チョンマゲ対ザンバラ髪の優勝争い、影の功労者は…。 | 福岡の団塊ジュニア世代進路アドバイザー特定社労士・山本幸司のブログ

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生粋の福岡県人である「特定社労士」こと特定社会保険労務士によるブログです。

遂に角界の歴史を塗り替えた超新星が現れました!!

年に6場所、奇数月に興行が開催される日本の国技・大相撲、

毎年3月春場所は大阪で行われるので「3月大阪場所」とも呼ばれていますが、

今年2024(令和6)年の3月春場所を制したのは青森県五所川原(ごしょがわら)市出身の

東平幕17枚目 尊富士弥輝也(たけるふじ・みきや)関


2022(令和4)年9月秋場所に角界へ入門し、今年の1月初場所に「関取」の登竜門である十両に昇進、

その十両デビューの場所にていきなり十両優勝を飾り、僅か1場所で幕内へ、

それだけでも稀有なケースですが

な、何と幕内デビューの場所にいきなり天皇賜杯に輝きました!!


大相撲は番付が全ての階級社会、

前相撲から始まり序ノ口→序二段→三段目→幕下→十両→平幕→小結→関脇→大関、そして最高峰の横綱の順に上昇しますが、前相撲は番付に載らない「番付外」、

序ノ口から幕下までは半人前で無給の「取的(とりてき)」として1場所7番、

十両からは一人前で給料取りの「関取」として1場所15番、

更に関取の中でも平幕以上の力士は「幕内力士」と呼ばれます。


現在、角界には約600人の力士が所属していますが、そのうち関取は約10人に1人、

幕内力士になると更に低い確率となります。


北の湖関、千代の富士関、貴乃花関といった角界に名を残す大横綱でも跳ね返された幕内デビュー場所、

俗に「新入幕」と呼ばれていますが、尊富士関は3月10日(日曜日)の初日から11連勝、

1960年代に「巨人・大鵬・卵焼き」と呼ばれ絶大な人気を誇った大横綱の大鵬関に並びました。


さすがに12日目には西大関・豊昇龍関に敗れたものの、13日目終了の時点で12勝1敗、

14日目の相手は西平幕筆頭の朝乃山関でしたが


大関経験を持つ実力者に


押し出されて2敗目を喫した際に


右足を痛めてしまい、自力で歩くことも出来ず、車椅子に乗せられる程の重傷を負いました。


「千秋楽は休場」

角界関係者、メディア関係者、そして大相撲ファン、

皆がそう思いました。


が、しかし、

尊富士関は大方の予想を覆し、右足首にサポーターを巻いて千秋楽の土俵に上がりました!!




幕内力士の中でも平幕・小結・関脇の力士を対象とした「大相撲三賞」では新入幕の尊富士関に加え、

幕内2場所目ながら千秋楽まで優勝争いを盛り上げた西平幕5枚目・大の里関の2力士が敢闘賞と技能賞の「ダブル受賞」、


更に2力士のうち、優勝に輝いた力士には殊勲賞まで受賞で来ます。


14日目の終了時点で優勝の可能性を残した幕内力士自体が平幕の2力士のみ、


よく「荒れる春場所」と言いますが、ここまで荒れまくった春場所は前代未聞のことです。


幕内力士の土俵入りでは尊富士関、


大の里関共に盛大な拍手を貰い


花道を下がる際にも


2力士への拍手は鳴り止みませんでした。



千秋楽のテレビ解説はNHKの三瓶宏志アナウンサーと尊富士関が所属する相撲部屋「伊勢ヶ濱部屋」の師匠である元横綱・旭富士関の伊勢ヶ濱親方、


淡々とした口調ながらも愛弟子のことが気になって仕方がないでしょう。


学生相撲の老舗・日本大学相撲部の出身ながら怪我のために大学時代は実績が残せず、前相撲からスタートした「チョンマゲ姿」の尊富士関、


今や学生相撲の一大勢力となっている日本体育大学相撲部の出身で大学時代には学生横綱やアマチュア横綱をはじめとした数々の実績を残した結果、

幕下付出なる特権が認められ、いきなり幕下の番付からスタートした「ザンバラ髪」の相撲エリート・大の里関、


通常、関取に昇進すると大銀杏を結って土俵に上がることが許されますが、出世が早い力士は大銀杏が結える量の髪の毛が伸びていません。

従って尊富士関と大の里関は大銀杏を結いたくても結えないわけです。

因みに尊富士関は前相撲デビューから10場所目、大の里関は幕下付出デビューから6場所目、

物凄いスピード出世であることが解りますね。

やがて尊富士関が花道から


土俵へ…、


右足の具合が心配でなりません。


千秋楽、尊富士関の相手は


学生相撲の名門・中央大学相撲部出身で大学時代に実績を残したことで三段目付出デビューが認められ角界へ入門した相撲エリートである西平幕6枚目の豪ノ山関、


同じ学生相撲出身でも前相撲からの「叩き上げ」と三段目からの「特待生」が対決します。



新入幕の尊富士関にとっては勿論初顔の相手、


敢闘賞・技能賞のダブル受賞に加えて殊勲賞、そして天皇賜杯が賭けられている尊富士関、


右足をかばいながらも出足の鋭さで




豪ノ山関を土俵下へ押し出し


その瞬間で尊富士関の初優勝が決まりました!!





