秋田へ、また来てしまった | 降っても晴れても

降っても晴れても

山に登ったり走ったり、東へ西へ・・・

自宅から7時間半のドライブで秋田までやってきた。運転交代しながらとはいえ体が固まるから、夕方の秋田市内散歩に出かけました。

「秋田市文化財マップ」というのがあって、これを握りしめていく。泊まるホテルが川反にあるから、通称「川反(かわばた)」の文化財的建築などを眺めていきます。

 

旧大島商会店舗は観光案内所に生まれ変わっていた

 

【2024年5月8日(水)】 自宅=東北道・秋田道=秋田市内

 

そもそも秋田くんだりまでやってきたのは山に登るためである。ところが週明けは大雨になるという予報だったので、出発を二日遅らせて宿も取り直した。そういうわけで、明日からは山です。まず市内を南北に流れる旭川の五丁目橋を渡っていく。

 

横町通りをてくてく歩いていくが、今日はことさらに寒い。山用の薄着では震え上がるほどだ。さっそくレトロな大正建築と蔵が見えてきて、沈鬱なファサードを見せている。

(秋田的だな)と思う。

 

川反という地名は地図を見ても見当たらないが、この界隈の総称らしい。秋田市内有数の歓楽街とのことだ。ちなみに「かわぞり」と読むのだと思ったら、「かわばた」が正解。川端と同義らしい。右折して赤れんが館通りに入った。

地方色が豊かである。東北6県の中での秋田の位置づけを、今一度思い返してみた。

同じ秋田でも栗駒山や鳥海山に登るのと秋田市内まで来るのとは訳が違う。やっぱり秋田市は遠いと思うのです。

 

路地の奥にきつねさんがいた。なんとも寂れた風情である。

 

ふと目をやると「百年古民家再生酒場」という看板が出ていた。ただそれだけであるが。

 

さらにゆくとこんな建物に目が止まる。

店の前にはなまはげが立っているではないか。いろんな意味で秋田チックだ。

 

左手前方についに文化財建築物が見えてきた。赤れんが郷土館だ。この建物は明治45年竣工で、旧秋田銀行本店本館だった。今日は時間と寒さの都合もあって、中には入らない。

外観はイタリアルネサンス様式で、内部装飾にはバロック様式が取り入れられている。

この赤煉瓦建築は、旧本庄商業銀行赤煉瓦倉庫で入手した「日本赤煉瓦建築番付」」にも載っている。ただし一番下の欄の年寄の格付けなのは何故だろう。

 

なかなか重厚な造りである。そういえば岩手銀行もこんなだった。

そこは入っちゃいけません!

 

川反エリアにおいては、ひときわ威厳と異彩を放っている。

 

山王大通(竿燈大通)を北へ越えて、川反通に面した所。旧大島商会店舗(秋田市まちなか観光案内所)がある。ここで旅の資料を入手していくことにしよう。(結果的にたいへんな情報を入手してしまった)

こんな歴史があるということです。

その観光案内所でたくさんパンフレットをゲットして、受付の女性といろいろ話をした。明日はどこへ?と聞くので「男鹿半島へ」と答える。後は?と聞くので「太平山(奥岳)に登る」と言ったら、「えっ、太平山は登れませんよ!」と言うではないですか。また素人だと思って見くびっているのだろうと思ったら、昨年7月の大雨で登山道は壊滅状態で、橋も全部流されて復旧のメドも立っていないらしい。愕然としたが、今日散歩に出てきた甲斐があったというものだ。

 

がっくりしながら歩を進め、また南へ。那波伊四郎商店という紙屋さんの文化財建築である。リフォームして、今なお健在。

道の向かいにも同店舗が長く連なっている。長いハシゴが架かっている。

 

てきとうにふらふら歩いていくと、あれは飲み屋横丁だろうか。

そうでした。ちょっと入り難い雰囲気あり。

 

普通の居酒屋もアキタチック。

角地のノスタルジー。

 

またこんな所に来てしまった。そこから出てきた人。

 

小さな、忘れ去られたような稲荷神社。これを見てからホテルへ戻ろう。

川反に住むきつねということで、飲み屋街を守護しているみたいです。

    

    

 

さらっとうわべを見ただけの、夕方の秋田市内散歩でした。

明日からさらにディープに、秋田を巡っていきたいと思います。