辰野の石の絹遺産=蚕玉神 | 降っても晴れても

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山に登ったり走ったり、東へ西へ・・・

信州の絹の旅の二日目は、朝から霧訪山に登りました。

そして辰野に戻って、蚕玉神(こだましん)などを訪ねていきます。蚕が病気にならないように、元気に育ってくれるようにと祈った神様です。

 

絶品の蚕神乗馬女神像がそびえ立つ:辰野町上野

 

【2024年2月24日(土)】 辰野町の蚕玉神と双体道祖神と庚申塔

 

①はびろ道三十六丁目の蚕玉神

朝一番で霧訪山に登る前、伊那インターで途中下車して立ち寄った場所がある。伊那市内の三州街道(伊那街道)坂下の辻から羽広観音仲仙寺までの道を「はびろ道」といって、昔の参詣道になっている。参詣道はさらに経ヶ岳山頂まで続いている。

仲仙寺まで54丁およそ6kmの行程の途中、36丁目にすばらしい蚕玉神が奉納されている。何年か前に訪れて印象的だったので再訪した。朝まだ暗くて、ヘッドライトで照らして見た。桑の葉を持っているのが見える。

(写真鑑賞しやすいように真ん中で合成してるので、横桟がずれてます。)

 

②宮所(みやど)対岸の道祖神

さて霧訪山から下山して、辰野市街地へ向かう。三州街道からそれて県道187、橋と踏切渡ったら狭い道の左手斜面。この立派な双体道祖神は猿田彦大神と天鈿女命である。像の両脇にそう彫られているが、うっかりすると見落としてしまいそう。明治6年、帯代十五両。

 

③上辰野の石神群

そのまま県道を道なり、車で1分。左手の急で高い法面の上にある。甲子塔は昭和59年とはいえ、流麗な文字が印象的だ。この年は当然甲子だった。

 

その右隣りに立っているのが蚕玉神だった。彫りが少々丸を帯びて浅いのが残念だが。

桑の枝を持って、背景もおしゃれだ。頭上の額の中央の文字が、玉とかろうじて読めた。

 

恵比寿・大黒天・その他、明治期のものか。美しくて良いものばかりだ。

 

④上辰野の北はずれの道祖神

行き忘れに気付いて県道を戻る。踏切を渡らずに直進して、627番地の民家の前だ。

淡くて渋くてにこやかで、いい感じの双体道祖神。

その後方の小屋の中に蠶玉大神の石碑があった。蚕玉の縁取りが、いいね。

 

⑤羽場崎の石仏群

これも路傍の北側で道に面している。寛政12年の庚申塔が逸品。その左の石祠の中に丸石があって、これも蚕神の一種だろうか。

 

こちらの双体道祖神は、まるで童話の世界のよう。

この表情には参りますね。

 

辰野駅前で、車を一旦駐車場に入れます。中心部は歩いて回ります。まず天竜川を渡る。諏訪湖から流れてくるので、水量も多い。

ここでは、簗場の石仏群・高徳寺の大型石仏群・見宗寺の石造物などを見て回った。今回の趣旨に沿ったA級のものはないので、写真割愛します。

再び車で、県道50を諏訪市方面へ進んでいく。こんないい場所がありました。

 

⑥平出字上野(堂村)の蚕神乗馬女神像

上野の公民館の向かい側。これはもう最高の部類の蚕玉神です。デザインも立体感もすばらしい。その他いろいろ並んでいる風情がいい。

桑の枝もリアルに。

右手の玉はなんだっぺ?

 

⑦堂村の御幣相合傘双体道祖神

前述から100mほど戻った所、法面の切れ目あたり。二人の上部の御幣が相合傘になっているという、すぐれものだ。田舎風味です。文化元年。

後ろの厚みもあるのですね。

 

⑧諏訪市豊田字上野の双体道祖神

辰野町からほんの500mほど諏訪市へ入る。分団と火の見の向かい側。水路脇の大きな丸い石に彫り込まれている、お歳を召したカップルだ。彫った面が、きれいな黒基調になっている。

 

⑨澤底字鴻の田入口の石仏群

次は⑥の蚕玉神の前のT字路を入って、鴻の田集落へ。橋の手前左手の民家脇急斜面にある。一番下の大岩に磨崖双体道祖神を見つけるでしょう。握手祝言像で、女神が座っている。男神の立ち姿も素朴で、物語風である。

