。足が面白い。

 

庚申塔が草に埋もれそうだったので、草を踏み倒した。

 

その南、国道寄りの観音堂にて。寛文9年の大日如来。

祠の中には毘沙門天がいる。

 

さらに竹林を背にして、子安観音。

 

国道408に出て東へずっと道なりに。国道の歩道も草ぼうぼうで歩くのもままならない。今年は多雨と猛暑で、どこへ行っても草の勢いが半端ではない。国土が草に埋没するのではないか。これからの環境変化を思うと、先が思いやられる。

正直町の西光寺のお大師様。

正直町の集落風景。

 

とうもろこしを大型農機で刈っていた。飼料にするのだろう。

 

まもなくヤマイチ味噌が見えてきた。本日の距離は13km。歩き通せただけマシなほうで、どうも気持ちが折れた。次回は最終回なので、気分をリセットして臨むことにしよう。

今日はヤマイチ味噌のみそソフトソフトクリームも買うのはやめとこう。