最低でもあと4年は生きなければなりませんね | 福岡の団塊ジュニア世代進路アドバイザー特定社労士・山本幸司のブログ

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生粋の福岡県人である「特定社労士」こと特定社会保険労務士によるブログです。

かつて福岡県筑豊地区の山田市、あっ、最終年度のみ同・嘉麻市に所在した福岡県立山田高校、

2006(平成18)年度、詳細に言えば2007(平成19)年の3月31日(土曜日)を以て旧制中学校以来64年間の歴史に幕が閉じられましたが

閉校後の現在でも毎年度に渡り同窓会が盛大に開催されています。


ご多分に漏れず、山田高校の同窓会も新型コロナウイルス禍の影響により3年度に渡る中止を経て今年度、2019(令和元)年度以来の再開となりました。

通常、山田高校の同窓会は毎年度旧盆の時期に開催されますが、再開初年度となる今年度は諸事情により10月14日(土曜日)に行われました。


先月下旬、山田高校同窓会より御礼状が同封された協賛広告が福岡県太宰府市に所在する自宅兼事務所宛へ届きました。



この協賛広告は毎年度、同窓会の開催時期が近付くと福岡県筑豊地区のうち、

山田高校の通学可能学区であった嘉飯(かはん)エリアで配達される全ての一般紙に挟まれます。
 

昔は公立高校のうち、都道府県立高校の全日制普通科を受験する場合に常識だった「学区制」、

現在では東京都や大阪府、広島県のように撤廃した都道府県も増えてきましたが、福岡県の場合は今でも13の学区から成る「中学区制」が存続しています。


従来の「小学区制」に代わり1972(昭和47)年度の受験から導入された福岡県立高校・全日制普通科の中学区制、

導入当初は15の学区から成り立っていましたが、2010(平成22)年度の受験より13へと整理されて現在に至ります。


現役時代の山田高校は全日制の普通科高校、

属した学区は、と言いますと「第14学区」、

閉校後の現在では「第12学区」となっており、筑豊地区のうち、嘉穂郡・嘉麻市・飯塚市から成る前述の嘉飯エリアが該当します。

但し、1995(平成7)年度、詳細に言いますと1996(平成8)年の3月31日(日曜日)までは定時制の課程も在りましたが、定時制の場合は学区制と無縁でした。


再開初年度となる今年度2023(令和5)年度の「当番期」は第40期生、

1969(昭和44)年度生まれの方々がメインなので、僕よりも4学年先輩になります。


実を言いますと山田高校同窓会の当番期は

「第30期生」と「第50期生」、「第35期生」と「第55期生」のように「20年先輩」と「20年後輩」がコンビを組んで活動していましたが

最後の卒業生は1988(昭和63)年度生まれの人達がメインだった第59期生、

従って第60期生以降の卒業生は当然ながら存在しません。


それ故に今回の当番期だった第40期生の方々は此れまでのような「20年後輩」が皆無なので

初めて単独での活動となりました…。


単独活動初となる当番期だけに

苦労も半端ではなかったでしょうが、それでも従来と同規模の協賛広告が完成、



協賛広告に同封されていた御礼状は例年以上に大変さが滲(にじ)み出ていたことが伺える内容でした。



僕は山田高校がまだ現役だった頃に同校が毎年度の秋から冬にかけて開講していた社会人向けの公開講座

「山田高校学校開放講座 基礎英会話教室」

に於ける1996(平成8)年度の受講生、

高校の母校が存在しない僕にとって山田高校はまさに「母校」そのものです。

2012(平成24)年度から毎年度に渡り協賛している山田高校同窓会の広告、

コロナ禍蔓延時の中止を経て再開初年度となった今年度は前回2019(令和元)年度以前の協賛広告と比べて肩書がチョッピリながら変わっています。



同じ「士(さむらい)業」ながらも社会保険労務士から特定社会保険労務士へ、


中止の時期を挟んでほんの僅かながら成長したのかもしれませんね…。

その間に僕自身も出身地の福岡県嘉麻市から現在の自宅兼事務所が在る同・太宰府市へ引っ越しています。


もし1973(昭和48)年度生まれの僕が山田高校を3年間で卒業していた場合、第44期生となります。

来年度以降も順調に行けば2027(令和9)年度が第44期生の方々にとっての当番期、

僕自身、あと最低4年はこの世にいなければなりませんね。





私は福岡県在住の「社労士」こと社会保険労務士です。


私は2012(平成24)年の11月から4年間に渡り

「合格基準が透明な社労士試験」

「受験生の努力が報われる社労士試験」

の実現を目指して日々奔走されていたtktk様の活動を誇りに思っております!!



私の事務所のホームページです。