須坂でカッタカタ | 降っても晴れても

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山に登ったり走ったり、東へ西へ・・・

今回の旅は『信州シルク回廊/千曲川流域編』ということで、小諸からたどってきました。最後は須坂、蔵と絹の町です。

 

山下薬局で、ちょっと処方箋を出していく

 

【2024年5月2日(木)】 力石集落~稲荷山宿~須坂の町並み~その他

 

稲荷山宿から移動して、須坂市内に入る。墨坂神社の斜向かいの町営Pからスタートします。どっちを見ても蔵と蔵的な建物が立ち並ぶ。

蔵の町には冬空もいいけれど、やはり青空がよく似合う。

 

目的地その1:旧越家住宅

ここは須坂の製糸業に深いゆかりがある、ということで今回初めて入ってみます。

 

越寿三郎は個人経営の製糸家としては全国に並ぶものがないということで、須坂の製糸王と呼ばれた。そして山丸組製糸王国を築き上げた。そういうスケールの割には質素で落ち着いた旧宅である。

 

山丸組で働く工女は6千人以上であった。運動会と称して臥竜山に登った写真は壮観だ。週休二日もなかった時代だから、これも一つの楽しみだったろう。男性社員も楽しかったに違いない。

 

工女を監視している二人の管理職の姿がユニークだ。山丸組では士気を高めるために工場歌まで作った。タイトルは「須坂小唄」であるが、詳しくは「まゆぐら」で知ることになった。

東行社も設立されて、須坂の製糸業は発展していく。前回私が須坂を訪れた時はまだ、須坂は蔵の町ということしか知らなかった。

 

旧越家住宅を辞して、須坂の町を歩いていく。もう三度目になるが、地図を持たないとこの巨大迷路は迷いそうだ。

 

目的地その2:笠鉾会館ドリームホール

中央通りに入って、笠鉾会館を訪れた。ここも須坂らしい伝統文化に触れられる。

 

一番上に乗っているのは、天細女命だったり猿三番叟だったり千成瓢箪もある。七月の祇園祭で、各町内から繰り出される。ここでいただくシルクカードは東行社の商標だ。

帽額(もこう)という部分の刺繍が見事。これも各町内で工夫を凝らしている。

 

展示室にも入ってみます。須坂ではひな祭りも大々的に行われる。

 

善光寺地震被害絵図が展示されていた。弘化4年(1847)の出来事である。今日歩いてきた稲荷山宿でも壊滅的被害を被った由である。また善光寺御開帳の時期だったため、多数の参詣人も被災したとのこと。

 

笠鉾会館を出て、道向こうの景観。ちょっとした集合住宅らしいが、統一されたデザインが美しい。すでに電線もないし。

 

目的地その3:ふれあい館まゆぐら

養蚕関係の展示と休憩スポットになっている。無料で入れる。この建物は都市計画道路事業により、2000年当時に解体を迫られていた。そこで曳き家を行って、180mの距離を3ヶ月かけて移動した。ある意味、華々しい経歴を抱えているのだ。

前庭では「しだれ桑」が育てられている。

 

中におじゃまします。ボランティアのおばさん二人が応対してくれる。壁には美しい鏝絵の額が架かっていた。

 

こういう展示パネルが、実に勉強になる。信正社の商標もシックで良い。

三層吹抜けの屋根架構。

 

養蚕農家の道具の数々。もう何回こうやって見ただろう。

 

蚕卵紙(蚕種紙)。

 

カラフルな商標の数々。すべてがシルクカードになっているわけではなくて、とてもたくさんの種類がある。輸出する際に高品質の証として付けられたものである。

 

これは高水社の社標。カイコガの背景に繭があって、その縁取りは蚕の卵である。カイコガ本体には高水社の文字をデフォルメして配している。養蚕を凝縮している感じだ。

 

これが旧越家住宅のパネル展示に登場した山丸組の工場歌である。

作詞:野口雨情  作曲:中山晋平

可愛い私は 須坂の街に 須坂恋しか あのお月
ヤ カッタカタノタ ソリャ カッタカタノタ

といった調子で続くのだが、カッタカタというのは糸繰り機の出す音だ。この唄が須坂では人口に膾炙したのであろう、カッタカタ祭りというものまで生まれた。今年も7月20日に開催される。

 

帰り際にお茶とタクアンのお接待を受けた。何から何まで心に残る。

 

観光交流センターくらっと、で少しだけ買い物を。

ここは旧谷街道。

 

須坂クラシック美術館は、さらりと流していきましょう。

 

中央通りの町並みを抜け出た所。これは何かと思ったら東山魁夷の揮毫で、ドイツ留学紀行の著書のタイトルだった。信州須坂町並みの会によって建立された。

そのそばに建つモダン&レトロな建物は、横町中央交番でした。

 

その足で駅前の観光案内所へ向かう。シルキービルの二階にある。ここで今回最後のシルクカードをゲット。そのまま跨線橋を渡りかけてみた。

 

長野電鉄を上から見下ろして、

彼方には北アルプス。頭だけの白馬三山と天狗ノ頭と唐松岳。穏やかそうだった。

これで須坂も終わった。

 

少し腹ごしらえをしてから、下道走って小布施と信州中野を過ぎてゆく。到着したのは北飯山駅にほど近い、愛宕町仏壇通りである。仏壇店が並んでいる。

 

その一画にある、高橋まゆみ人形館。人形の鑑賞は遠慮しておいて、とても貴重なマンホールカードを2人分もらってきた。

飯山市は長野県スキー発祥の地(明治45年)で、当時の子供達は一本杖スキーをして遊んでいた。

館内では、こんな素朴な人形が展示されている。

 

これが最後の最後です。家内は物産の方で地場産野菜を買い込んで、私は併設のモンベルへ。若干の衝動買いをしました。

 

花の駅千曲川の外へ出ると一面の菜の花畑。右手には先月登った高社山、その奥に奥志賀方面が見えるが何山だかわからない。

 

これを見ていると信越トレイルの鍋倉山麓あたりで、雪ん子が楽しげに遊んでる風景が目に浮かぶ。ブナの巨木の森に包まれて。

おわり