益子を足掛け二日で堪能して、その合い間に周辺をいろいろと見て周りました。
坂東観音霊場20番西明寺
芳賀町の神社と石仏
真岡の町並み歩き などです。
西明寺の笑い閻魔と四度目のご対面
【2024年1月27日】 芳賀町の神社~西明寺~益子参考館~真岡の町並み歩き
益子参考館の開館が9時30分なので、その前に5ヶ所ほどめぐることにした。時間は有効に使わねば!
①十二所神社と大日堂(芳賀町東水沼)
芳賀町に入っていくとほぼ農村地帯。その片隅に大日堂がある。お堂の脇の大谷石の蔵が朝日を浴びていた。何が入っているのだろうか。AM7:30です。
傾いた祠に、傾いたお大師様が五体。早朝巡りも、いろんな出逢いがあります。
石段を登ると十二所神社が鎮座する。狛犬も光って、気分良さそうだった。
毛並みが凛々しくて、すばらしい狛犬です。
神殿狛犬もおちゃめに座っていた。向こう側のは地面に落ちていた(降ろされていた)。
②北関東三十六不動尊常珍寺(芳賀町西水沼)
数年前に北関東不動尊巡りをした時はここで御朱印をもらったのだが、今は人の気配がない。向拝の建築装飾がとても見事である。
木鼻の獅子など、相当な腕前ですね。今日はちょっとした寄り道だけです。
③天満宮(芳賀町西水沼)
こちらはけっこうな参拝者がいるらしく、朝から掃き清められていた。駐車場も完備。
大正4年の狛犬。なぜか頭の部分が赤く塗られている。それも一興だ。
④穴不動(芳賀町西高橋)
真岡に向かって南下していく。ここには吹き抜けの不動堂があるのみ。丸彫の不動尊です。この背後には前方後円墳の小さな石室がある。
芳賀町の石造物はまばらだけど、ちょっと印象的なものが散らばっています。
⑤坂東観音霊場第二十番西明寺(益子町)
次は益子に戻ってきて、西明寺へ登る。四度目くらいだと思うのですが。納経所の上には丸彫の龍が横たわっていて面白い。霊場巡りの民衆を全部眺めているようだ。
石段を上がって山門をくぐり、左に三重塔・右に茅葺きの閻魔堂がある。そこに冒頭写真の笑い閻魔様が祀られているのです。左手の暗闇の奥には奪衣婆が不気味にひそんでいた。
西明寺の扁額、長い歴史を感じさせる。坂東観音霊場の成立は鎌倉時代に遡り、800年の重みがある。
外陣の天井廻り。千社札や彫刻に目を奪われます。
さてそろそろ濱田庄司記念益子参考館が開く頃だ。行ってみますか。
詳細は前の記事に書いた通りです。
⑥大前神社(真岡市東郷)
益子参考館は強烈で、濱田庄司の世界観が伝わってくるようだった。そんな益子を完全に終了して、真岡市へと向かいます。真岡の町並みに入る手前、大前(おおさき)神社が威風を放って立ち塞がった。創建は1500年前に遡るという。
神殿は重要文化財。建築彫刻は、日光東照宮造替の彫刻師の流れを汲む名工たちが携わった。
鋳造灯籠も美術品です。
狛犬は白みがかって、清冽だった。心が清くなりそうな、大前神社でした。
そしてやっと本日の本題その二、真岡の町並み歩きへとやってきました。真岡は下妻街道走り旅をした時も中心部はかすりもしなくて、要は初めて来た街です。
真岡に古い町並みは残っていない、とい情報もあった。しかし人によって見る目も違うので、しっかり歩いてみましょう。無料の町歩き駐車場に入れて、隣りの観光文化交流館から覗いてみます。この一帯は大正時代の美術評論家の久保貞次郎氏の邸宅だった。この棟は日本銀行関連の施設でもあった。
右奥の美術品展示館(大正12年建築の米蔵)から張り出した築地塀の前に狛犬がいた。白壁をバックにして、芸術的ロケーションだった。どこからやってきたのか。
なんともいえない風情です。
米蔵を横から見る。
町歩きに出発します。真岡は木綿で栄えた町なのでした。
確かに、連続する古い町並みというものはない。残っていないのだ。裏道をさまよっていると、突然長大な蔵に出会う。酒造の倉庫蔵らしい。材料は大谷石だろう。
なまこ壁があったりもします。
表通りに出ると、部分的には昭和レトロ。
桜川の醸造元である辻善兵衛商店が、この辺では有力のようだ。広大な敷地を誇っていた。
外塀に沿って、ぐるっと回ってみた。裏手にはこんな案内板が貼ってあった。この宿場の配列を見ると、関街道=東山道ということらしい。こんな所で出会うとは思わなかった。
塀の向こうには酒造倉庫蔵が並んでいる。
回っていくと、飲み屋横丁があった。どの看板も桜川だ。昼間から中で声がした。
歩道を歩いていたら管理設備の側面に、こんな説明板が貼ってあった。勝道上人といえば日光を開山した大先達である。その事に触れてないのは、真岡では当たり前の教養だからだろうか。ちなみに、南高岡とは真岡市にある。天平7年(735)の生誕だが、そんな時代の真岡なんて想像もつきません。
道の向こう側に建っていた金融機関。相当に凝ったデザインです。昨夜泊まったフォレストイン益子もそうだったけれど。
荒町交差点に向かっていくと、角地の建物にも歴史がありそうだ。奥の近代建築は真岡市役所である。
駐車場に戻ってきて、向かいの岡部記念館「金鈴荘」を見学していきます。明治中期に岡部呉服店二代目が贅を尽くして建築したもの。大工職人たちは、まず東京で3年間修行させた。工期は10年余。解説員が案内してくれます。
廊下の梁を見てください。これは長さが17mあって、日光で切り出して運んできました。道中では長すぎて道を曲がれない所もありました。どうしたと思いますか?
角地の家を一旦潰して、運んだ後にまた建ててあげたんです。 という豪商ぶり!
昔のガラスそのままなので、景色が微妙にゆがんで見える。もちろんそれが味わいです。
ショップで木綿グッズを買いました。真岡もめんの、がま口。
駐車場に入る前に隣りの長蓮寺に立ち寄った。「日本一の半跏像弁天さま・真岡弁才天」という看板に誘われて。本堂も三層構造くらいで、ランドマークになっていた。本当に拝観できるの?と思いながら入ってみると、
隣りの大黒天もきらびやか。先週は瀬戸市で焼物の大黒天を見たし、藤川宿の木彫もすごかった。石像のもしょっちゅう見ている。金ピカでも違和感はないです。
これにて真岡の町並み歩きはおわり。
はたして、「古いものはほとんど残っていなかった」と言えたかどうか・・・
⑦星の宮神社(真岡市中)
もう一つ真岡のスポットに寄ってから締めくくります。カーナビ頼って探し当てていくのも大変です。どうしてそういう道を選ぶのかという。
如意輪観音三体、みんなデザインが違うのに姿形は共通性がある。
石像社殿の狛犬は素朴で、しかも欠けていた。相方も残欠のよう。
木鼻も石造で、獅子は超越した顔つきなのでした。
益子の周辺と木綿の真岡にもいろんな見どころがあって、十分に楽しめる旅でした。
あと一日旅の続きがあるけれど、それについては書いてるひまがない。またいつか、気が向いたらです。
おわり