佐渡の灯台と舟小屋(2)姫崎~赤泊 | 降っても晴れても

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山に登ったり走ったり、東へ西へ・・・

佐渡の二日目です。今日の山は終日雨で、登山指数もCの予報だった。最近は肝心な日にはことごとく天気にやられている。今日も計画変更でドンデン高原シャトルバスをキャンセルして、レンタカーを一日前倒しで借りた。そして佐渡一周の旅に出発します。

 

【2024年5月20日(月)】 両津~姫崎~赤玉~松ヶ崎~赤泊

 

宿からのバス移動やレンタカー手続きがあって、両津スタートは8時50分になった。雨はまだ小康状態だった。佐渡一周線を時計回りに走っていく。そうすれば左側走行車線から海岸線がよく見える、という計算である。特に助手席は喜ぶ。

両津から12km地点、さっそく津神島が見えてきた。車を路肩に停めて小さな集落を抜けると、島へ渡る橋がある。

曇天なので、空も海も冴えない色だ。

 

島には津神島神社が建っている。狛犬はとてもスリムで、松と一緒に空へ伸び上がっているようだ。潮風のせいか肌荒れがひどい。

 

島にはジオサイトの解説板が立っていた。QRコードで解説に飛ぶこともできる。別に、ここに書いといてくれたら済むことなのに。島の生成は溶結凝灰岩で、スポンジのような穴がたくさん空いている。狛犬の台座にも使われている。

 

神社の先には木造の灯台が建っていた。これは私設灯台で、明治18年に寄付を募って建設された。この明かりがないと相当不便であったらしい。灯明代も寄付により賄ったという。こんな灯台にも灯台カードがあったら洒落ているのに。

 

遊歩道を歩いていくと、ハマナスの花。鮮やかな色が海辺によく似合う。

 

立派な遊歩道ですね。佐渡ではこんなのは当たり前。

コンクリ歩道が途絶えたので、ここらで先端を眺めて引き返す。一日くらいは水平線が見えないのもいいか。

 

少し走ったら姫崎への道を左へ入る。八大龍王神社の入口にP。境内から海岸線を見下ろした。眼下に見えるのはGooglemapによると、ジオパーク流紋岩だ。ちょっとなんとも言えないが、下るのはやめておいた。

Pに戻ってから姫崎灯台への道を歩いていった。途中には国民宿舎ホテル姫崎の廃墟がある。荒廃感がたまらない。薄暗い道を抜けると、いきなり開けて姫崎燈台館がある。かつては職員宿舎だった。燈台はどこかな、と探してみると・・・

右手の小高い場所に建っていました。姫崎灯台は「世界の灯台百選」に選ばれている。明治28年に佐渡の灯台第一号として点灯した。それまで灯台が無かったというのも驚きだ。そして鋼製灯台としては日本最古でもある。「ノスタルジックな明治の洋風建築」と謳われている。

門の脇にこんなのがあった。

家でやってみたらダウンロードできました。自分の位置情報は関係ないらしい。ただし海上保安庁のHPからはダウンロードできないので、現地で撮影する必要があります。佐渡ではあと2箇所あったようだが撮りそこねた。

 

車とはいえ、遅々たる歩みです。水津漁港を過ぎると海中に見栄えのする岩が見えた。すかさずストップする。赤亀岩だった。

ジオサイトの解説板はこのようなもの。佐渡の観光案内板の中では一番新しくて親切だ。しかしピンポイントのアクセスが分かりづらいのが困る。マップコードがあったらいいが、レンタカーのカーナビ性能にも問題がある。

 

次の目的地、風島弁天が見えてきた。左裾に風穴が開いているのが見える。これからあのてっぺんまで登ります。この島の岩質はデイサイトという。

 

陸続きになった基部に風島神社が建っていて、社殿の右手から登ります。

 

岩壁に穿たれた石段を登っていく。かなり高度感があります。

途中に展望地があって、海岸線を見下ろせる。足元はほぼ垂直なので。

 

