遂に角界の歴史を塗り替えた超新星が現れました!!
年に6場所、奇数月に興行が開催される日本の国技・大相撲、
毎年3月春場所は大阪で行われるので「3月大阪場所」とも呼ばれていますが、
今年2024(令和6)年の3月春場所を制したのは青森県五所川原(ごしょがわら)市出身の
東平幕17枚目 尊富士弥輝也(たけるふじ・みきや)関
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20240324/21/yamako-daiken19960926/f9/ec/j/o1080060715417062097.jpg?caw=800)
2022(令和4)年9月秋場所に角界へ入門し、今年の1月初場所に「関取」の登竜門である十両に昇進、
その十両デビューの場所にていきなり十両優勝を飾り、僅か1場所で幕内へ、
それだけでも稀有なケースですが
な、何と幕内デビューの場所にいきなり天皇賜杯に輝きました!!
大相撲は番付が全ての階級社会、
前相撲から始まり序ノ口→序二段→三段目→幕下→十両→平幕→小結→関脇→大関、そして最高峰の横綱の順に上昇しますが、前相撲は番付に載らない「番付外」、
序ノ口から幕下までは半人前で無給の「取的(とりてき)」として1場所7番、
十両からは一人前で給料取りの「関取」として1場所15番、
更に関取の中でも平幕以上の力士は「幕内力士」と呼ばれます。
現在、角界には約600人の力士が所属していますが、そのうち関取は約10人に1人、
幕内力士になると更に低い確率となります。
北の湖関、千代の富士関、貴乃花関といった角界に名を残す大横綱でも跳ね返された幕内デビュー場所、
俗に「新入幕」と呼ばれていますが、尊富士関は3月10日(日曜日)の初日から11連勝、
1960年代に「巨人・大鵬・卵焼き」と呼ばれ絶大な人気を誇った大横綱の大鵬関に並びました。
さすがに12日目には西大関・豊昇龍関に敗れたものの、13日目終了の時点で12勝1敗、
14日目の相手は西平幕筆頭の朝乃山関でしたが
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20240324/21/yamako-daiken19960926/7e/9f/j/o1080060715417062101.jpg?caw=800)
大関経験を持つ実力者に
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20240324/21/yamako-daiken19960926/1e/af/j/o1080060715417062105.jpg?caw=800)
押し出されて2敗目を喫した際に
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20240324/21/yamako-daiken19960926/06/6b/j/o1080060715417062109.jpg?caw=800)
右足を痛めてしまい、自力で歩くことも出来ず、車椅子に乗せられる程の重傷を負いました。
「千秋楽は休場」
角界関係者、メディア関係者、そして大相撲ファン、
皆がそう思いました。
が、しかし、
尊富士関は大方の予想を覆し、右足首にサポーターを巻いて千秋楽の土俵に上がりました!!
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20240324/21/yamako-daiken19960926/79/32/j/o1080060715417062114.jpg?caw=800)
通常、関取に昇進すると大銀杏を結って土俵に上がることが許されますが、出世が早い力士は大銀杏が結える量の髪の毛が伸びていません。
従って尊富士関と大の里関は大銀杏を結いたくても結えないわけです。
因みに尊富士関は前相撲デビューから10場所目、大の里関は幕下付出デビューから6場所目、
物凄いスピード出世であることが解りますね。
やがて尊富士関が花道から
新入幕力士が幕内最高優勝に輝くのは1914(大正3)年5月夏場所の両國関以来110年振り、
NHK総合テレビのニュース速報でも
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20240324/21/yamako-daiken19960926/4f/1a/j/o1080060715417063700.jpg?caw=800)
快挙が強調されたテロップが流れました。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20240324/21/yamako-daiken19960926/f5/a5/j/o1080060715417063703.jpg?caw=800)
人生最高の勝ち名乗りを受けて花道を下がる尊富士関、
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20240324/21/yamako-daiken19960926/a1/e7/j/o1080060715417063707.jpg?caw=800)
実はもうひとつの快挙を成し遂げています。
「初土俵からのスピード優勝」
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20240324/21/yamako-daiken19960926/1e/ec/j/o1080060715417063710.jpg?caw=800)
これまでは前述の両國関が11場所で歴代最速だったわけですが、
尊富士関は両國関を1場所上回る10場所、
しかも両國関が活躍した大正時代の大相撲は
「年に2場所開催」
だったことを考えると最早化け物をも超えたレベルです!!
尊富士関が歴史的快挙を成し遂げた瞬間、師匠の伊勢ヶ濱親方は少し涙ぐんでいるような表情で愛弟子を見つめていました。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20240324/21/yamako-daiken19960926/4e/42/j/o1080060715417063712.jpg?caw=800)
同じく佐渡ヶ嶽理事からは
これまた「史上最速」の優勝旗
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20240324/21/yamako-daiken19960926/e6/4f/j/o1080060715417064433.jpg?caw=800)
政府関係者の代理による内閣総理大臣杯
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20240324/21/yamako-daiken19960926/bf/5d/j/o1080060715417064437.jpg?caw=800)
それぞれ授与されました。
会場である大阪市中央区の大阪府立体育会館も祝福ムード
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20240324/21/yamako-daiken19960926/98/46/j/o1080060715417064441.jpg?caw=800)
優勝力士インタビューでは
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20240324/21/yamako-daiken19960926/69/09/j/o1080060715417064445.jpg?caw=800)
「記録よりも記憶に残る力士になりたいです」
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20240324/21/yamako-daiken19960926/c0/b7/j/o1080060715417064447.jpg?caw=800)
最後は四面へ深々と敬礼
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20240324/21/yamako-daiken19960926/a1/aa/j/o1080060715417064451.jpg?caw=800)
後に判明したことですが、尊富士関は右足の腱が切れていたとのこと。
とても相撲を取れる状態では無かったにも関わらず師匠と話し合って出場を決めました。
伊勢ヶ濱親方曰く
「千秋楽を休場すれば本人は勿論、師匠の私も後悔するので」
今年の1月初場所、照ノ富士関が自身9回目の幕内最高優勝、尊富士関は新十両ながら見事な十両優勝を成し遂げ、伊勢ヶ濱部屋は「アベック優勝」に湧きました。
幕内最高優勝に輝いた力士はオープンカーに乗って優勝パレードを行うわけですが、
1月初場所の場合は尊富士関が新十両優勝の「ご褒美」として照ノ富士関の旗手を任せられました。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20240325/14/yamako-daiken19960926/3e/05/j/o1080080915417302810.jpg?caw=800)
©ヤフー㈱
その時に尊富士関が一言、
「何時の日か自分もオープンカーから最高の景色を見てみたい」
僅か2ヶ月後、夢は現実のものとなりました。
大相撲三賞は最終的に初優勝の尊富士関が史上6人目となる「三賞独占」、
大の里関は敢闘賞・技能賞のダブル受賞、
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20240324/21/yamako-daiken19960926/a5/0a/j/o1080060715417064456.jpg?caw=800)
何故ならば14日目の土俵にて先輩大関の豊昇龍関を破ったことによって優勝が尊富士関と大の里関に絞られ場所が一層盛り上がったからです。
最後になりましたが、尊富士弥輝也関、
歴史的快挙おめでとうございます!!
私は福岡県在住の「特定社労士」こと特定社会保険労務士です。
私は2012(平成24)年の11月から4年間に渡り
「合格基準が透明な社労士試験」
「受験生の努力が報われる社労士試験」
の実現を目指して日々奔走されていたtktk様の活動を誇りに思っております!!
私の事務所のホームページです。