旧鎌倉街道山ノ道②-2、秩父・名郷・軍畑 | 降っても晴れても

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山に登ったり走ったり、東へ西へ・・・

旧鎌倉街道第二回目の二日目です。

今日は名にし負う『山ノ道』、いくつもの峠を越えていく本領発揮区間です。(ちょっと長いですよ)

 

青梅市成木の美しい集落風景

 

【2023年12月24日】  秩父~妻坂峠~名郷~軍畑駅  32.0km

 

4時起床の5時出発、きっちり予定通りだ。ホテルルートインGrand秩父を後にする。

今朝は-4℃という予報なので、ソフトシェルの下にライトダウンとウィンドブレーカーを着込んだ。その内側にはメリノウールシャツで、肌着はメリノウールプラスのロングスリーブ。冷え込みますよ、と言う割には寒さを感じない。

 

ヘッドランプを手に持って歩道を照らしていく。横瀬に向かうと道路は真っ暗だ。

まず武甲山主脈の大クビレ、妻坂峠を目指していく。昔の人は賢いもので、この峠を越えれば鎌倉が近いと知っていた。ドローンのような知覚を持っていたのか。

夜目にも煌々と白いのは、セメント工場の煙だった。

 

とにかく道が暗いから、幾つかの旧道筋は省略していった。R299から離れて、札所八番西善寺をたよりに進んでいく。人家が絶えると石灰石工場の巨大プラント群が始まってくる。不夜城の如く、セメントを生み出し運び出している。

唖然とし、目を奪われた。もうこの山の何割が削られたのだろうか。

 

昨日はいきなり三波石が現れて、鬼石宿の町並みに圧倒された。私の感覚だと、このプラント群も庭石も蔵造りも一緒だ。街道を彩る屏風絵のようなものだ。

登山者の車が何台も上がっていくが、こんな凄い景観は目に入らないのだろうな。

 

やがて明るくなって、一の鳥居に到着。武甲山表参道の登山者の車で溢れかえっていた。鳥居の前には二対のオオカミがいる。やっぱり秩父はオオカミだ。

でもオオカミは狛犬ほどかわいくない。家で家内も「そうよね」と頷いていた。

 

私は表参道とは反対方向へ登ります。すなわち妻坂峠へ。これが飯能市上名栗へと抜けていく経路になる。現在の旧鎌倉街道ではこういう山道部分は極端に少ない。ほんの数パーセントだろう。標高は秩父市街地よりも600mほど高い。

まだ7時半、気温が最も下がる時刻だ。にもかかわらず、厚着してるから汗ばんできた。景色は寒々と。登山者を一人だけ追い越した。

 

登ること40分で妻坂峠に到着です。地蔵菩薩も枯葉色だった。延享4年造立、行き倒れた旅人を供養したものという。今では奥武蔵ロングトレイル58K/105K、ということになっている。

 

峠からはすかさず反対側へ下っていく。石ころガレガレの歩きづらい道だった。石畳の名残があるというが、ハテナ? やがて林道となり、名栗川の渓谷を見下ろしながら下っていった。

 

林道が県道に変わって、民家も出始めた。

名栗バス停に到着。もっといろいろあったように記憶するが、自販機もない。あるのはトイレだけ。何も用はないからいいけれど。ここで区切って帰るという案もあったが、今日はそんなつもりはない。

 

バス停広場から右の旧道に入る。タイムスリップしたような風景だ。タイムスリップは今日はたくさんしたのであるが。

 

しばらくは県道53青梅秩父線を歩いていく。左手に新井不動尊の名水を過ぎて、鷹ノ巣集落の鈴木木材に至る。対岸を見れば、茶畑と集落の面影。

このへんのお茶も狭山茶と呼ばれるらしい。調べると狭山茶の起源は鎌倉時代に遡るという。ここで初めて旧鎌倉街道がキーワードとして繋がった気がする。本日の15km地点を過ぎた。

 

名栗車庫を過ぎたら小殿バス停に着く。ハイキングコースの登山口らしく、休憩所・トイレもあった。初老の男性が、かしましい奥方7人を連れて登っていった。ご苦労さま。

目の前には蔵とカフェがある。

 

