安曇野の道祖神 三郷村にて | 降っても晴れても

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山に登ったり走ったり、東へ西へ・・・

今年も安曇野へ、道祖神に会いに行ってきました。信州の双体道祖神を訪ねるのもかれこれ6度目くらいになりますが、今回は三郷村(現:安曇野市)周辺です。
松本IC経由で、室山アグリパークを起点にして周回ランニングしていきます。

【2017年5月20日(一部は21日)】


今日はとても暑くなるという予報で、覚悟はしていたが気温30℃の中を走っていくことになった。それでも北アルプスが見え隠れする風景の中なので、とても気分がいい。
まず最初は室山の駐車場から西の県道25号に出た所。遠くからでもすぐにわかる場所だ。
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最初の一体はすばらしいものだった。徳利と杯を持った祝言像、寛政7年。(806)
( )のNoは安曇野市のHPで公開している道祖神マップ及び一覧表のNoです。
ふっくらとした姿がよかった。
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道なりに北へ100mで石塔群が見えてくる。徳本上人の六字名号塔があったが、この筆跡はかなり弱々しい。花押も貧弱で、ちょっと怪しいのではないかという気すらしてくる。
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県道からそれて、左手集落の道に入る。浄心寺などの方角だ。250mほどで左手小道の奥に戸隠組合集会所があり、石仏群があった。その中に正徳2年の線刻観音像があって、目を引いた。安曇野では双体道祖神ばかりがクローズアップされていて、その他の石造物はほとんど紹介されていない。
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元の集落の道を450mで三社宮参道入口に着いた。山を背にした、安曇野らしい神社である。すでに夏の装い。
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参道入口から一本東側の道に移動して北へ進むと路傍にある、慶応2年の握手像。(802)
素朴なタイプとはまた違った美しさがある。
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この辺の広い範囲が三郷小倉の集落である。静かで明るい集落の道。
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安曇野市の道祖神マップは全体を把握するにはとても重宝するけれど、PDFで細かすぎるので自分で作り直さなければ実用の役には立たない。現地で探しながら、というのは不可能である。発見できないものも多くあった。

