牛久の夏の文化財、その4 | 降っても晴れても

降っても晴れても

山に登ったり走ったり、東へ西へ・・・

牛久を隅々まで巡ってみようと思い立ち、第一歩を踏み出したのが6月のことだった。そもそも本庄赤レンガ倉庫から紐付けされて牛久シャトーにたどり着き、そこで入手した『牛久市文化財ガイドブック』(無料)が第一歩だったのです。

厳夏にもようやく収束の兆しが見えて、普通の盛夏になりつつある今日この頃。フィニッシュを目指して活動再開したいと思います。

 

第一回目はこちらです

 

第二回目と三回目も歩いたけれど、写真を並べるほどもなかったし過去のことはすっ飛ばして行こう。三回目の後はさすがに35℃レベルで、しばらく歩く気も起きなかった。

【2024年9月2日】

 

今日はひたち野うしく駅を中心にして巡っていく。台風が過ぎた後で、風が強くて気持ちいい。この駅はどうして近代的な宇宙船みたいにしたのだろう。駅前マンションのエントランスは駅の改札につながっているので、通勤には便利そうです。

かつての上司がこのへんから都内まで通勤していたのを思い出した。常磐線の中距離通勤者は上野駅で缶ビールとつまみを買って乗り込むのが常識だった時代。

このモニュメントには何か土着の物語があるそうだが、もうちょい解りやすいものにすべきだった。子供に夢を与えるような。これでは常磐線通勤者だ。

 

前置き長くなったけれど、住宅地を抜けて東猯穴(まみあな)町公会堂へ。ここにはちょっとした石仏群がある。

 

庚申塔は寛保3年(1743)、高い冠を乗せて面白いデザインだ。

 

隣りの祠には子育地蔵がいた。左手での抱え方が微笑ましい。

 

重要なものとしては、大日如来石仏がある。石仏群とは離れた茂みにあった。石龕を組んだ中に安置されている。

寛永7年(1630)の造立で、以前は近在の十字路にあったのをここへ移した。土浦市の郊外にもこういう大日如来が複数あります。彫り方や表情に共通性がある。

 

風に吹かれて、坦々と進んで東大和田町の御嶽神社。長屋の祠に石造物6基。すごそうな予感がする。

 

左の空間を見ると、

 

七五三縄巻いた、青面金剛の庚申塔です。厚肉彫で風格がある。

邪鬼は正面向きで、両手とアゴで猿たちを押さえつけているようだ。

 

右の空間にも、何やらいろいろある。

 

勝軍地蔵です! 右手に錫杖、左手に宝珠を持って馬にまたがるという典型的スタイル。馬が目隠しされてるみたいだが。

右の石祠の前に置かれているのは、やはり猿だろう。野田あたりの猿田彦石碑には、こういう祝祭の猿が描かれている。

 

この界隈は鄙びているとはいえ水戸街道の沿道であるから、こういう変化に飛んだ石造物があるのだろう。牛久の風景自体は平板で味気ないが、中身の面白い部分もある。

 

線路を東へ跨いで、鹿嶋神社のあたりにて。

 

鹿嶋神社の境内です。

参道の子安観音。

 

下根町の保育園の裏にある八幡神社。金毘羅大権現の石祠がとてもお洒落で美しい。女人講中らしい感じだ。

 

もうしばらく史跡を巡りますが、特に興味を引くものもなし。足元のマンホールには台風の置き土産が残っていた。カッパが生き生きしてる。

 

今日はちょっと短めで、8kmの牛久ウォークでした。9時40分に終わったけれど、もう普通に暑くなってきた。

 

今日はだいたいこんなエリアを回ってみた。

 

牛久市は蝶のような形をしている。くびれから西半分が4回で終わって、東半分はあと2回。それで牛久は満願です。文化財マップは推奨コースを教えてはくれないので、自分でコースを作って手探りで進んでいくのです。ぼけ防止&健康増進のために。

カエル