今月の「世の中の挑戦者たち」 | くるまの達人

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とか、タイトルで謳いながら、実はただの日記だったりするけど、いいですか?

わたしは自然の摂理が生んだすべての
事々には、前提があると考えています。
前提とは、その事をまさにその事たら
しめている特徴、特性であって、いわ
ば神様が示したその事における不変の
基盤です。もしそのような前提に自由
な変更が許されるとしたら、もはやす
べての事々は、それがそれであること
の意味を失ってしまいます。

そのような不変の前提を前にすると、
別の前提を有することへの興味や関心
がふつふつと涌いてくるのは、わたし
たちが豊かな思考を持つという前提を
与えられた人間であることの証明なの
かもしれません。

例えば性別は、その典型です。垣根の
向こう側への興味や関心を、とても強
く喚起させる前提です。この前提への
関心が太古の昔から存在することは、
セクシャリティに根付いた文化の変遷
について書かれた書物を開けば、すぐ
に知ることができます。そして、文明
や医学の進歩、生活様式の多様化と未
知の様式に触れる機会の増加、そして
そのような背景が生み出した意識の変
化が、その垣根を低くしている現代の
世の中なのだと思います。

けれども、見かけ上は低くなっても、
その垣根がなくなることはありません。
それが、自然の摂理が定める前提の定
義です。もちろんそれは、法的にどち
らの性別であるかというような狭義に
於いてではなく、自然から授かった根
本的な前提のことで、授かった特徴や
特性と、授からなかった特徴や特性を
客観的に俯瞰したときに言えることに
限定すべきでしょう。

それでも望むと望まざるとに係わらず
その前提の中で人生を送ることになる
のが定めなのだとしたら、わたしは授
かった特徴や特性の可能性を求めるこ
とに限られた人生の時間を多く費やし
たいと思います。


鏡味さんの選んだ芸事の道は、女性で
あることの可能性よりも、性別に関係
のない厳しさの果てに成就の喜びがあ
る世界のように、話を伺っていて感じ
ました。そしてその厳しさは、女性で
あるという前提を持つ者により厳しく
あるようにも感じました。

原稿にも書きましたが、数年前に会っ
たときよりも、鏡味さんはずっとたく
さんの素の表情を見せてくれました。
悶絶するような紆余曲折の道程の中に、
自然体に近い歩みができる自分だけの
道を見つけたのだなと感じました。き
っと望んだ全てが叶ったわけではなく、
両手にたくさん掴んだ夢のいくつかを
指のすき間からこぼしながら、手放し
てはいけないものはしっかりと手のひ
らに握り続けて今も歩み続けているの
ですよと、彼女の表情が教えてくれま
した。見違えるほど穏やかで朗らかに
なり、インタビューを取る立場として
は身構えるほど芯がはっきりと感じら
れる人格を感じました。

太神楽曲芸師、鏡味味千代さんです。



「世の中の挑戦者たち」
太神楽曲芸師
鏡味味千代さん

代わりの利かない
自分である意味は
沿うことではなく
自らを発すること

「私、変わりました。本当に前日まで
想像もできなかった人生が始まり、奔
走すること4年目です」

鏡味さんにとって新しい人生の起点と
なったその日の約1年前に、わたしが
初めて会った鏡味さんは、少し神経質
そうな女性だった。太神楽という伝統
芸能の演者には珍しい女性であり、高
座映えする美しい容姿も相まって、平
日の昼間にも係わらず寄席に集まった
大勢の客は、光の中で傘を回す彼女の
演技に夢中だった。鏡味さんの頭の中
は、その期待に応える自分であるため
の方策で満たされ、芸を磨くための稽
古が日々を埋め尽くしていた。そして
同じ季節が再び訪れる頃、鏡味さんは
母となった。

「子供が生まれる一ヶ月前には既に保
育園を決めていました。出産を終えれ
ば、以前と同じように仕事に打ち込め
る環境に戻れるという気持ちだったん
だと思います。

ところが、初めて保育園に子供を預け
たとき、大泣きしてしまったのは私の
ほうだったんです。私、人生の中でこ
んなに人を大事に思ったことがないっ
て、思いました」

社会に出た頃、PR会社に勤めていた
鏡味さんは、自分が自分であることの
価値を探し求めていた。代わりの利か
ない自分であることを求め、太神楽の
演者にその可能性を感じて演者の道へ
進んだ。

「進んだ先には、お客様の期待に私自
身が応えて初めて成りたつ、という期
待どおりの世界がありました。けれど
も一方で、かけがえのない存在である
ことのプレッシャーやストレスがどれ
ほど大きなものであるかということを
身をもって知る日々も始まりました。
気が抜けない毎日が続いていたんです」

わたしが初めて会ったとき、鏡味さん
はその渦中にあった。

「最近、高座にも少し余裕が出てきた
んです。お客様とのアドリブのような
やりとりにも、自然に応えている自分
の存在を感じるんです。以前より、怖
くなくなった……」

妥協が全てを台無しにしてしまう芸事
の世界にあって、鏡味さんは十分に稽
古熱心で、その世界に生きる一人とし
て努めてきた。その姿勢は、今でも変
わらない。それどころか、最近女性ば
かりでユニットを組み、新しい発想の
演目を模索し始めている。

円熟。鏡味さんはその域に入り始めた
のだなと、感じた。

「私の価値って何だろうっていうこと
への意識は、ずっと変わっていないと
思います。けれどもそれは、太神楽を
正確無比に演じることだけでなく、私
自身への期待に応えることでもあるん
だと気づきはじめたような気がします。

そのような気づきを与えてくれた大き
なきっかけは、やはり母になったこと
だと思います。お客様に喜んでいただ
ける演者であることと、子供にとって
掛け替えのない母親であることのどち
らかを取るのではなく、どちらも大切
にしてゆきたい。けれども一日の時間
は限られている。稽古もしたい、子供
との時間も大切にしたい。どうするか。
自分らしくあれ、という原点に立ち返
ることに答えがあるという方向に自然
に導かれているような、そんな気がす
るんです。

私は鏡味味千代という芸人であると同
時に、長谷川麻帆という妻であり母で
でもあります。そして、それ以前に私
は高橋麻帆として生を受けた、一人の
人間なんですね。高橋麻帆をどう生き
るか。紆余曲折を経て、自分を生きる
という原点に再び立ち返れた……とい
うか、ようやくそこに到達できたのか
もしれません」

太神楽でなければならなかった、とい
うわけではないかも知れませんね、と
尋ねてみたら、一瞬ハッとして、そし
てこう答えてくれた。

「ひょっとしたらそうかもしれません。
けれども、私にとってそれは、太神楽
でなくてはならなかったとも思うんで
す。なぜなら、太神楽ほど覚悟を決め
て取り組もうと思えることが、他にな
いんです」

以前よりもずっとまろやかな雰囲気を
感じますと伝えると、少し照れくさそ
うに笑いながら、「自分が本当にした
いことは何なのかを見つけることのほ
うが、ずっと難しかったですから」と
返ってきた。

一心不乱に太神楽に打ち込んできたこ
と、そして素晴らしい命の育み手とい
う役割りを授かったことが鏡味さんに
示した、鏡味さんが本当にしたい事々
なのである。


リクルートグループ報「かもめ」
連載「世の中の挑戦者たち」より




山口宗久(YAMAGUCHI-MUNEHISA.COM)
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