見上げればいろいろあるけれど、蚕玉神社の石碑が目に入る。

 

⑩鴻の田の双体道祖神

集落に入って200mほど、左手の橋の向かい右手に幾つか雪に埋もれていた。肩組握手像だというが、雪の帽子とマフラーにしか見えない。

昔は茶碗などの食器のかけらが回りに落ちていたという。小正月の晩に厄年の人が道祖神に投げつけて、厄落としをしたのである。今も雪の下にあるのかどうか。

 

⑪鎮大神社

澤底集落は意外と広範囲で、隣りの字は川筋一本違っていたりする。ここは中央道にも近い場所だが静かである。時あたかもフクジュソウの季節で、集落をあげて福寿草祭りが開催されていた。まず神社へ。石段右手の近寄りがたい笹の斜面に、美麗なる蠶玉神が立っておられる。頭上の扁額の文字もしっかりと読めた。

左手の盆にはたくさんの繭玉が盛られている。実に優美です。

 

蚕玉神に満足して、さらに奥へ。途中で祭りの役員に止められて「福寿草園地へはマイクロバスで」と言われたが、「日本最古へ行くので」と答えて車を進めた。道脇にもちらほらと咲いている。かなりたくさんの人が見に来ていた。

 

⑫日向の石仏群

澤底集落を東へ進んでいきます。左の小さなT字路手前に、「沢底の石仏群」がある。庚申塔や小さな双体道祖神の佇まい。

 

⑬日本最古の道祖神

ここがさっき係員に言った場所である。沢底川が右俣と左俣に分かれる所で、右俣の道に入ればすぐに標識が見えてくる。フクジュソウから流れ歩いて来る人もいる。

物は永正2年(1505)という古さだ。雨ざらしでいいのかな?という懸念がある。それはそれで風景に溶け込んでいるのですが。

永正2年は戦国時代、そう言われてもピンとくる出来事が思い浮かばない。もう500年以上、この沢底で暮らしてるのですか。

左には入澤底中と彫られています。石工も双体道祖神という前例のない石仏を掘り上げたということ。謎めいたロマンがある。

 

そのそばには蠶玉大神社と彫られた三角の石碑もあった。

 

⑭鎮大神社下の双体道祖神

戻っていく途中の、鎮大神社参道入口近くにて。地味で古風な一体。

 

⑮樋口の石仏群

次は県道19に沿って南下して行きます。樋口集落で水路橋をくぐった所。後ろの橋が東天竜用水路で、前回来た時は改修工事をやっていた。庚申塔群の真ん中に小さいのがある。

ちょっと控えめですね。この辺は交通量が多くて左右に渡るのもたいへん。

 

⑯山際の双体道祖神

山際というのは地名であって、山裾にあるわけではない。T字路右の小さな建物脇の石仏群。そこへ車を停めるだけでも、道順とかたいへん頭を使うのでした。顔立ちは、まるで高遠石工が手仕事で軽く彫り上げたみたいだ。そんな上品さを湛えていた。

 

⑰漆戸の石仏群

ちょうど箕輪町に入った地点で、久保田工業の向かいにある。中央アルプス北部の連なりをバックにしている。ずらりと並んでいるのも印象的。

二十三夜塔と経ヶ岳。隣りに徳本塔もある。

 

⑱漆戸字久保の分団の石仏群

この空地はゴミやシートが散らばって、環境が良くない。ちょっと異形の、古そうな道祖神だ

 

⑲無量寺の観音石仏

前述から東へ登ると境内に着く。隣りには阿弥陀堂の文化財収蔵庫もあり。

雪と如意輪観音。駐車場の案内板で、近くに蚕玉神社があることを発見した。

 

⑳蚕玉様跡地

県道から少し南西に入った所、行ってみたら跡地になっていた。

立派な庚申塔だけが、ずらずらと並んでいるのも壮観だった。

 

㉑手長神社近くの双体道祖神

長かった一日にもようやく終着点が見えてきました。天竜川を西へ渡って、羽場駅の北西側です。手長神社の参道を探していたら、偶然これを発見した。

カメラを傾けているわけではないですよ。双体道祖神を彫る石工というのは美的センスがあったのでしょう。こういうのを彫ってもらった村人は、きっと喜んだと思います。

 

今日はこのあたりで、おしまい。

明日は天気が悪くて、山はほぼ望みなしということです。それでは。

つづく