本日は2024(令和6)年3月31日(日曜日)、
2023(令和5)年度に於ける最終日です。
毎回、年度末になりますと様々なお別れがあります。
3月23日(土曜日)、
僕の地元・福岡県を走るJR九州の大動脈・鹿児島本線では九州唯一のSL列車だった快速「SL人吉」号がラストランを迎えました。
通常は鳥栖駅(佐賀県鳥栖市)〜熊本駅(熊本市西区)を結んでいた「SL人吉」号、
最終日は九州ナンバーワンの鉄道駅である博多駅(福岡市博多区)から鳥栖駅を経由して熊本駅まで沢山の汽笛を鳴らして力走しました。
©㈱共同通信社
ラストランに先立つ3月10日(日曜日)、
僕と母親は鳥栖駅にいました。
目的は当然ながら「SL人吉」号の勇姿を見るため、
団塊世代である僕の母親にとってSLは「青春の1ページ」そのものです。
駅構内には「SL人吉」号への感謝を込めたポスターがズラリ、
14時過ぎ、「SL人吉」号は鳥栖駅構内の引込線で待機していました。
「SL人吉」号が熊本駅へ向けて出発する鳥栖駅5・6番ホームへは15時前後の入線となりますが、既にホームの先端にはSLファンの方々が集まっており
右側の3・4番ホームでも同じ光景が見られました。
鳥栖駅5番ホームを15時11分に発車する熊本行き快速「SL人吉」号、
熊本側から見てディーゼル機関車+全車指定席の客車3両+「SL」こと蒸気機関車、の順となっていますが、
ラストランが近いとあって3両の客車は満席、
特に最終日の指定席券に至っては秒レベルで瞬殺し、インターネットオークションでは通常の1680円が何と15万円で出品されたケースが見受けられたとか。
賛否両論ありますが、SLにはそれだけの魅力が詰まっています!!
15時過ぎ、引込線から汽笛を鳴らした1922(大正11)年生まれのSL・「ハチロク」こと8620型58654号機が
5番ホームを目指して入線、
3・4番ホームからもカメラやスマートフォンが向けられ
煙を上げて到着、
青春時代の思いが蘇った母親はSLの勇姿に感激していました。
鳥栖行きの「SL人吉」号はSLが先頭でしたが、熊本行きはディーゼル機関車が先頭、
それでも「ありがとう!SL人吉」とプリントされたジャンバーを着ている機関士さんの周りにはファンが集まっていました。
15時11分、ディーゼル機関車に牽引された熊本行き「SL人吉」号は鳥栖駅5番ホームを定刻に発車、
ファンの方々は最後尾に連結されたSLの姿が見えなくなるまで見送っていました。
今や全国的に珍しい存在となった駅ホームの立ち食いうどん・そばカウンター、
鳥栖駅の場合は現役で頑張っており、駅前に構える駅弁業者・㈱中央軒さんが製造・販売をしている駅弁も並べられ
更には一袋420円でお持ち帰り用の駅うどんまで取り扱っていますので僕と母親の分を購入しました。
「SL人吉」号のポスターに見送られ
駅うどんを自宅で調理、
㈱中央軒さんの駅うどん・そばは全てのメニューに名物の「かしわ肉」が入っており、
親子で美味しく頂きました。
ところで「SL人吉」号の機関車・8620型58654号機は過去に2回の復活を成し遂げています。
齡102を迎えて引退した「鉄の生き物」、
3回目の復活を願いたいものです!!
そして…、
「SL人吉」号のラストランから丁度1週間を経た3月30日(土曜日)、
TBS系の人気番組『日立・世界ふしぎ発見!』が最終回を迎えました。
僕が中学生になったばかりの1986(昭和61)年4月19日(土曜日)にスタートした長寿番組、
最終回では記念すべき第1回目からのレギュラー回答者である黒柳徹子さんが
声を詰まらせながら感謝の言葉を伝えていました。
黒柳さんと同じく第1回目からのレギュラー回答者だった野々村真さんも寂しそうな顔をしていましたが、
38年間の長きに渡り司会を担当した草野仁キャスターは最後まで落ち着いた口調、
「38年間と言えば大学を卒業して社会へ出るのが22歳、定年となるのが60歳、
1人の人間にとって入社から退社までと同じ長さです」
番組開始当時、黒柳さんは52歳、野々村さんは21歳、草野キャスターは42歳、
それが最終回を迎えた今ではそれぞれ90歳、59歳、80歳…、
余談ながら12歳だった僕も50歳となりました。
『世界ふしぎ発見!』、
今後は特別番組として「復活」する可能性があるとのことで楽しみにしております。
58654号機、『世界ふしぎ発見!』、
あくまでも「一応」お疲れさまでした!!