新入幕力士が幕内最高優勝に輝くのは1914(大正3)年5月夏場所の両國関以来110年振り、

NHK総合テレビのニュース速報でも


快挙が強調されたテロップが流れました。



人生最高の勝ち名乗りを受けて花道を下がる尊富士関、


実はもうひとつの快挙を成し遂げています。


「初土俵からのスピード優勝」


これまでは前述の両國関が11場所で歴代最速だったわけですが、

尊富士関は両國関を1場所上回る10場所、

しかも両國関が活躍した大正時代の大相撲は

「年に2場所開催」

だったことを考えると最早化け物をも超えたレベルです!!


尊富士関が歴史的快挙を成し遂げた瞬間、師匠の伊勢ヶ濱親方は少し涙ぐんでいるような表情で愛弟子を見つめていました。



一方で優勝の可能性が消えた大の里関の対戦相手は尊富士関の連勝を「11」で止めた西大関・豊昇龍関、


優勝こそ逃がしたものの、敢闘賞・技能賞のダブル受賞に花を添えたい思いで土俵に上がりましたが


「次期横綱の一番手」と言われている大関には及びませんでした。





ポーカーフェイスだった尊富士関も支度部屋で伊勢ヶ濱部屋の関取衆に囲まれて声を掛けられると


笑顔になりました。



土俵を離れればどこにでもいる24歳の青年です。


この場所は伊勢ヶ濱部屋の兄弟子である横綱・照ノ富士関が腰痛の悪化により途中休場、


横綱は尊富士関に常日頃アドバイスを送っていただけに感無量だったことでしょう。


尊富士関の趣味はウェートトレーニングですが、それを見た横綱が一喝、

「上半身よりも下半身を鍛えろ!!」

下半身を鍛えるためにはひたすら四股を踏むこと、

四股は相撲の基本ですが、その基本を忠実に守ったことによって出足が早くなり、結果的には歴史的偉業へと繋がりました。


表彰式へ向う尊富士関、


国歌「君が代」を斉唱し


公益財団法人・日本相撲協会の八角(はっかく)理事長より


「史上最速」の天皇賜杯


同じく佐渡ヶ嶽理事からは

これまた「史上最速」の優勝旗


政府関係者の代理による内閣総理大臣杯


それぞれ授与されました。


会場である大阪市中央区の大阪府立体育会館も祝福ムード


優勝力士インタビューでは


「記録よりも記憶に残る力士になりたいです」



最後は四面へ深々と敬礼


後に判明したことですが、尊富士関は右足の腱が切れていたとのこと。

とても相撲を取れる状態では無かったにも関わらず師匠と話し合って出場を決めました。


伊勢ヶ濱親方曰く

「千秋楽を休場すれば本人は勿論、師匠の私も後悔するので」


今年の1月初場所、照ノ富士関が自身9回目の幕内最高優勝、尊富士関は新十両ながら見事な十両優勝を成し遂げ、伊勢ヶ濱部屋は「アベック優勝」に湧きました。

幕内最高優勝に輝いた力士はオープンカーに乗って優勝パレードを行うわけですが、

1月初場所の場合は尊富士関が新十両優勝の「ご褒美」として照ノ富士関の旗手を任せられました。

©ヤフー㈱


その時に尊富士関が一言、

「何時の日か自分もオープンカーから最高の景色を見てみたい」

僅か2ヶ月後、夢は現実のものとなりました。


大相撲三賞は最終的に初優勝の尊富士関が史上6人目となる「三賞独占」、

大の里関は敢闘賞・技能賞のダブル受賞、


三賞インタビューを受けた大の里関は「やり切った」表情をしていました。



場所後の4月16日(火曜日)には東京・両国の国技館にて

元旦(月曜日)に発生した石川県能登半島地震の被災地へ義援金を送る目的で「勧進大相撲」が開催されます


特に大の里関は石川県河北(かほく)郡津幡(つばた)町の出身だけあって並々ならぬ思いがあるでしょう。


あと、僕個人としてはこの場所が新大関だった琴ノ若関に感謝しています。



何故ならば14日目の土俵にて先輩大関の豊昇龍関を破ったことによって優勝が尊富士関と大の里関に絞られ場所が一層盛り上がったからです。


最後になりましたが、尊富士弥輝也関、

歴史的快挙おめでとうございます!!





私は福岡県在住の「特定社労士」こと特定社会保険労務士です。


私は2012(平成24)年の11月から4年間に渡り

「合格基準が透明な社労士試験」

「受験生の努力が報われる社労士試験」

の実現を目指して日々奔走されていたtktk様の活動を誇りに思っております!!



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