ほぼ登りきった狭い平地に風嶋辨財天がある。左脇からさらに最高地点まで登れるが、木々が茂って展望は得られなかった。また慎重に下ります。

あれを登ってきたのですが、赤い手摺が見えますね。

 

雨がだいぶ降ってきた。登山はやめにしてよかった。

次は月布施の観音寺へ。佐渡八十八箇所霊場の74番である。ちなみに今回は霊場巡りではありません。県道に停めて、歩いて登る。

 

途中の小堂にはたくさんのお地蔵様、白装束だ。

 

観音寺の本堂前には、なんと狛犬が! 笏谷石である。以前の写真情報では置かれていないようだが、どこかからやってきたのだろうか。

実に見事で、たまりません。

あちらにも。

どこから来たのでしょうか。

 

次もジオサイト。赤玉集落から県道319を山側に少し登る。カーブの所に赤玉石の石碑がある。この周辺の地すべりの跡から産出された石ということで、ジオサイトに選ばれている。加工されると縁起石・魔除け石にもなり、渋沢栄一や岩崎弥太郎がこよなく愛したそうだ。それはジオ的にはどうでもいいんじゃないかと思うところだが。

 

赤玉石のついでに赤玉集落を少し覗いてみた。16年前に走ってきて泊まったゆうなぎ旅館を探してみたが、もう看板も出ていなかった。あまりにも豪勢な海の幸の夕食は、今でも我が家の語り草となっている。

住人の居る家といない家の区別もつかない。

 

赤玉を後にして、海岸線を10kmほど走っていく。着いた所は松ヶ崎ヒストリーパーク。案内図を見ると歴史的町並みが残っているらしい。こういうことは観光情報にはないので、来てみないとわからない。さっそく歩いてみます。

 

海に面して建ち並ぶ、話題にもされない舟小屋群。漁業生活の痕跡がそこにある。

どっちを見ても、板壁に満ちあふれている。

 

町並みに入っていきます。雨に濡れたストリート。

 

松崎山本行寺は日蓮聖人が配流の際(1271)に着岸した地である。世阿弥も松ヶ崎に上陸したという。それだけで歴史ドラマになりそうな話ではないか。「日蓮大聖人御着岸之霊跡」という札が掲げられている。

 

驚きの風景の中を歩いていく。

 

途中から県道に出て、海岸沿いに戻っていった。ここにも舟小屋群。

ここには古代北陸道の松ヶ崎駅が置かれていたという。まさに歴史の町並みである。

 

またしばらくは車を走らせて、本日の43km地点の赤泊に到着した。赤泊港は佐渡汽船の寺泊航路が就航している。郷土資料館は休館で、少しだけ町の中を歩いてみた。

 

港の公園に、赤泊御番所が復元されている。

火消し車があった。

そして港の風景。

 

小路の奥に八幡若宮神社があって、狛犬が尻尾を振り上げていた。

路地裏。両側の家は外壁リフォームして、美観を保っていた。

なにか歴史のありそうな外観だ。

 

赤泊にはサプライズもなくて、また進む。1km先の右手には日蓮堂と日蓮洞窟がある。左手には波題目碑、日蓮聖人が鎌倉幕府により赦免されてこの地より船出して柏崎に着岸した。船出の際に奇瑞が起こり、月影の波間に光り輝く南無妙法蓮華経のお題目が現われた。

 

またしばらくゆく。大杉を過ぎたところの県道沿いに赤岩の滝が流れ落ちているが、ここはB級スポット。

振り向けば大岩に穿たれたトンネルがあった。

 

野崎トンネルをくぐり抜けた所の旧道際に、予定通りに車を停めた。旧道の果てが野崎鼻だった。雨は上がったけれど青空もなく、水平線も定かでないまま。

ここで14時だったが今日は加茂湖畔の宿を予約しているので、続きは明日ということにした。県道81で度津神社に寄り道して、真野経由で加茂湖へ。ランニングではできなかった旅のテイストを満喫した。

 

つづく