上武絹の道をゆく①コクーンシティから | 降っても晴れても

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なにか面白いものはないかと探していたら、『上武絹の道』を見つけた。最近どこかの展覧会で拾ってきたパンフレットがあったのだ。これは面白そうということで、さっそく企画することに。

上武というのは上州・武州、つまり群馬・埼玉のこと。絹の道というのはそういう街道があるわけではなくて、富岡製糸場を中心とした近代絹産業の流れをイメージしたものである。

世界遺産富岡製糸場が生み出した生糸は、横浜港から世界へ輸出されていった。逆に絹の源流をたどるならば、養蚕農家による蚕を育てて繭にするという手工業的風景が見えてくる。

というわけで今回は、知の発見をする旅です。宿場のウォーキングもあります。

 

【2024年2月2日】 さいたま新都心コクーン・シティ駐車場6:35~武蔵一宮氷川神社~中山道大宮宿==熊谷・片倉シルク記念館+熊谷宿など11:55まで~

 

まず大宮市の新都心コクーンシティからこの旅を始めることにした。

コクーンシティというのは片倉工業大宮工場跡地に建設された複合施設のこと。コクーンというのは英語で繭を意味する。

片倉工業のことは私はつい最近まで知らなかった。日本の近代絹産業の中心を担った大企業で、官営富岡製糸場も後に片倉工業が経営した。

だからこの度の絹の道は、コクーンシティを出発点とすることに決めたのである。

 

早朝のさいたま新都心を後にして、出発! 最初に目指すのは、武蔵一宮氷川神社です。駐車場の目の前から氷川参道が始まっている。

 

ついでながら何故いきなり氷川神社かといえば、ここには片倉工業のキーワードが埋め込まれているのです。

参道は片道2km、とても長いので朝の散歩やジョギングに適している。厚着して歩いていきます。

 

左には大宮区役所の庁舎が見えてくる。参道の地味さに比べたら、ハイカラなデザインだ。

 

退屈しのぎに右へ寄り道すれば、小さな祠の庚申神社がある。モルゲンロートの青面金剛がいた。もっと右奥の浅間神社にも立ち寄ってみた。

 

参道の六合目あたりまで来ると、二の鳥居が建っている。その下に新しめの狛犬一対。これは武蔵野銀行が平成30年に寄贈したもの。氷川神社の狛犬はここしかない。

 

参道の巨古木は見事に切られています。この根張りが歴史を物語っている。

文化14年の石灯籠も見事なもの。

 

さて2キロ歩いたら三の鳥居に到着です。実はこの鳥居、寄進者は、、、

片倉製絲紡績株式会社(後の片倉工業)なのです。昭和9年のこと。自社工場の目の前が参道だったわけだから、それなりの関係もあったことでしょう。

なお横浜港から絹を輸出した際は、氷川丸によって運ばれたという。氷川丸の名前も氷川神社から頂戴したもの。そして氷川丸には、生糸を収蔵するためのシルクルームがあったという。特別な管理が必要だったのでしょうね。

 

境内に入って、拝殿へと進みます。左右には、これも各社奉納の提灯群。

あった! コクーンシティの名前が。

 

恭しく参拝して、道中の安全を祈りました。

 

西側の裏参道へ抜けていく。県道164が旧中山道だ。元々は氷川参道が中山道だったが、幕府或いは大宮奉行が遠慮して付け替えたとのこと。

今時の大宮宿には、それらしきものは何一つありません。見事なまでに何もなく、Pまでの歩を進めるのみなのです。

まず5.5kmのウォーキングは終了。次はR17で一路、熊谷に向かいます。そこには上武絹の道の大きなキーワードがあります。

 

 

熊谷に着いたらまず、片倉シルク記念館から見ていくことにしましょう。片倉工業の歴史を伝える記念館なわけですが、イオン熊谷店の敷地に建てられている。というよりもイオン自体が片倉工業熊谷工場跡地に建てられました。

ここの見学が実際問題、知的探究心のるつぼなのでした。

 

旧熊谷工場の模型があった。熊谷工場は時代の流れで、1994年に閉鎖された。片倉工業の数ある工場の中で、最後の閉鎖だった。これを見ると富岡製糸場のミニ版という感じがする。とはいえ、熊谷は片倉工業の企業城下町だったことだろう。女工だって、片倉に勤めれば親は安心だったに違いない。

 

繭から生糸へ、そこには膨大な機械群が介在した。

良質の生糸を作るために。

 

産業機械というのは、ちょっと理解を超えていて呆然とします。

蚕の姿とこの機械が、頭で結びつきません。

 

いろいろと興味を引くものあり。

 

この建物自体が繭倉庫でした。

 

丸十の頭とは、現場の長のことか。

撚り合わせていく工程なのでしょう。

 

明治45年本庄仲町の生繭市場の風景。生繭が市場に出される、というのが流通の一コマだったようだ。

 

蚕は神として崇められたわけです。おそらく養蚕農家にとっては蚕の歩留まりは死活問題で、そこから蚕神を祈るということになっていく。

 

こんな風景が日常だった。どのくらいの重労働だったのか。

片倉シルク記念館で小一時間、頭の中はすでに繭だらけになった。

 

車を置いたまま熊谷宿へ出ます。まず星川シンボルロードから熊谷駅前に出る。

ラグビータウンなんだそうで。

ロータリーの真ん中では、馬上に熊谷次郎直実。もうちょっと見やすい歩道に移設してほしいものだ。

 

熊谷宿の中心部だけをぐるっと回って3kmくらい。宿場らしい面影はまずなし。

高城神社から千形神社・奴稲荷神社などをめぐっていった。

 

奴稲荷神社の外回りには、松崎製糸所という奉納の名前があった。下請け企業もたくさんあったのだろう。

奴稲荷神社の賽銭箱は、マークがすばらしい。

きつねもけっこう面白くデザインされていた。

 

本石二丁目交差点で見つけた標柱。

それにしても熊谷宿には宿場を連想させるものがない。徹底して無いというのは、なぜだろう。調べてみたら、答えは明快だった。1945年に熊谷空襲があって、戦後は都市計画によって様変わりしたということ。実に惜しいことで、言葉もない。

 

次の移動の前に車で周辺の神社などをいくつか回ってみます。

熊谷市鳴沢の赤城神社。如意輪観音や、すらりとした地蔵尊がある。

左端に立っていたのは、弁財天のようです。頭部周辺の剥落が惜しい。

 

次は熊谷市押切の八幡若宮八幡神社。拝殿前でストレートに向き合う狛犬、子供タイプ。

これがたまりません。

毛並みもすごし。

 

最後は熊谷市新堀新田の八幡神社。寛延4年の狛犬。ちょっとごつごつしてるけど、そこがまた味わいですか。

境内右手の木立の奥に、稲荷社がある。そこに超珍しい浮き彫りのきつね様一対が。

いつもはちょっと怖い感じのきつね様も、こうしてみるとユニークです。

 

今回は『絹』が主題なので、神社巡りはここまで。午後の部は深谷宿と絹遺産の残像です。

つづく