男鹿三山お山かけの一日 | 降っても晴れても

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山に登ったり走ったり、東へ西へ・・・

ようやく男鹿半島までやって来た。今日登るのは男鹿三山で、「お山かけ」と呼ばれる修験の道である。その由来について、過去の自分の記事から少し引用を↓

 

男鹿半島に熊野信仰が定着したのがいつ頃だったのかはわからない。

本山716mと真山571mは、元々はそれぞれ薬師岳と湧出山と呼ばれていた。それが熊野の本宮新宮になぞらえて前述のように呼ばれるようになった。それは金剛界・胎蔵界を表しているともいえる。近世には日積寺永禅院が本山を、遍照院光飯寺が真山を支配していた。神仏分離によって前者は赤神神社、後者は真山神社となった。両神社を結ぶ山道は大峰道と呼ばれ、これをたどっていくことが「お山かけ」である。こんなところにも熊野信仰の影響が表れている。

 

なまはげ館で、男鹿のなまはげに会ってから行こう!

北から南へ、ひたすら縦走する道

電子地形図25000(国土地理院)を加工して作成した。(令和元年手続改正により申請適用外)

注:この地形図のスケールは編集されています。距離を参照される場合は元のスケールで確認してください。

 

2018年の記録はこちら↓

 

【2024年5月9日(木)】 男鹿三山お山かけ

なまはげ館9:30~八王寺跡10:15~真山10:45-55~本山11:45-55~毛無山分岐12:45~五社堂14:35-45~門前駐車場15:10  行動時間:5時間40分

 

門前駐車場に車を停めて、路線バスとなまはげシャトルを乗り継いて真山神社に到着した。まずここで「なまはげ館」に入館し、民俗信仰の軌跡に触れていくのが筋である。

ここに古の絵図がある。真山の北西側、戸賀湾からの鳥瞰図。

こちらは反対側(南側)の本山と五社堂・門前の様子が描かれている。山岳霊場の雰囲気が伝わってくるようだ。

 

なまはげ館に来れば、手っ取り早くたくさんのなまはげたちに会える。その数は150面以上。

 

大晦日の晩になるとなまはげがやって来て、「泣く子はいねがー」「この家の嫁は早起きするがー」と叫ぶのである。

親の言う事聞がね子はいねがー!

重要無形民俗文化財・ユネスコ無形文化遺産に指定されている。

 

さてゆっくりもできないので、登山開始です。まず真山神社仁王門をくぐっていく。

仁王像一対は大きくて迫力がある。造立年代や詳細が調べてもわからない。なぜそんなことがすぐに出てこないんでしょうね。

 

さほど古くはない狛犬がいて、石段が続いている。平日の朝なので誰もいない。

拝殿に到着です。

 

さらに左手の石段を登っていく。ここにも狛犬がいます。

その上には薬師堂があって、薬師如来と十二神将が並んでいた。

 

まだまだ石段は続いて。五社殿に着いた。かつては五つの社殿があったが江戸時代後期に焼失して、ひとつだけ残ったということ。これより本格的な山道になっていきます。

 

鬱蒼とした樹林を登っていく。道はよく整備され、歩きやすい。深い緑の中へと入っていく。

 

道はやや急になり、45分ほどで八王寺跡に着いた。何も遺構はない。ちょっと立ち休憩して、また登ります。この標識の距離が全てではないので、全長11.5km+αあります。

 

真山への登りにかかると長い階段が続く。たいした標高差ではないのに、果てしなく続く感じがする。黙々と登ります。

やっと傾斜が緩んで、木々も勝手に生育(矮性)している。頂上が近い感じがしてきた。

 

真山の山頂には木製の展望台があって、登ってみると上に祠が設えてあった。東の方角の眺めがよい。

よく見たら寒風山の山頂にレストハウスが見える。車で登れてしまうのが難点だけど、行ってみると面白い景観の山である。真山の山頂はこれだけのことで、趣に乏しいのが惜しいところです。

 

リスタートして歩き始めたら、すぐにこんな標柱あり。もうちょっと何かほしいところだ。

 

真山を越えてフタツアイの鞍部へ下っていく。ここで非常に印象的な景観に出会った。最初これらの樹林はクロベとかアスナロの類かと思ったが、そうではなかった。天然杉の風衝による奇形だった。このような森が広範囲に広がっていた。

 

この枝ぶり! かなりのインパクトがある。

樹皮も独特。

 

ちょっと興奮するほど見ごたえがあった。

 

フタツアイから本山へ直登するキントリ坂は廃道を通り越して、ヤブに埋もれて消滅していた。すなおに東面の巻道を登っていく。このへんもとてもいい感じ。

 

巻道から少し登りになって、まもなく自衛隊道路に飛び出した。飛び出す少し手前の左手には遊歩道が分かれているが、これは後ほど。

自衛隊道路を右へ100mほど登ると、本山への明瞭な道標がある。この山道に入ったら、ミヤマキケマンが咲いていた。そして急登がしばし続く。

 

本山の山頂は自衛隊レーダー基地となっていて、フェンスで囲まれて三角点へも行けない。南斜面の木立の中に赤神神社奥社が鎮座している。ここが本山で、男鹿半島最高地点なのでした。

祠の中には石仏三体。いつの時代のどんな謂れがあるのか。

 

ここが本山です。

 

結局本山も山頂らしい味わいのある場所ではなかった。修験者の時代には、どんな山頂だったのだろうか。先程分岐を見た遊歩道へ入っていく。行く手には毛無山の施設群が見えている。あの右側を大きく回り込んでいくのである。

振り向けば今登ってきた真山、山頂のレーダードームも見えていた。自衛隊道路は100m歩いただけで、この先においても横切るだけだった。

 

見事なミズナラの矮性林。緑のシャワーを浴びて。

 

道はおおむねトラバース、西海岸の展望地があった。

先へ進んでいくと藪の中で親子の声がして、近寄ってみたらネマガリタケを摘み取っていた。「味噌汁に入れるとおいしいんです」と言っていた。別のヤブからガサガサッと出てきたのはじいさんだったが、熊かと思った。後者は迷惑レベルでした。

 

男鹿三山の三座目は毛無山であるが、これも自衛隊施設のため巻かざるを得ない。ずーっと巻いていくと、オオサクラソウの群落が現われた。ここで歩行速度が、がくっと落ちた。

お山かけの名物といえば、なまはげ・奇形天然杉・オオサクラソウ・おまけで五社堂、といったところでしょう。

 

もう一度本山を望んで、遠望もこれで見納め。あとはひたすら門前への下り道となる。

 

足の具合が今一つで、ゆっくり下っていきます。

安永2年の石仏も、緑のシャワーまみれ。

 

緑の小島の楽園模様。

 

ずいぶん長く感じる下りだった。ようやく五社堂に到着です。

門前からここまでは999段の石段がある。その昔鬼が築いたもので、あと1段で完成というところで村人が鶏の物真似をして朝を告げた。鬼は村人との約束を果たせずに逃げ帰り、再び現れることはなかったという。

ここには円空仏の十一面観音菩薩立像が安置されている(パンフレットにはそういうことは書いてないが)。特定日には一般公開される。

 

ではあと999段、下っていきましょう。

さすがに鬼が積んだ石だけあって、不揃いでガタガタだ。急ぐとひざを悪くしそう。

 

長楽寺エリアまで下ってくると、大きな案内板が立っていた。中腹には五社堂が見えるが、もう数多くの堂舎が失われていることが解る。

 

最後に仁王門をくぐり出ていく。

 

お山かけを制覇の瞬間。

お山かけの一日でした。秋田の旅&山旅は続く。