2023年の締めは信州で迎えることにした。
元旦にかけての山は大荒れの天気だし、他にもいろいろ事情があって宿場の風情などを楽しみながら新年を迎えていきます。
まず北国街道・善光寺東街道の小諸宿から。
萬屋骨董店は旧小諸銀行、卯建を備えた重厚な蔵造り
【2023年12月31日】 小諸宿~海野宿~信州中野
上信越道経由で家から2時間20分のドライブで小諸駅前に着いた。渋滞がなかったとはいえ、こんなに近かったのか。小諸にじっくりと来るのは2度目である。前回は北国街道を善光寺まで走った時で、例によって見たはずの風景も記憶の中で霞んでいる。
忘却というのは都合の良い面もある。
小諸駅のカフェは年末年始でお休み中。観光案内所も閉まってます。年末年始の旅はなにかと不便です。山に登ってたほうがマシですけど。
それでは町歩きに出発。小諸観光交流館前を通過。以前は何だったのか、気になるところ。
しなの鉄道に近づいていくと、小諸本陣主屋がある。ここはきれいに移築復元されたもの。
線路沿いに進めば北国街道に出て、旧小諸本陣問屋場跡がある。ところが改修工事中で外観すら見れなかった。
路傍には馬頭観音など。明治7年造立。
小諸マップに従って裏道に入ってみる。空き地の奥には蔵造りの建物が。現役ではないのかもしれない。
また街道に出て右手を見れば粂屋(くめや)があって、旧脇本陣だった。ちょうどお客さんが出ていったが、何屋さんだろう。
道しるべはこのように、落ち着いた雰囲気がある。
本町交差点には大塚酒店がどっしりと角地を占めている。
側面には千曲錦などの銘柄看板が並んでいる。ここのオリジナルは「浅間嶽」という。
スタートする時にポツリときたので折りたたみを持ってきたけれど、とりあえず大丈夫だった。ここは確か、走ってきた時に入ってみたはず。
小諸宿の新旧混じった町並みをゆく。右手には大塚本店と塩川五右衛門が並ぶ。
これは大塚魚店、店看板には食料罐詰と書いてある。どの建物も連子格子がすごい。
立派な門構えは、そば七。今日も11時開店。街道を東へ向かってます。
そば七の隣りは、旧駒屋(骨董屋)です。
その先の左右に大和屋紙店が建っている。島崎藤村は馬籠で生まれて、小諸には7年間住んだ。小説を書くための原稿用紙をここで買い求めたという。
老舗の文房具店とのこと。
私も原稿用紙を買っていくか。
左手に新たに見えてきたのは、ギャラリー麦草と萬屋骨董店、そして新しいつるやホテル。
反対側には大塚味噌醤油店。右に左にと忙しいです。
来た道を振り返ってみる。観光客もいない。
つたやと宮島ガラス店のファサード。
街道は光岳寺に突き当たって、右(南)へ曲がっていく。
しかし街道をどこまでも歩いていくわけにもいかないので、相生町商店街から馬場裏通りへと進んでいった。
途中に藤村の旧住居や藤村井戸があった。藤村だけではなくてたくさんの近隣住民も使っていた。こういった藤村ゆかりの地が小諸にはたくさんある。
藤村の冬子夫人もここへ水汲みに来たり、洗濯をしたりしたそうだ。
さらに裏通りの風景を満喫しながら、駅への道を辿っていきます。
裏通りをゆく。
大手門東側のレトロな町並み。
そして大手門へ。線路西側の懐古園が小諸城で、ここが大手門だった。城主はというと、複雑な歴史を持っている。
1時間かけて2.5kmほど歩いて、駅まで戻ってきました。久しぶりの小諸宿はとても面白かった。そろそろランチタイムです。
昼飯の前にもうひとくさり述べます。
「小諸なる古城のほとり、」という詩の出だしを思い出した。作者が誰だったかわからないので調べてみると、島崎藤村だった。ああそうか、と納得。
三の門横の草笛本店で、名物くるみそばを食べることに決めていた。これは本日の行動の区切りとして欠かせない。11時開店で、すぐに満席状態。
くるみのすりおろしをそばつゆに入れて食べます。普段は味覚としてくるみを味わうことがないので、新鮮食感がたまらない。そばも引き締まっている。
草笛の暖簾の由来:京都の竜安寺に知足の蹲(つくばい)というのがあって、「吾唯知足」(われただ足ることを知る)と刻まれている。暖簾は口の字を中心にして、四文字を表している。ずいぶん粋なあしらいだと思う。
もう一つ私の推測によるうんちくを。
「小諸なる古城のほとり」を読み進んでいくと、第三節はこんなふうだ。
暮れ行けば浅間も見えず
歌哀し佐久の草笛
千曲川いざよふ波の
岸近き宿にのぼりつ
濁り酒濁れる飲みて
草枕しばし慰む
二行目の「草笛」に目が止まる。この蕎麦屋の創業者はなかなかの者だ。
食後にもう少し散歩をします。懐古園へはまだ入ったことがないので。
石垣を登るわけにもいかないが。
天守台跡には登れますよ。
以上で小諸宿再訪町歩き&グルメは終了です。
次は北国街道を道順として、海野宿へまいります。
つづく