年の瀬も押し迫って、頭の中の妄想の片付けもあとわずか。
毎年毎年、身の回りでいろんなことが起きる。だから日々駆けずり回らないと、悔いが一年の埃のように積み重なっていくのである。
先だっての日光道中埼玉六宿めぐりは、栗橋宿の侘しい町並みで不完全燃焼で終わってしまった。だから日光道中を日本橋へ向かって、千住宿から歩き始めてみよう。
日本の道、ここに集まれり。
【2023年12月28日】 日光道中千住宿~日本橋 13.0km
北千住駅で下車すれば、目の前が千住宿だ。ここへはもう数え切れないほど訪れた。(仕事も含めて) それにしてもどうして駅前をこんなにゴチャゴチャにしてしまったのか。
まず日本橋と反対方向の北へ向かう。千住宿の北端から始めるためだ。マルイの脇道を進めば、右手に長円寺がある。境内左手の小堂に珍しげな石像がある。魚籃観音だった。
奉納された絵馬のようなものあり。鈴木春信の絵に似ている。
庚申塔(貞享3)や八十八箇所の石碑などあって面白い。
お大師様は、歌でも歌っているのか。
道なりに行くと氷川神社がある。本殿左の境内社の狛犬がいい。以前にも会ったことがある。
この石工は動きをとらえるのがうまいと思う。朝からいいものが続きます。
ちょっと難しく北上すると名倉醫院が建つ。江戸時代からの老舗医院で、骨接ぎに関しては関東一円に知れ渡っていた。泊りがけでやって来たという。
そして土手を上がれば荒川だ。右の鉄橋は常磐線・千代田線など。左には4号線兼日光道中の橋が見える。私の生家はこの少し下流にある。
それでは改めて、日光道中千住宿を南へ向かいます。ここはまだ商店街の序の口だ。
絵馬屋というのがあった。江戸時代から続いてる店だという。覗き込んでみたら、中でおばあさんが立ち歩いていた。
向かいには、松屋・横山家住宅。紙問屋である。二階に見えるのは親子格子で、垂木の木口が白く塗られているのが印象的だ。
しばらく歩いていくと、いよいよ活気づいてきます。シャッターの絵が広重っぽくていい。
その名も、宿場町通り。江戸から最初の宿場だけあって、潤いまで受け継がれているよう。
木造建物はもうあまりないし、あっても閉まっている。
「お休み処 千住 街の駅」というのがあり、入って資料などをいただいた。その横の路地を見ると、とても細いのに歩いてくる人がいる。千住の路地はみな細い。
下を見たら陶板には飛脚の絵。
横丁、薄暗くなったら歩いてみたい。
駅前通りと交差して、さらに商店街は続く。立ち止まって世間話をする人、自転車で通り過ぎてゆく人。自分は幼い頃、こんな千住宿の風景を見た記憶がない。もっとも三歳までだったから、いくら記憶力がよくても無理だろう。
八百屋も活気づいている。
道端の案内板より。
やっちゃ場とは、野菜市場のこと。大正から昭和初期にかけて賑わった。
このあたりから商店街の賑わいも影をひそめてくる。国道4号と合流して、千住大橋にさしかかる。
隅田川の土手を乗り越えてリバーサイドテラスに降りると、「千住大橋際 御上がり場」という史跡があった。将軍家などの身分の高い人のみがここから上陸して、日光道中を進んだという。
千住大橋の古図もある。
徳川将軍がここに舟をつけた光景を思い浮かべるのは難しい。
千住大橋を渡っていく。対岸は荒川区となり、南千住である。風景もカラリと変わっていくようだ。橋の先で4号線と別れて、吉野通りへ入る。
南千住駅を越えていく。高層マンションが建つなんて、昔は考えられなかった。こんな地盤の悪い土地に!
泪橋交差点を過ぎると、泪橋ホールという映画喫茶があった。なつかしい映画の数々。
ちょっと気分的に疲れてきたけれど、言問橋西詰に出てきた。今日は違う雰囲気のスカイツリーだ。これより江戸通りを進んでいきます。腹も減ってきた。
浅草駅前通過。
すぐに神谷バーが登場。
そこを右折すれば雷門だが、人口密度が一挙に増えた。前に進まない。外国語も飛び交う。
雷門前を一瞬で離れた。浅草寺へ向かう参道は、到底踏み込む気になれない。
本道に戻って、駒形橋。
『駒形どぜう』に着いた。今日はここで食べてみようと決めていた。しかしメニュが外に出てない。これはちょっと違うかも、と思ってスマホで調べると。どぜうなべ定食が4,600円也。庶民がちょっかい出す店ではありませんでした。我慢して先へ進む。
裏道に入ると、蔵前神社。歌川國安が描いた「力持ち」の図。
江戸通りに戻ると、超古本屋。本を一冊引き抜いたら、建物が傾きそうだ。
浅草橋を渡ります。この道は、思い起こせば12年前。東日本大震災が起きた時、会社から自宅まで40kmあまりを走って帰った道だ。道には人があふれ、異様な雰囲気に満ちていた。あの頃はそれだけ走っても今日ほどは疲れなかった。
浅草橋交差点を変則的に横断して、横山町大通に入る。街の雰囲気は劇的に変化し、衣料品問屋街となる。大伝馬本町通りと名が変わり、刷毛ブラシとはんこの店も並んでいた。
中央通りに飛び出すと、巨大建造物群の中に放り出されたみたいだ。左折する。
目の前には千疋屋。
続けざまに、三井越後屋。
その先はもう、日本橋界隈だった。あれ?首都高がまだ走ってる、と驚いた。工事の進捗を全然分かってない私は、もう撤去されたのかと思ってた。
こういうことです。
日本橋のモニュメントたちが近づいてきた時、少しだけ心に燃え立つものがあった。
私の街道走り旅は、いつもここから始まった。ニッポン縦断、全部ここから。
道路元標のレプリカ。
日本橋の空が蘇る日はまだ遠い。
千住宿から現代の日本橋までを歩いたら、ものすごい景観の激動を感じる。正直言って疲れる。しかし、それもまた街道の旅。もうじきこの鉄の天井がなくなる究極の日本橋へ、今日はゴールしたのでした。
おわり