北小倉公民館前に出て右折、県道319・25交差点の両側で双体道祖神を見てから北上する。
県道25号を500mで川を渡った先の左手民家入口にて。(805)
玄関先にマイ道祖神があるというのもうらやましいことだ。
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今度は県道を南へ戻ってまっすぐ突き当りまで。右へ50mの角にあったのは昭和10年の祝言・酒器型だった。やはり昭和では固い感じがする。(809)
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東へ戻ってから右斜めの道を入った十字路、ちょうど室山の北東あたり。文字道祖神は昭和23年だが、いい風景になっていた。(810)
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北側の道に戻って東へ、なかた整骨院入口にある。大黒天は大正13年。福々しい姿に好感が持てるのだが、足が子供のようだった。(811)
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再び県道319号に出て東へ、いくつかを見ながら走る。文字道祖神にはあまり興味を引かないものもあるにはある。やがて県道南側の平福寺に着く。ここに何があるとかいう情報はまったくなかった。
門をくぐってすぐ左手に南無阿弥陀仏名号塔あり。なんと播隆上人のものだった。播隆さんの名号塔というものを先だって飛騨へ行った時に知ったが、ここにもあるとは驚きだった。
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花押がはっきりと読み取れる。
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参道両側には百体観音が並んでいた。これもまた驚き。
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馬頭観音、その他多数が木漏れ日を浴びている。
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奥のほうには庚申塔もあった。青面金剛は技巧的には少し劣る感じ。
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本堂の右手にはガラス張りの収蔵庫があって、いつでも拝観できるようになっていた。
そこで入口を見張っていたのは奪衣婆三体!
江戸後期の作とされる木彫像である。以前は十王堂の中にいたらしい。
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すごい迫力。なぜ三体もあるのかわからないが。
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胸を顕わにしているが、体型はどっしりと力強い。
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隣りには室町末期推定の鬼瓦面があった。
平福寺はとても深い魅力のある場所だった。また冬に来てもいいくらいである。
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平福寺前の道を東へ道なりにゆくと、小さな十字路の左角にある。変わった形の自然石の下のほうに小さく双体道祖神が刻んである。寛政7年の握手型。(819)
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その十字路を北へ200mの十字路左前にある。年代不詳の握手像。(821)
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その右手が諏訪神社だった。蚕影神などの石碑が厳かに佇んでいる。境内の中を小川が流れていた。水が豊かな土地柄なのである。
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諏訪神社から南南東の方角に瑠璃光寺がある。その前の路傍には寛政9年の握手像。(818)
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お寺の境内にもいろいろと石仏群があったが、徳本塔もある。今日最初に見たものよりも一歩進んでいるようだった。
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東へ進んで広域農道の下長尾南信号を東へ入って右手に、どっしりとした寛政8年の握手像がある。横から見るととても分厚い双体道祖神も多い。(823)
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さて、おおむね南東の方角へ梓川村(現:松本市)との境界近くまで進む。小川を渡る手前の左手に寛政10年の握手像。これも下のほうに小さく刻んであって、かわいい。(844)
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その南西方向の市境界線上の三郷側に、寛政11年の抱肩型。これも重量感のある一体だ。(843) これより先は梓川村へと入っていくが話のまとまり上で、引き続き三郷村で翌日回ったエリアにつなげることにする。翌日は三郷文化公園が起点になる。
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一日市場北交差点の北の三郷郵便局向かいに子育観音堂がある。路傍に面した祠に入っていた。寛政10年の握手。(852)境内には石仏がぎっしりと並んでいる。
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一日市場駅から南西に進んできたならば慈光院の手前を右折した集落内に雄渾な大黒天がいた。文字道祖神と小さな双体道祖神もあった。(850・851)
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そのまま集落内を西へ突っ切って一日市場北交差点の南側に出ると、西側路傍に2基が祀られている。どちらも味があって、印象的なものだった。
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嘉永元年、帯代十五両と刻まれる。(849)
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文化6年、握手する指先に物語が秘められる。(848)
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一日市場南交差点から県道を南西へ走る。やがてX字交差点の角に2体が現れる。
寛政5年と10年。(824・825)
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卵型の石に、仲睦まじい姿が浮かび上がる。楽しそう。
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常念岳と大天井岳を望む。田植えもすっかり終わっている。
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三郷温の集落の風景。
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下長尾小原常会所という所に、天保3年の握手像がある。石の形とデザインが奇抜で印象的。(826)
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北側の県道319号に出て西へ、温堰橋という小さな橋の先の右手に隠れるようにしてあった。寛政9年の握手像。(829)
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水路に沿って北上し、いくつかの不明を過ぎる。三郷文化公園西方の二木公民分館脇に並ぶ。右端が寛政?10年の握手像で、馬頭観世音と蚕影大神もある。(855)
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さっきの水路に戻って少し北へ入ると左手に地蔵堂がある。お堂の西側に隠れるようにしてあった。後ろのポールは垂直で、この傾きようである。生年不詳。(856)
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地蔵堂の西側の農道に出て北上すると、大きい道祖神が見えてくる。
明治31年造立。祠も鉄骨だった。さすがに彫りはしっかりしていて、姿も美しい。(833)
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横から見るとこんなに薄い石だった。こういう石に彫ってみるのが、明治の石工の粋だったのかもしれない。
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さらに最後は不明箇所を過ぎてゆく。安曇野の道祖神マップ、なんとかならないものだろうか? 三郷文化公園にゴールして終了、今日も30℃だった。
昨日は梓川村エリア含めて28.0km、今日は8.0kmだった。

安曇野の双体道祖神は三郷村南部まで南下してくると、やや迫力に欠けるようになってくるようだ。それでも消えかけた表情をじっくりと見ていると、だんだん味が出てくる。名号塔や大黒天が突然現れたりもする。そして奪衣婆も・・・

今回巡ったのは43ヶ所くらいだが、また来年も来てみたい。あのPDFファイルにはまだ山のように印がついていますので。