2019年8月号の「クルマの達人」 | くるまの達人

くるまの達人

とか、タイトルで謳いながら、実はただの日記だったりするけど、いいですか?

田舎者はねちっこくて困る。例えばわ
たしも相当に粘着質だと思う。

そこへいくと、いわゆる江戸っ子とい
うのはカラッとしているんだかケロッ
トしているんだか。十年ぶりに電話し
たら、ちょうどどうしてるのかなって
思ってたところなんだよ、奇遇だね!
と。あはは、ホントかよと思いながら、
でも覚えてくれていただけでも嬉しい
もんだ。ご無沙汰してますヤマグチで
す、と言うと間髪入れずにそういうこ
とを返して、まるで昨日の今日みたい
な調子で会話が始まる。

なんていうのかね、こういうカラッと
した感じに、田舎者は軽く嫉妬するわ
けなんですよ。東京の下町の同じ場所
で三代続けての自動車修理屋家業。現
役のホンモノの江戸っ子だからね。

守りたいと感じるクルマを守りたいと
いう気持ちが強くなったこの十年だっ
たと話してくれた。でも内田さんが家
業を継ぐことを決めた二十歳のころ、
守りたいと思っていたのは別のものだ
った。それは「流れ」だったんだなと
感じた。想いあってこの土地で営まれ
てきた家業に込められたプライドとい
うか意地というか、なんていうか、流
れ。そのあたりの話を訊ねたとき、グ
ッときた内田さんを感じたから。

いま、さらに下流へつないでゆく時期
に入っているその流れの中の一点を引
き受けているという座標の明確さが、
いろいろなところに貼り付いて素直に
流れてゆけない粘着質で地に足のつか
ない田舎者にとっては、嫉妬しちゃう
わけさ。


「クルマの達人」
内田モーターワークス
内田幸輝

いったい、わたしたちはどういう「ク
ルマの達人」を求めているのだろう、
必要としてるのだろう。

これまで知り合うことができた大勢の
クルマの達人たちの顔や声を思い出し
ながら、まだ知らない大勢のクルマの
達人たちの心に触れる日のことを思い
描きながら、そして自らを“油虫”と
笑い飛ばすこの人が、その言葉を発す
るときに感じるなんとも言いようのな
い不思議な胸のざわめきを振り返りな
がら、そんなことを考えた。

内田さんは、自分はどこまでいっても
所詮アブラムシですから、と時々言う。
祖父が始めた整備工場を三代目として
継いだ二十歳の頃から、五十路も半ば
を過ぎた今日までずっと油にまみれて
クルマの不具合に向かい合う自分なの
だ、という意のその言葉は、決してそ
のクルマの持ち主を差し置いて日向に
出るような立場ではないという身の程
を言うと同時に、そういう自分である
ことへの強いプライドを感じさせる。

ひとつの言葉に込められた、対極にあ
るような意味の真ん中に挟まるとてつ
もなく広い空間が、不思議な胸騒ぎを
呼ぶ。その空間に詰まった内田さんの
想いに、わたしたちが求める、人とし
てのクルマの達人の真髄を見つけるこ
とができるかもしれない。

最初に出会ってから十年以上、何も変
わらず相変わらず油虫、と笑う内田さ
んのアブラムシ度が、わたしにはずっ
と研ぎ澄まされたように感じたから。



続きは発売中の「カーセンサー・エッ
ジ」誌でお読みください。




山口宗久(YAMAGUCHI-MUNEHISA.COM)
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