水戸市南郊の石仏と風景 | 降っても晴れても

降っても晴れても

山に登ったり走ったり、東へ西へ・・・

友部駅から水戸駅まで走りながら、そのへんの風景を眺めてきました。五月の半ばにしては涼しい一日でした。

友部駅南口からスタート。南東に向かって走るとすぐに田園の広がる風景になってきた。
まもなく笠間市を抜け出して、水戸市鯉淵町に入る。

中台路傍の石仏 県道30号を左折して中台バス停先の左手に石仏が数体ある。子安観音、地蔵菩薩など。「中臺 人講中」と読め、女の字が欠落したらしい。

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やたらと車が多くて走りづらい県道より、常磐道をくぐる手前を右折していく。今日は見所はとても少なそうなので、ひたすら走るにはちょうどよかった。
鯉淵町の二十三夜塔群 鯉渕小学校の手前の右手路傍に二十三夜塔や馬頭観世音などが林立していたので足を止めた。
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一番手前には天保6年の如意輪観音。女人講中の文字がくっきり。非常に農村的な姿が、さらに風化して味を出していた。
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鯉渕郵便局前を過ぎたら右手の小道の奥に、正法山持福院(観音寺)がある。
十一面観音堂の石仏群 ひっそりとした墓地を背にして、馬頭尊などの立派な石塔が立つ。
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寛政8年の二十三夜尊。この地域には女人講中の月待信仰の石仏・石塔が多い。絶対数は少ないものの、庚申塔やその他の石仏はとても少ない。「この地域」というのはどこまでの広がりがあるのか、よく理解はしていないけれど。
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墓地のはずれの石仏群。
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その中には、寛政10年の子安観音もあった。
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県道40号を東へ進むと、
滝渕東薬師堂の石仏群がある。道に面して大きめの祠が立っている。
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前列中央に美しい子安観音が置かれていた。石質もお洒落な感じがする。
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その後ろにも二十三夜供養塔。
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これも子安観音だと思われる。如意輪観音のかすかな姿が浮かび上がるようだ。
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子安地蔵が左隅にいた。文化2年。この一画は石質や色が様々で、興味深い場所だった。
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先の信号を右へ、すぐに左手の墓地にもあった。滝渕墓地の二十三夜塔
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墓地のはずれの覆屋の下、十九夜塔は道標だった。左かさま、右は欠落して読めない。
おそらく、みとだったのだろう。
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萱場町に入った。吉田神社参道入口の石仏群
4体全部が女人講中のものである。
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子安観音の子安塔。左は弘化4年、右は?
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地蔵菩薩の上部に「延生山」と彫られている。栃木県芳賀町の延生山城興寺は延生地蔵尊と呼ばれ、安産・子育てのご利益があるという。
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こちらは明治以降のものかも。
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いい雰囲気の伝わってくる一体。
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吉田神社参道には牛頭観世音の石塔があった。
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県道59号を北上して中曽根バス停先の左手路傍に馬頭観世音。
自然に生えた野の花か、供えられたのか微妙なところが美しかった。
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国道50号を越えると左手に八坂神社がある。石仏が6体ある。
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馬頭観音の隣りは子安観音のようだが、痛々しい姿に変貌していた。
この2体、そのままで芸術作品になりそうである。
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こちらも子安観音と馬頭観音。
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その東方の道沿いに一心庵というお堂の建つ共同墓地がある。
入口の大きな馬頭尊は天保13年。
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右手の小祠に子安観音と地蔵菩薩がいた。
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天保6年、東原女人講中6人造立。
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さらにくねくねと東の方角へ向かう。桜川緑地の滝下橋北詰に子安観音。
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嘉永5年造立。表面は荒々しい感じなのに、造形がよく残されている。
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千波十文字交差点から駅南中央通りへと向かった。だいぶ市街地になってきた。
荒谷一本松北交差点西側の石仏群 
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ここにも子安観音・如意輪観音など。
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頭の上部が不思議な形をしている。風化している割には彫りが深い。年号は読めず。
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最後は元吉田町の裏道の辻 元吉田北交差点を東へ折れてすぐ左の小路の奥。
文化3年 東西 女人講中 とあるのは東町と西町に女人講中があったということだろうか。
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よだれ掛けをめくってみた。
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水戸市南部の石仏群はとりたてて優れた作品ではないけれど、石の肌の感触が心地よい物ばかりだった。女人講中にはぐくまれたせいかもしれない。
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駅南中央通りを北へまっすぐにゆくと水戸駅南口。その周辺だけは人があふれかえっていて、県都を感じさせる。24.0kmのランニングだった。