右手の山上には巨大な鳥居観音が白々とそびえ、名栗湖の水を合わせて入間川となる。

浅海道のY字路右手に、また豪華な建物が。

それは名栗郵便局旧庁舎だった。昭和4年建築ということ以外、詳細は分からない。壁面のレリーフや軒飾りなど、只者ではない。左側面には蔵が繋がっていて、その先は民家のようだ。そのまた左手に新しい郵便局が建っていた。

 

郵便局の信号から県道は右だが、左へ進む。峯バス停に庚申の水があり、馬頭観音(右)と庚申塔が祀られていた。馬頭観音か、

 

道なりで、桐木平の家並みを振り返る。ずっと南へ進んでいて逆光だから、撮影は振り返るに限る。

小沢の橋の手前に石仏が数体。三面六臂の馬頭観音が苔むしていた。

 

入間川を渡っていく。これで奥武蔵ともお別れだ。

 

橋の先で県道を横切って、小沢峠へと向かう。本日第二の峠越え。

ずっと歩道があるのは助かるが、荒れ々々のデコボコだった。

 

12:20、小沢トンネル入口に到着。旧鎌倉街道は左手の山道を登るが、登山標識も何もない。

小沢に沿った、こんな道。一応迷うことはないだろう。

 

登ること10分で小沢峠に到着です。奥武蔵ロングトレイル的には、33K/105Kとのこと。私の場合は本日25km地点。だいぶやって来た。ここは変則五差路になっていて、道標は難解である。私は成木方面へ向かえば良いらしい。ここからは東京都青梅市である。

 

ちょっと急な作業道を、足をいたわりながら下った。トンネルをくぐってきた県道が見えたら、そっちへ向かわずに右手の階段を下っていく。ここが大事なポイントです。

 

成木7丁目集落の最奥部に降り立った。祠の中で青面金剛が眠っているよう。

小さな成木川を渡ると、とても美しい集落が展開する。

道標もあるが、これはさほど古くない。

 

川沿いに東へ進んでいく。対岸には点々と集落が連なっている。これは目で見ないと分からないけれど、一幅の絵のようだ。浦上玉堂の趣がある。

こちらは公民館、裏に公衆トイレがあると書いてあった。

 

歩いてみなければ絶対に巡り会えなかった風景。

今日の残りはあと5kmだが、終わってしまうのがもったいない気がする。

 

右手には高水山登山口があるが、登路はいくつかあるようだ。

 

県道に合流したら、こんなに高い石積みの法面があった。

 

もう峠越えはないと思って地図を見たら、まだあるではないか。地図を逆さまに見てるのかと思った。第三の峠越えは松ノ木峠。右手に松ノ木トンネル入口をやり過ごして、次の橋を渡る。

 

最奥民家の庭先から山道に入る。掃き掃除をしていたおじさんがちらりと私を見たが、何も言わない。たまには通る人もいるのだろう。いきなり相当に荒れた怪しい山道。赤テープが一つ。

朽ちた木橋を渡ったりして5分ほど登ってみた。しかし道は落ち葉に埋もれたズルズルの急斜面になった。滑落の危険もあるし、この区間はちょっと長い。ここは引き返して、トンネルをくぐることにした。

 

松ノ木トンネルをくぐります。峠越えは以前から藪と倒木があるらしいが、もう行けないのではないか。反対側の登り口も見たけれど、藪に覆われていた。あの民家のおじさんは他人に干渉することがいやなのだろう。

 

舗装路を下っていくとT字路にぶつかる。ついに軍畑(いくさばた)の文字が出てきた。指3本で、あと3kmのつもり。

 

T字路には佐藤塚がある。江戸時代に佐藤助十郎がこの地で石灰焼きを始めたという。この地域の石灰産業の始まりだとか。

 

風景もすっかり奥多摩的になってきた。とある辻に見覚えがあると思ったら、高水山の登山口だったりする。

 

この路面を見つめて、旧鎌倉街道の原型に思いを馳せる。800年前というのは、想像も及ばないが。

左手の祠には不動明王と眷属。

 

左に一本見送って、

右の坂道を登っていけば、床屋さん。駅へと続く道。

 

軍畑踏切を渡る。ついに今日も終わってしまうのか。

 

そして、着きました。14時20分、ということはスタートから9時間20分! 希望的予測よりは1時間余分にかかった。歩数計と照らし合わせた修正距離は32.0km。二日で60kmの、旧鎌倉街道の旅でした。(ここは青梅線の途中駅です)

 

旅の続きはまた来年、鎌倉をめざして!