蚕から世界の絹へ…最終回 | 降っても晴れても

降っても晴れても

山に登ったり走ったり、東へ西へ・・・

上武絹の道というものを知って、一週間足らずで計画を練り上げた。

自分流の旅にはいつも出発点と終着点があって、それをどこにするかというのはとても大切なこと。パンフレットでは富岡製糸場の次は荒船風穴になっている。そこが自然の冷風を利用した蚕種貯蔵所だった。絹産業の動脈の源流でもあった。

ところが冬の間はアクセスすることができなくて、見学休止期間となる。ならば別の源流を探そうということで、もう一つの最奥集落「初鳥屋」をめざすことにした。

 

初鳥屋の石仏群、旅の終わり

 

【2024年2月4日】 磯部温泉=一之宮貫前神社7:35~下仁田町自然史館~下仁田町歴史館~本宿の町並み歩き10:50-12:00~清水沢百庚申~養蠶神社~初鳥屋13:45-14:35全て終了

 

温泉宿から素早く出発して、まず早朝の一之宮貫前(ぬきさき)神社へ向かった。

門前には青銅灯籠一対が建立されている。高さ3.95mの立派なもの。これは養蚕業・生糸産業の繁栄を祈願して奉納されたもので、県内外の関係者千五百人余が出資した。

 

細部まで見事な造りであるが、基壇部の獅子は芸術品だ。

びっしりと刻まれた奉納者名。1500人いるのかどうか。

 

当社は下り参道(下り宮)です。ちなみに円空は50歳の時にここに滞在して、大般若経を転読したそうですよ。当然得意の仏像もたくさん彫ったでしょう。

きらびやかな拝殿、彫刻もすばらしい。朝の参拝を終えたら、下仁田へ向かいます。

 

下仁田では2ヶ所の見学を予定してますが、道の駅下仁田でちょっと時間調整。8時半には店が開いたので、朝とれの下仁田ネギを買い込みました。

そしてまず自然史館へ乗り込みます。ここは下仁田ジオパークのテーマ館ですが、今日は企画展で「奇跡の山ー妙義」をやっている。

見る物はたくさんあるけれど、これ一枚アップしておきましょう。荒船風穴へは、また春に。

 

次は姫街道沿いにある、歴史館です。ここも楽しめます。

下仁田町南野牧の西光寺に奉納されていた「衣笠様」。レプリカじゃないです。頭上には蚕蛾を戴いている。美しい姿です。

 

絹産業は世界に躍進したけれど、下仁田ネギもけっこうなブランド品です。献上葱なので。

 

これから向かう姫街道本宿(もとじゅく)の宿札の刷物。これには驚いたし、読んでるだけでも面白い。昨今よりも江戸時代のほうが旅人で賑わっていたのだろう。

さらに驚愕だったのは、最奥集落の初鳥屋の名前が出てきたこと。姫街道は中山道の脇往還で、この山越え道を通って軽井沢と繋がっていたのである。右下に書いてある追分に四里というのは、軽井沢の追分宿のことだと思う。中山道と善光寺街道の追分である。

 

歴史館もなかなかのものだった。さて次は奥地への旅路、姫街道本宿です。ここでしばし、江戸情緒を探します。鏑川対岸の広場に車を停めて、橋を渡っていく。足助の町並みのように、家々が川にせり出して建っている。

 

ここから宿場に入りますが、まず東へ向かって歩く。

超レトロな坂口屋旅館。1Fの造りは何か別の店をやってたような。

 

宿場町も数え切れないくらい歩いたり走ったけれど、ここは相当辺鄙な部類に入る。それでも山越えの直前だから泊まる旅人・商人も多かっただろう。

 

お定まりの御菓子屋さん。さあどうするのかな。

 

風情だけがただよっていた。

脇往還の情緒はたっぷりあります。

 

一番東には西牧関所跡があるが、そこまでは行かずに戻っていく。

反対側からの眺めを味わいながら。

 

やはりお菓子を買い求めに・・・ 

荒船風穴最中ではちょっと具合が悪いらしく、別のにしました。

想像以上に宿場風景の残っていた、本宿でした。

 

今度は橋のたもとから北へ少々往復します。背後に岩山を抱えている。

こんな床屋があって、道祖神が一基。中には人がいた。

 

とてつもなく立派な蔵。

 

根小屋の川の手前で折り返し。前方にはまだまだ集落が密集していて、驚きを禁じえない。

本宿ワールドはこれにておしまいです。残すところあとわずか、激レアなスポットへ。

 

佐久へ抜けていくR254とそれて、県道43の街道筋へ。まもなく清水沢集落に入る。大岩峰が村を見下ろしている。典型的な西上州の山村風景があった。

鏑川右岸に清水沢百庚申がある。昔、山の帰りに初めて見つけた時は驚いたものだ。相変わらずその数と雰囲気には圧倒される。

ほんとによくこれだけ建立したものだ。

 

次は、養蠶(かいこ)神社です。今回直前になってロードマップで見つけたが、行くのが大変らしい。大栗集落の手前で南西側斜面のかすかなフミアトを登っていく。左下は県道の急峻な法面になっている。

道はほぼ水平にトラバースしていくが、少々危うい場所もある。

 

フミアトが乱れてあやしくなったあたりで前方の上を見ると、急な石垣の上に社殿が建っていた。崩れやすい急斜面を登って、裏からたどり着いた。ここに養蚕のキーワードが潜んでいるのだろうか。

社殿奥の祠の横に木札があった。養蠶神社と書かれている。他の奉納額を見ると、かつてはかなりの人々が参拝したらしい。太々御神楽も行われたようだ。ここもまさしく、絹の道の桑の枝葉なのだ。

 

さらに奥へと進んでも、点々とした集落が現れる。

 

新屋集落の先の外れには石仏群あり。丸彫の三面+一面の馬頭観音像もある。

芝之沢集落を出外れて少し、左手の林道にちょっと入った所の庚申塔群。とても立派。

その先の県道が切り通す所の旧道側に御嶽講の石碑群。これでやっと寄り道も終わる。

 

初鳥屋までやってきました。と言っても、車が運んでくれるわけですが。ここに何かがあるのでしょうか。車を置いて、プチウォークします。

 

やっとのことで神明神社を探し当てて、次はもう少し奥の愛宕神社へ向かう。両社とも転げ落ちそうな急な石段だ。手も使う。

愛宕神社、風通しの良いさっぱりした社殿。蚕飼育の「清涼育」を思い出す。

 

P地点へ戻ってきて、川の横の石仏群も覗いてみた。

 

ラストは小高い丘上の、初鳥屋八十八ヶ所霊場である。

この地に四国八十八箇所を写した石仏群があるというのは信じ難い。ここは姫街道の山村、絹産業で膨らんだ富岡と信州を繋ぐ隘路である。

私がここを終着点に選んだのは、こんな風景をイメージしたからでもある。

 

馬頭観世音がここにも、

こっちにも。

 

スタートしたコクーンシティが遠い昔のようです。今回は蔵の町並みもたくさん歩いたし、何よりも絹産業遺産の底知れぬ大きさに触れて心を揺さぶられた旅だった。

絹を見る目が変わったかな?

 

目の前には御場山が堂々と根を張っていた。

どっちが頂上だろうね、

と地図を見ながら首を傾げたりする、、、

 

おわり