佐渡の板壁とジオの海(3)小木と宿根木 | 降っても晴れても

降っても晴れても

山に登ったり走ったり、東へ西へ・・・

佐渡の三日目です。昨日のドライブは小木の手前で時間切れとなってっしまった。少々疲れもあったし。今日はまず加茂湖畔の宿から早朝ドライブを1時間15分ほど、昨日の中継地点まで行きます。まもなく小木の町へ到着し、また一日が始まりました。

 

【2024年5月21日(火)】  加茂湖畔から移動して、小木~宿根木~

 

小木にはたらい舟がある。前回来た時に家内だけ乗って漕いだことがある。今日は乗らずに歩いていきます。5時30分スタート。まだ雨が少し降っている。

 

小木は金銀の積出港として、また北前船の寄港地として栄えた。今は直江津航路が就航している。小木の町並みをゆく。

小木の町並みは重伝建指定の答申が始まったそうだ。しかし歩いてみると景観的に美しい所ばかりでもなく、却って整備が大変なのではと心配してしまう。板壁は頑迷に残され続けているが。

 

こんな案内板を見つけた。1802年に小木半島沖地震が発生した。地盤が隆起して海岸線が遠のいたので、新たに堀を掘ったのが三味線堀と呼ばれた。小木の町は湾の形に平行に何本も道があるのが面白い。

 

佐渡の常として、細い裏道が随所に延びている。ゴミとか廃なものがないので、景観が保たれている。何か置いといたら、風で飛んでってしまうだろう。

 

海を向いた蔵の連なりを見つけた。近づいて見ようと思ったが、どこにも道がなくて諦めた。

はんぎり、です。

 

小木の町をさらりと歩き抜けて、次は宿根木へ向かう。途中に岩屋山洞窟があるので行ってみた。この海食洞は数十万年前に出来たという。この中に磨崖仏と石仏が多数ある。

壁面の上段に並んでいるのは十王像だった。右には業の秤も置いてある。

 

よく見ないと判らないけれど、磨崖仏。弘法大師の作という伝承があるが、真偽は?

 

宿根木入口に小木民族博物館があり、その向かいの郵便局が町歩き駐車場になっている。坂道を下って、まず海岸遊歩道へ誘われていく。

 

いきなり手掘りトンネルをくぐる。ここは右の磯伝いにも行ける。

中は真っ暗、と思ったらセンサーでライトが点いた。相馬崎隧道です。

 

隧道を出ると平らな磯が広がっていた。別世界に来たような気分。

ジオの世界に興奮気味です。

 

ハマヒルガオがそこらじゅうに咲いていた。

 

平らな磯の先端は、いきなり海に落ち込んでます。興味津々。

 

不思議な地形だ。この岩脈の左下は波に洗われている。天気が残念!

謎の穴がたくさん開いていた。

 

岩のリッジを乗り越えて、海に降りてみた。すばらしい景色。

調子に乗って歩き回ります。

 

戻り道は隧道をくぐらずに、磯を回り込んでいった。小さな岸壁にたらい舟が浮かんでいた。

 

いよいよ魅惑の、宿根木(しゅくねぎ)の町並み歩きです。ここは前回は知らずに訪れて驚天動地した場所である。重伝建になっているが、そんな肩書は飛び越えてしまうほど感動する。潮風除けの高い垣根の横から、迷路の世界へ。案内所もありますよ。

 

一歩踏み込めばこれ、世捨小路と呼ばれる。葬儀の際には必ずここを通ったという。

宿根木はとても小さなひとかたまりの集落だ。マップを片手に回るのが面白い。

 

宿根木は中世の時代から栄えてきた港で、回船業を中心として発展した。その繁盛ぶりは、「佐渡の富の三分の一を集めた」といわれるほど。今の様子からは考えられない。

 

古民家レストランがあったが、商っているのはここだけのようだ。

どっちへ行ったらいいのか。

 

地元の人達が水路の掃除をしていた。明るく声をかけてくれる。

二階の跳ね出しを支える飾りがユニーク。

 

すごい(言葉が貧弱になる)。

最高の重伝建! 他に人がいなくてよかった。

 

集落内の道には微妙なカーブがある。

 

夢の世界のような、カーブの一角。その名も三角家(さんかくや)。弘化3年の水害後に羽茂大橋あたりから移築した。敷地に合わせた形に切り詰めたとのこと。

宿根木のクライマックス。

 

水路では当然洗濯もしたのでしょう。

 

ここだけ異質なのは、公会堂。

その隣りは白山神社で、佐渡っぽい狛犬がいる。こういう渋い感じが多いです。

宿根木に唯一の狛犬。繁栄ぶりを見ただろう。

 

神社の前から十王坂を登って駐車場へ戻る。坂の上からは宿根木の全容が見渡せる。しかしそこに見えるのは古びた板壁ではなくて、黒い瓦屋根と石置き屋根だった。世捨小路も屋根の下に隠れている。すばらしいミニトリップでした。

 

駐車場向かいの佐渡国小木民族博物館に入ってみた。ここには北前船・千石船の現物が再現されて展示してある。

 

元々は安政5年に建造されたもので、全長23.75m・幅7.24m・艫高さ6.61mという規模だ。512石(77t)積というスケールもすごい。

現代でも制作には相当な技術が要ると思う。

江戸時代によくこんなものができたと、感心するばかりだ。

 

航路開発、というのも命がけでしょう。

 

イベントの際には巨大な壁面を開いて、天井クレーンで外に出すのです。

宿根木の富の源泉ですね。

 

やっと9時になりました。佐渡最西端へと続いていきます。