絹の道④城下町小幡と富岡製糸場 | 降っても晴れても

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山に登ったり走ったり、東へ西へ・・・

上武絹の道の続き、二日目は本庄宿から始まって周辺の絹遺産群をたどってきました。午後はいよいよ富岡製糸場を目指しますが、その前にちょっと小幡へ。

 

歌麿も描いた!絹産業と江戸の華

 

【2024年2月3日】  

本庄宿7:20-9:35==渋沢栄一記念館=田島弥兵衛住宅=競進社=高山社跡13:00まで~~

小幡と歴史民俗資料館14:00-14:50~富岡製糸場15:20-16:20==磯部温泉

 

城下町小幡(おばた)があるのは甘楽町です。室町時代の後半にこの地を治めていたのは小幡信真で、武田軍団の先陣を務めていた。武田氏から赤備の着用を許され、敵方に恐れられる存在だったという。今はとても穏やかで美しい町並みが続いている。

道の駅甘楽から出発します。

この家屋は門の奥までずっと長く続いていた。今のアパート1棟分くらいあった。

 

養蚕農家群や商家の家並みがある。

 

このレトロな店先にあるのは、信州中野の土人形ではなかろうか。

小幡=おばた、のはずなのに「こばた」とはこれ如何に? じーっと眺めていたら、右から読むのだと気づいた。

 

古民家かふぇ信州屋です。○に甘とは、いかにも美味そう。

 

左手に甘楽町歴史民俗資料館別館を見つけたので、まず入ってしまいます。いろいろと興味深いものが展示されていた。

これは引札(ひきふだ)という。江戸期から大正期にかけての商店の広告チラシである。石版彩色刷で浮世絵のテイストを出している。本作品は菓子製造卸小売の小林屋のもので、謹賀新年にちなんだものらしい。この一枚だけご紹介して、次へ行きます。

 

向かいに建つのが本館です。この建物は大正15年の建築で、甘楽社小幡組製糸工場の繭倉庫だった。近代化産業遺産・ぐんま絹遺産・日本遺産に認定されている。歴史民俗資料館になったのはいいけれど、地味な存在のイメージになってしまった。観光パンフレットに出さないからいけないのだ。

 

片倉工業の繭袋が懸けてあった。興味深く見ていたら係員が、埼玉の方ですか?と聞いてきた。いえ違います。

 

浮世絵にも描かれていたのは意外だった。しかも歌麿である。

タイトルは「女織蚕手業草」、大判錦絵十二枚続で寛政10~12年の作品という。

実に繊細で、感動します。桑の小枝に繭が乗っているのは歌麿の創作だろうか。

 

圧倒的に面白いのは蚕神の数々。右手に種紙(蚕卵紙)、左手に桑の葉を持っている。額縁には繭が散りばめられている。この作品は漆喰かなにかで作ったようだ。見た目は強烈です。

蚕神はいろんな呼ばれ方があって、絹笠明神・衣笠明神・馬鳴(めみょう)菩薩・蚕影様など。蚕の字も、蠶と書かれたりする。絵画だったり、石造物だったり、文字塔だったり。像容も様々で奥深いですね。

まだまだある。

 

 

雰囲気変わって、「富岡製絲場工女勉強之圖」という時代がかった版画です。明治6年に日本橋の版元から出されたものを大正15年に再版した。富岡製糸場は明治5年に操業開始している。

なんだかんだいっても、鈴木春信の作品は感性に響きます。

 

この資料館で見落としてはいけないのは、二階展示室の「円空さん」です。

十二神将・善女龍王・善財童子の三体で、昭和54年に小幡八幡宮で発見された。発見、というのは円空仏の場合どこかにしまい込まれて忘れられてるものが多いからです。

ちょっと展示環境が冴えませんけど。

円空仏の微笑みが見られます。

 

イタリア調査団による日本の絹産業調査団の旅程図です。往路は中山道沿いで、復路は川越児玉往還もしくは旧鎌倉街道山ノ道。そして八王子・横浜間は町田街道ならびに絹の道(通称)を通っているようです。私もこのラインは全部走ってます。

だいぶ時間が押してきたので、歴史民俗資料館を辞して残りの町歩きも割愛した。

いよいよ今回の旅程における最大の絹産業遺産『富岡製糸場』です。

 

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富岡製糸場に来ることになるとは思わなかったわ、と家内が言う。我が家の行動スタイルでは観光地はほぼパスされるので、こういう知的な旅も今まではなかった。もうちょっと頭を使っておかないと、老後も心配だし。だいぶ冷えてきました。

今日はもうラストまで、ここに張り付きます。まず東置繭所から。

 

幾多の工人たちが見つめたであろう、窓。

 

昨日本庄レンガ倉庫で入手した資料に、「蒙御免・日本赤煉瓦建築番付」というのがある。横綱が三つ並んでいて、東京駅・横浜新港埠頭倉庫(赤レンガ倉庫)・片倉工業富岡工場 となっている。そのくらいの価値と規模がある。

 

順路に沿って進んでいくと、社宅もある。役職者用も。ヒラ社員は長屋です。

 

内部の展示見学と外観とを楽しめます。ガイドツアーもあって、約40分。

 

広大な中庭の真ん中に、ブリュナエンジン復元機が展示されていた。

 

次は西置繭所の中へ。片倉マークの出荷袋、さっき甘楽町歴史民俗資料館で見たやつです。

 

ベランダから広大な繰糸所を眺める。

 

いろいろと付帯建築物があります。検査人館とか女工館とか。首長館というのも。

何かこう、冷たい時代の空気みたいなものを感じる。

 

繰糸所へ入っていく。同じ構造の機械が延々と続いていた。ここで生活を支えた人もいれば、哀史みたいなものもあっただろう。

 

圧倒されます。

 

現代アートのような機械だ。

昔の小学校を思い出します。

 

さあー、、、そろそろ引き上げよう。おっ、この植栽は繭をイメージしたものだな。

 

今日は磯部温泉に泊まることにした。絹産業遺産をめぐりながらルートインでは味気ないから。けっこういいお風呂でした。

最終日へつづく